音楽放談 pt.2

SEO強化をしていこう。

2020 -Tha Blue Herb

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誰の口でもどこのメディアでも散々言われていることだが、この2020年という年はなんとも印象的すぎる1年になった。

 

社会の変化という言葉をよく使われるけど、誰の目にも明らかな変化が世界的に起こっていて、果たして収束なんてあるんだろうかなんて思う訳だが、街に出れば以前のような人出が戻っている。

 

年末年始は実家に帰るという人も周りにも多いので、半年前と比べればだいぶ状況は変わっているが、少なくとも元どおりではないだろう。

 

個人的にも割と大変な1年だったなと思っていて、昨年の11月末に今の会社に転職して、ちょうど忙しくなる頃にリモートが当たり前になったんだけど、図らずも良かったと思ったのは、仕事はむしろ増えたし、なんなら忙しすぎるくらいではあるんだけど、色々の変化を割とわかりやすい場所でみられたのは良かったことである。

 

とはいえ稼働が多すぎて、この1ヶ月もあまり記憶がない。

 

ずっと仕事をしていたな、ほんとに。

 

ライブをみにいくことも少なかったし、イベントごとは尽く少なかったからな。

 

 

アーティストの方では、ライブができない分制作に向いている人も多く、新作を発表している人は多くあったのだけど、その中の1組がTha Blue Herbだ。

 

昨年2枚組のアルバムをリリースして、本来であればツアー満載の1年だったはずの彼らもそれらは中止、しかしその分制作のペースは凄まじく、シングルを1枚、EPを1枚、コラボ関係の作品も数作と非常に精力的であった。

 

今もレコーディング中らしい。

 

近年の彼らの作品については賛否で言えば否の方が多い印象だし、実際私も1回目でいきなり掴まれるか、というとそんなことはなかったというのが正直なところだ。

 

ところが、何度か聴いているうちになんだかやけに滲みいって、今では不意に聴きたくなる音楽となっている。

 

かつてのバトルライムと呼ばれば鋭さは当然だけどない。

 

割と生活に根差したような内容なので、そりゃ刺激ではないだろうという話だ。

 

でも、戦ってばかりの人生ではないし、やっぱり安心したいよね、という思いがこんな世の中だと強くなるから、そこに寄り添っているのかもしれない。

 

穏やかなトラックと、今年縛られたあれこれを思い返すような描写があるんだけど、それでも前に行くしかないよね、というのが彼らのメッセージである。

 

起きてしまったことはもうしょうがない、というのは昔から彼らの作品出てくるリリックの一つだろう。

 

今年リリースされた『2020』というEPは、まさに今のドキュメントとしてリリースしたような作品だけど、そこで描かれるのは変わった現実と変わらない生活の狭間みたいなものだ。

 

といって、私は東京に暮らしているので、電車なんかに乗るとダイレクトに感じるところもあるんだけど、一方で地方はどんな感じだろうか。

 

実家の方ではそれほど変わらず、リモートワークなんてものは概念すらよくわからないというのがうちの両親だ。

 

ニュース越しに私の住む世界をみているような思いらしいが、一時は正に事後絵図に見えていたらしいからな。

 

私にとっての日常は、私だけにとっての日常でしかなくて、それは誰にとっても同じだろう。

 

最近の彼らの音楽を聴いていると、描写されるのはあくまでBossの日常を元にしているだろう。

 

そのパーソナルな描写が、不意に自分の世界と置き換わる瞬間を描くのかもしれない。

 

ここで描かれるこの日常は、私にとってはどの場面なのかな、なんてことを考えながら聴く訳である。

 

個人的にはコンテクストが一般化されて、またそれぞれのコンテクストに落とし込まれていくような、そんな感じだろうか。

 

年末には有観客でライブもやるが、チケットも取れたので楽しみだ。


THA BLUE HERB "バラッドを俺等に"【OFFICIAL MV】

 

そんな日常形では、Brahmanとコラボした『Cluster Blaster』に収録された”Back To Life”だろうか。

 

日常へ戻ろう、というタイトルかなと思うけど、この曲もメッセージ云々というよりは普通の生活である。

 

今ではこれをやるだけでめんどくさいことをいうやつが出てきてしまうような世の中になってしまったので、なんだか特別にも思えてしまう。


BRAHMAN feat. ILL-BOSSTINO「BACK TO LIFE 」MV

へんな感傷にひたろうとは思わないけど、つまらないことに気兼ねしない暮らしはしたいよね。

 

まあ、今は仕事が忙しすぎてそもそもままなっていないけど。

 

 

ところで、毎年この時期には個人的年間ベストアルバムを選んでいるんだけど、どうしようかしら。

 

また考えよう。

幽霊、の気分

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私は平日は仕事が遅くまであり、帰宅が深夜に及ぶことが少なくない。

 

なんとか0時までに最寄り駅まで到着できれば、スーパーもギリギリやっているのでその日の食事にもありつけるが、そうでなければカップ麺をすする、そんな憂き目に遭う。

 

カップ麺、好きなんだけどね。

 

で、最近そのスーパー近辺に非常に気になっていることがある。

 

私がいく時間に必ずと言っていいほど見かける、おじさんかおばさんかよくわかない人がよく店内をうろついているのだ。

 

その人はボサボサの髪にこの世の全てに絶望しているような顔をして、コロコロを引いていつも同じ黒い服をきて店内を闊歩している。

 

かと思ったら、時にはチープなイートインコーナーで何をイートするわけでもなく漠然と座って虚空を眺めていることもある。

 

いつも遅い時間にいくので、生活のサイクルがにているのかもしれないが、どうみても働いている風には見えない。

 

何せその風体ときたら、およそ社会性というものが感じられないのである。

 

それだけではない。

 

休日の夕方、健常な時間においても、その人は私のいく先々に現れるのだ。

 

それだけであれば、ひょっとしたら一日中スーパーで時間を潰している近所の暇人である可能性もまだ否定できない。

 

しかし、先日驚いたのが帰宅時間も1時近くに及んだ日、なんと近所のコンビニで見かけたのだ。

 

この段に至って私はいささか戦慄した。

 

1日中スーパーうろついている説は私の中で一定の妥当性を持っていたが、まさかこんな夜更にまで見かけるとは驚きだった。

 

かと言って、その方はおそらく私のことは認識していないだろうし、なんなら目が合ったことも一度もない。

 

いつもその視線は虚空を彷徨っている。

 

そしていつでも黒ずくめでコロコロを引いている。

 

 

これはひょっとして私の守護霊だろうか。

 

それにしてもみすぼらしい形である。

 

いくらなんでもこいつに守護されるのはいささか心配だ。

 

ただの貧乏神にしか見えない。

 

しかし、たかが人間のごときでも見た目で判断してはいけないと言われる世の中、今時の幽霊もそうしたこだわりは捨てて、自由闊達にしているのかもしれない。

 

あるいは守護霊がその守護大将のある種の写鏡であるとするのであれば、私自身のみすぼらしさの投影とも言え、つまり周りから見れば私も訳もわからず彷徨って、その視線は虚空を捉えた奇妙な存在でしかないのかもしれないのだ。

 

 

確かに最近はろくなものも食っていないし、低級酒を食らっては前後不覚のままとこに着くか、ぐったりするまで仕事をしているかのどちらかだ。

 

服も久しく買っていないし、おしゃれとは程遠いどころか足も臭い。

 

カップ麺を食ってはニコニコしている分際では、守護につく霊もそりゃみすぼらしくもなるだろう。

 

こんなやつを守ったとて大した利益にもならんのだから、とりあえず適当なやつを付けておけ、なにどうせ気づきもしないだろう、と守護霊の中の偉い人も思うに違いない。

 

そもそも守っても守らなくてもそれにすら気づかないような罰当たりの可能性も高いし、だったら捉えずうろうろするしか能のないやつをあてがっておけば良いだろうということである。

 

実際私は初詣にもいかなければ、自社仏閣に行っても手も合わせようとしない。

 

考えてみれば小学生の頃に、3度投げた賽銭を3度とも弾かれるという経験により、私はすっかり神様を信じなくなった。

 

だから守護神ではなく守護霊くらいに留められて、尚且つどこの誰ともしらない、縁もゆかりもない暇なやつをあてがわれて、爾来すっかりパッとしないような暮らしを強いられている可能性は否定できない。

 

 

しかし、これもちょっと視点を変えれば、もし私がもっときらびやかで、誰の目からも充実したような暮らしぶり、さしずめリア充とか言われるような生き様になれば、この守護霊もそれなりにイケイケな感じに変貌を遂げて、おじさんかおばさんかわからない風体がいかにもな女神のご特に変わるかもしれない可能性だってあるかもしれない訳である。

 

多分。

 

こうしてことあるごとに現れては私を不気味がらせるのは、そうして発奮させてやろうという粋な心意気なのだとしたら、つまりそれは私の努力が足りないという何よりの証左なのだろう。

 

実際のところはどうか知らんが、ともあれそんなことで発奮されるほど私は単純ではない。

 

どこまで落ちぶれるのかみてやろうではないか。

 

その恐怖心だけが私を今日まで突き動かしている。

 

だから幸せになれないんだけど。

 

周りから見れば訳のわからない、あるいは見えてすらいないのかもしれないが、生きているほとんどの人がそんなものだろう。

 

私にも見えない人がたくさんだ。

 

同時に彼らにも私は見えていない。

 

それでいいのだ。

 

バカボンか。


幽霊の気分で / In A Phantom Mood (Cornelius Mix) - SAKAMOTO SHINTARO FEAT. FUKO NAKAMURA

 

 

 

ライブドキュメンタリー -音楽を違う面からみてみる

配信ライブがだんだん当たり前になってくると、DVDなどでリリースされる映像作品の位置づけについても再定義がなされるように思う。

 

先日アナログフィッシュが配信ライブを録画、編集、ミックスした形で行い、それをそのままDVD作品にもしている。

 

彼らがいち早く、というわけではないと思うけど、配信ライブと映像作品の差別化の一つといえるだろう。

 

またつい先日ライブを行ったDownyも月末に改めて配信ライブを行うが、そこでは音もミックスした映像作品としての配信になるらしく、おそらくそのままDVD化もされるだろう。

 

そうして質的な差をつけることで、チケット価格についてもまた色々ためされるだろう。

 

サカナクションライブ配信でありながらかなり凄まじいことをやったらしいが、残念ながら私は見逃してしまった。

 

あれはライブであるからこその驚きや感動があったわけで、あれも一つの配信コンテンツのかたちどろう。

 

だが、いかんせん予算が莫大だったようなので、どんなアーティストでも出来わけでもないし、彼らにとってもおいそれとできるものではないだろう。

 

もっと日常になるためには、色々と考えるタイミングだと思う。

 

 

私は以前からライブDVDもちょくちょく買っては見ているんだけど、特に好きなコンテンツはツアードキュメンタリーである。

 

大体ライブ映像との二枚組でリリースされることが多いが、最近はアルバムのおまけで付いていることもあり、ドキュメンタリー付きとしては嬉しい限りだ。

 

そんなわけで、あえて映像化してほしいおすすめツアードキュメンタリーを、あくまで私が持っているものだけだがいくつかご紹介。

 

まずはこちら。

 

 

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The Novembersの『美しい日』。

 

キャリア最高傑作と呼び声高い『Hallelujyha』のツアーの時のもので、当時まだ話題になり始めたばかりだったクラウドファンディングを使ったことでも話題となった。

 

こちらは二枚組で、ドキュメンタリーパートではメンバーのインタビューやオフショット、過去の映像も織り交ぜるものがありながら、彼らと親交のあるバンドも登場する。

 

同世代としてのLillies and RemainのKENT、プラズーのsho、people in the boxの波多野さん、cinema stuffの辻さん、そして先輩バンドではBorisのAtauo、downyのロビン、Art Schoolのリッキー、千葉さんにdipの人などもインタビューに答えている。

 

このバンドは特に近年顕著だが、音楽的にもバンドの佇まい的にも大きく変化したと思うけど、そんな背景を読み解くのに非常に面白い内容になっている。

 

わりとトゲトゲしたイメージもある彼らだが、わりと朴訥な話し方をするのも面白い。

 

ちなみにライブの方も充実度も素晴らしく、このタイミングでのリリースはある意味ではベスト盤みたいな感じだろ。

 

 

続いてはこちら。

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日本のインスト/マスロックバンドとして世界的な活動もしているLITEの『7 days Patst』、アルバム『For All Innocence』リリース時のアメリカツアーのドキュメンタリーである。

 

彼らのキャリアの中での一つの転換期を迎えていた時だと思うが、アメリカの小さな箱を回るツアーの過酷さと、ライブごとにどんどんファンを獲得していく様がとても面白い。

 

また現地の若手バンドとツアーを回るんだけど、そのバンドとも徐々に仲が良くなっていき、仲良くキャッキャしている様もなんだかいいのである。

 

それこそ日本ではアイドルなんかのライブはテレビでも放映されるが、こうしたインディーバンドの現実はほとんどの人が知るところにはないものである。

 

日本の音楽は終わっていると何も知らずに曰う奴もいまだにあるが、彼らのような世界で通じているバンドもいるのである。

 

まあ、インストなのでどうしてもニッチなジャンルではあるけど、音楽性も演奏力も楽曲も、世界が唸っているのだ。

 

それでも貧乏旅行みたいな感じで、現地のライブハウススタッフとちょっと揉めたりするのは非常に生々しいドキュメンタリーだろう。

 

このDVDのリリース時には上映会イベントが開催されたんだけど、そこへも足を運んだな。

 

最近は独自のファンアプリを作ったり、その中でオンラインライブ、打ち上げをやったり、全員リモートでのライブを実現したりと、かなり先進的な取り組みも行っているのである。

 

ギタリストの武田さんは行政書士としての仕事をしており、海外で活躍したいというバンドに色々な支援活動もしている。

 

これがまさにインディペンデントというものだろう。

 

 

続いてはこちら。

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ギターとラップという得意な編成のヒップホップバンド、MOROHAのドキュメンタリー『其の灯、暮ラシ』。

 

彼らの編成同様、こちらもやや変わった作風で、Morohaのツアーに密着しているものの、主体となっているのは其の周辺にいる人たちである。

 

MOROHAの音楽は、聴いたことのある人はわかると思うけど、登場するのはいつも普通の人たちである。

 

普通というのは、歴史にも名を残さない、ごく近いい人にしか認識されないいわゆるモブだ。

 

彼女に振られてどうこうとか、仕事が辛くてどうこうとか、ぶっちゃけ視聴者たるこちらからすればどうでもいい人たちのありふれた人生である。

 

ただ、それを通して人生みたいなものが滲み出てくるようなところがあるから、それがドキュメンタリーとしてのおもしろさだろう。 

 

まさにMOROHAの歌う曲はそういう何気ない人たちの人生を曝け出すような側面があるので、そんな表現とリンクしているイメージである。

 

ちょっと荒削りというか、もう少しなんとかすればもっと面白かったんじゃないかなと個人的には思っている。

 

いわゆるバンドのドキュメンタリーを期待するとちょっと違う感じではあるけど、映像作品というもののあり方を考える上では面白い作品ではないだろうか。

 

 

続いては、海外で、ライブではないがレーベルのドキュメンタリー。

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アメリカのオマハというクソ田舎から世界に存在感を放ったレーベルSaddle Creekのドキュメンタリーだ。

 

地元のバンド仲間が集まってできたレーベルだが、所属アーティストがすごい。

 

当時地元のスターで、兄貴的存在だったというティム・ケイシャー率いるCursive、00年代のボブ・ディランとまで言われたBright Eyesコナー・オバースト、そして私が個人的に大好きで、ポストパンリバイバルの代表格の一角でもあったThe Faintなどである。

 

レーベルの立ち上がりから大きくなって、徐々に分解してまた落ち着くまでの激動の時期を移しており、音楽業界の一旦、特にインディーシーンを覗き見るようなところが面白い。

 

初めは友達同士で、好きで集まったにもかかわらず、規模が大きくなれば会社にならざるを得ない。

 

そうすると、当然個人ではなく法人の視点で話をしないといけない場面も出てくるし、音楽家としてどれだけ優秀でも、レーベル運営という視点では問題児となることもあって、そういう葛藤が結構生々しくドキュメントされている。

 

実際当事者たちもインタビューに答えているので、変な蟠りみたいなものはもうないんだと思うけど、大変なんだなとか思ってしまうよね。

 

一般の会社でも成長痛みたいなものは必ずあって、今私のいる会社もまさにそんな状況である。

 

その中で転職を考えてたり、もう少しがんばってみようかと考えてみたり、今まさに迷っているんだけど、そんな状況に何かを考えるには、いい材料かもしれない。

 

 

最後はこちら。

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The Blue Herbの『Total』というアルバムの時のライブDVD・ドキュメンタリー『PRAYERS』、未発表曲もバンドルされた形でリリースされた。

 

彼らは1stの時からずっとインディーズ、自主制作自主運営でやっているんだけど、このDVD、映像作品のリリースも1stの時からやっている。

 

このドキュメンタリーもつくようになったのは確か2ndの頃からかと思うけど、その都度に表現されているものも違って面白い。

 

このアルバムは、まさに2011年の震災後のリリースだけあって、アルバム自体彼らのキャリア史上最も直接的な言葉で語られているため、かなり賛否が別れたし、なんなら非の方が大きかった。

 

正直私もこのアルバムはあんまり聴いていない。

 

彼らの、というよりも特にBossのリリックは常に彼にとってのその瞬間を表現している。

 

だからこそある時急に刺さることもあるし、反面ささらない時は全くささらないこともある。

 

それでも一定以上の普遍性はあると思うけど。

 

で、そうしたアルバムのツアーだけにかなり感傷的なところもあるけど、何より表現者として自分たちには何ができるのか、ということを真摯に考えた結果がパッケージされている作品となっている。

 

彼ら自身北海道の出身ということもあり、被害が甚大だった東北の現状、リリースされた時はすでに世の中的には落ち着きを取り戻し始めており、ニュースで取り上げられる機会も格段に減っていた。

 

もう10年近くも前になるのかと驚くけど、震災の当日にテレビニュースで流れた映像は、今思い出してもゾッとするし、あまりに凄まじくて現実的ではなかった。

 

あの時の映像が今でもやけにはっきりと思い出せるけど、さすがにその映像はもう流れることはないだろう。

 

東京では当時の喧騒ももうなくなって、すっかり日常である。

 

まあ今はコロナだけど、被災地は今でもそれ以前の日常ではないだろうし、このドキュメンタリーの当時もようやく海岸沿いの一部地域の整地がなされた程度の状況であった。

 

福島はじめ、東北地方の箱でもあえてライブをやるという選択肢を選んだわけだけど、エンタメという稼業はどうしてもそういう時に、どんなことをしても何もしなくても批判を浴びる。

 

ましてメッセージ性の高い曲をやっている人たちには、性格の悪い奴らからそういう批判を言葉を浴びるだろう。

 

たとえ的外れだったとしても、彼らは元々がシリアスだから、色々の夋巡も会ったに違いない。

 

今にして見れば、こんなこともあったんだな、という歴史の記録的な側面が強いかもしれないし、音楽的な側面よりも時代についてのドキュメントかもしれない。

 

でも、カルチャーは常にその時の社会状況を反映しているし、密接に結びついているものだ。

 

日本のヒットチャートはあまりそれが見えにくいけど、そうした意識を持って活動しているアーティストもたくさんいるのだ。

 

別に好きになってくれとは言わないけど、常に自分にできること、自分だからできること、自分のやりたいと思うことを大事にしていくというのはとても大事だなと彼らをみていると思う。

 

ちなみにライブパートも最高で、彼らのライブは平気で2時間を超える。

 

ラップなんてただでさえ情報量の多い音楽だけど、それを完璧にやり切る。

 

まさにプロだ。

 

全国をずっと回って、それをやり続けている。

 

すごい人たちだ。

 

 

ドキュメンタリーは、ファンでもなければなかなか見る機会もないだろう。

 

私も興味のないものはなかなかドキュメンタリーまではみようとも思わないしね。

 

ただ、ちょっと違う角度で作られている作品は、映像作品としての面白さもあるから、それはそれでみてみる価値はありである。

 

こんなご時世なので、配信ライブを合わせてこうしたドキュメンタリーも、音楽を違う側面から楽しめるのでおすすめである。


THA BLUE HERB "PRAYERS" TEASER

優しい呪い -downy

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今日は久しぶりの生ライブ、しかもDownyである。

 

ライブ自体、自粛明け早々に行われたアナログフィッシュのライブ以来、Downyはもう1年以上前だ。

 

また青木裕さんもありし頃で、前作6枚目のリリースツアーだった気がする。

 

彼らのライブにハズレなし、しかし体制が変わって初ライブとなるので、尚更楽しみであった。

 

色々の葛藤があったにしろ、こうしてまたライブが観られるのは、やっぱりファンとしては嬉しいのである。

 

今回は配信もされることになっており、チケットは東京公演でも払い戻し対応化可となっていたが、私はもちろん行ったさ。

 

会場はフルの状態に対して4割程度との発表がなされていた。

 

たしか700か800くらいのキャパなので、300〜350くらいだったのだろうか。

 

床には升目に区切られたテープが貼られており、そこから動かないでね、という感じだったんだけど、そもそも彼らのライブにモッシュとかもないから、全然不自由もなかったですね。

 

 

さて、ライブは最新作の曲を中心に演奏されたわけだけど、とはいえ新旧バランスよく織り交ぜられており、特に旧曲については青木さんのパートは打ち込みに置き換えており、新たに加入したSANNOVAさんも非常にいい感じに馴染んでおり、演奏もバッチリであった。

 

以前よりもよりリズム隊の2人の強度がましている印象もあったし、ロビンもギターにシンセにと忙しく切り替えていた。

 

また、最近はMCも少しだけするようになったんだけど、そこでは裕さんについても話がされた。

 

彼が亡くなる前に3つの約束をしたという。

 

一つは、まさに彼が入院したその日のライブをちゃんとやること、もう一つは映像作品を作ること、そしてもう一つはバンドを続けることだったという。

 

一つ目はすでになされている。

 

2つ目は今日、そしておそらく今月末にも行われる配信ライブで映像作品として残すようなのでそこでなされる。

 

そして3つ目は今この瞬間になされているのだけど、それを「やさしい呪い」と表現したあたりに彼らなりの葛藤もみて取れる思いだ。

 

そのMCの後に演奏されたのはアコースティックにアレンジされた”下弦の月”という曲だったんだけど、「月が観てるさ」という歌詞に彼を重ねたのだろうか。

 

基本的には轟音で複雑な楽曲が特徴にある彼らだが、シンプルになるその音は、歌詞もかなり明瞭に聞き取れる分、そうかこんな曲だったんだな、なんて再発見にもなったりしてね。

 

いずれにせよ、全体にバランスもよくて、わかりやすいロックな曲もドラムをしばきまくるこれぞDownyな曲も、全てが素晴らしかったね。

 

 

今回配信の方では、ライブ終了後に新曲が流されたらしい。

 

会場で観た私にはそれは聴けなかったが、代わりと言ってはなんだが珍しくアンコールで2曲もやってくれた。

 

「本当はいっぱいいっぱいだし、普段は基本的にやらないけど、内緒で」なんていいながらやってくれたんだけど、最後の最後までよかったよ。

 

 

彼らは一度解散して、再結成して今に至るバンドである。

 

解散当時はバンド内の緊張感が高すぎて持たなくなった、みたいな話をしていたが、そこから再結成したのは、純粋に彼らがそのメンバーで鳴らす音楽がやりたかったからだろうし、そこからのアルバムは何もめちゃくちゃいいのである。

 

私は再結成後にファンになったんだけど、そのせいもあって最新アルバムの方が好きだ。

 

その中でキーマンでもあったメンバーの死は、音楽以前に大きな衝撃だったに違いない。

 

実際、そんな気分でもないのにその彼から「ライブやってきて」なんて言われたら、そりゃやるしかないし、彼の言葉の表現にもだからこそ呪いのように響いたのかもしれないけど、それがあったから改めてバンドとして前に進むことができて今があるのだろうし、おそらくその言葉がなかったら、Downyというバンドはもうなくなっていたかもしれない。

 

だからこそ「優しい呪い」だったのだろう。

 

目下最新アルバムもその気持ちの中で作られたアルバムだから、ここで最後の約束を果たすことで次に進むのだろう。

 

ひょっとしたら、この機会を持ってまた停止してしまう可能性はあるかなと思うけど、それは仕方ないだろう。

 

それでも、こうして生ライブを観られたのはファンとしては嬉しいし、できればまだまだかっこいい音楽を世に放ち続けて欲しいものだ。


downy - 下弦の月

懐かしさと本質 -Kyono

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季節はすでに秋から冬へ。

 

まだギリギリ10月だが、今年は何かにつけ流れが早いね。

 

ライブイベントがご無沙汰になって久しいが、配信でも見られるのは嬉しい今日この頃。

 

特にライブバンドと呼ばれるような、本当に音楽を生業にしている人たちは音源自体がなかなかないので、特にそれを感じる。

 

でも、やっぱり会場でワッと盛り上がりたいよね。

 

 

先日Kyonoもソロ名義で2枚目のアルバムをリリースした。

 

Takeshiに比べると寡作にも思えるが、考えてみればWagdug名義で2.5枚(1枚はリアレンジなので)、TCLで2枚、EPだがコラボで1枚、そしてソロ名義で2枚なので、なんだかんだコンスタントに作品をリリースしている。

 

いずれも彼の魅力であるヴォーカルをしっかり堪能できる一方で、音楽的には一貫してハードコア、彼の音楽的志向が色濃く出ていると思う。

 

ただ名義によってやはり少しずつ違って、Wagdug Futuristic Unityは活動初期ということもありいろんな要素がある。

 

1stはバッキバキのデジタルハードコア的な曲が占めていたが、2ndはバンドサウンドであった。

 

TCLは複数ヴォーカルのバンドなので、マイクリレーもありKyonoカラーばかりではにないが、1stはパンク色が強く、2ndはメタル的な要素が強かったように思う。

 

そしてソロ名義も満を辞して、という気もしたがむしろなんでソロ出さなかったんだろう、というところもあるけど、そのあたりはインタビューなどで述べられている。

 

 

私はThe Mad Capsule Marketsからのファンなので、彼らの音楽活動は割とちゃんと追っている。

 

Motokatsuさんのバンドは聴いてないけど。

 

マッドの魅力は攻撃的で激しい曲の中にメロコア的なキャッチーでポップなメロディがあって、ハイファイな音の中でKyonoの咆哮が炸裂している絶妙なバランスにあると思っている。

 

今聴いても余裕でかっこいい。

 

それこそSlipknotは数あるモダンメタルと呼ばれるバンドの中で圧倒的な成功を手に入れられたのは、ヴォーカルのコリーの存在がめちゃくちゃ大きかったと思っているんだけど、マッドについてもTakeshiの音楽的な才能や曲自体の良さはもちろんあるんだけど、そこにKyonoのヴォーカルが乗ることで圧倒的な存在感を示したと思っている。

 

それはAA=を聴くとどうしても感じてしまうところだったりする。

 

Kyonoの活動でもそれを感じるところがあって、曲や音楽的なバリエーションはやっぱりTakeshiの方が強いんだなと。

 

実際ソロ1stについては、好きな音楽だけど、個人的にはあんまり刺激を感じることはなかった。

 

私のような旧来のファンにとっては嬉しいけど、どこか突き抜けない感じというか。

 

全体に「やっぱりKyonoはこういう音楽が好きなんだな」なんて思う一方で、アルバムラストのアコースティックな曲が一番いいなと思ったものだ。

 

実はKyonoの書く曲はヴォーカルメロディが優しいのだろう。

 

今回の2ndを作るにあたり、アコースティックアルバムを作ろうという構想も一時はあったというが、個人的には次は是非作って欲しいと思っている。

 

多分、めっちゃいいアルバムできるんじゃないかと思う。

 

 

ともあれ今回の2ndである。

 

前回同様、feat.も迎えており、前回は割と若い連中が多かったが、今回はDragon AshのKjと10-FeetのTakumaなので、マッド直系の世代である。

 

いずれのコラボも彼らをイメージして曲を作ったというだけあって、いずれも非常にハマっている。

 

Kjとの曲は前半は静かなメロウパート、サビではバーンと弾ける構成で、それこそ”公園へあと少し”の曲構成を想起させるともっぱらひょうばんだ。

 

またDAの”日はまた登る”という曲をKyonoが好きだということもあり、そんな風味もある曲だ。

 

Takumaについても、こちらはよりメロコアっぽい感じかなと思うけど、非常にポップでらしさもありつつ、コラボ曲としてはよくできている。

 

全体的な印象は1st同様に、やっぱりKyonoってこういう感じ好きなんだな、と思うわけだけど、よりマッドぽさみたいなものを感じる曲も多くなった。

 

かといってレイドバックしたわけではなくて、肩の力も抜けた曲が多くて、聴いていてとてもいい気分にさせてくれる。

 

曲の展開の中で、マッドっぽいなと思う例の展開やリフがあるんだけど、そこはTakeshiの曲でも感じるので、彼らが共感していた音楽っていうのがそれぞれのソロ活動からも見られるのは、なんだか嬉しいような気持ちになってしまう。

 

彼の曲は全てそうなんだけど、攻撃的なサウンドの割りに歌詞がめちゃくちゃポジティブ、そのポジティブさもチェアフルなものというよりは、今よりもいい未来を願う、祈るみたいなそういう感じかと思っている。

 

だから嫌な気持ちにならないんだよね。

 

この点も2人の共通点でもあって、面白いなと思うのだ。

 

また、特にKyonoの方が強いなと感じるのは、どこか切なさというか、そんな思いをさせるメロディがあると思っていて、それは個人的な経験と紐づいているだけかもしれないけど。

 

 

だいぶ涼しくなってきたこの季節に聴くにも非常にいい感じの爽やかさと、気分を高揚させるアッパーな展開も併せ持っているので、このアルバムは非常に力作だと思う。

 

最近のハードコア系バンドが好きな若い子にも是非聴いてみて欲しい作品である。

 

でもやっぱり、Kyonoの声はいいですね。


KYONO 「SAILING THE LIFE」 Full Ver. Official Video

 

小休止195「配信ライブ」

今週木曜は8ottoが、昨日はアナログフィッシュが配信ライブを行った。

 

どちらも趣向を凝らした映像作品としての配信であった。

 

 

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まず8ottoだが、彼らのライブを見るのはこれまた随分久しぶりだ。

 

アルバムツアーの時は仕事の都合で行けなかったのでとても悔しい思いをしたわけだが、そうこうしているうちにこのコロナだ。

 

しかも彼らは関西に住んでいるので、関東ではみられる機会が限られてしまうという状態だ。

 

インディーズ界隈については、関西のバンドに好きなものが多いため、私にとっては残念なことだ。

 

そのうち関西に引っ越そうかしら。

 

それはともかく、配信とはいえこうして最新の彼らの演奏が聴けるのは嬉しい限りだ。

 

色々紆余曲折もあったバンドでもあるので、こうして楽しそうに音楽をやってくれている姿自体がファンとしても嬉しい。

 

大学生の頃に初めて彼らのライブに行って、ボーカルのマエソンが物販にいたので、日本で1番好きなバンドです、と伝えたら喜んでくれて、こちらとしてはそのまますっと帰ろうと階段を登ったら、そこまで覗きながら、ありがとうね!と声をかけてくれた姿は今でもよく覚えている。

 

かっこいい音楽をやっていても、気の良い兄ちゃんたち、という印象だったね。

 

 

で、そんな彼らのこの配信ライブは、Another Modeと銘打たれ、普段はドラムボーカルのマエソンがマイクのみを持って、ドラムレス、打ち込みを活用したライブを展開。

 

登場の際にDepech Modeの"I Feel You"が流れて意外に思ったが、ニューウェーブ的なコンセプトとModeをかけたのかもしれない。

 

それはともかく、セットリストはオールタイムベスト的なもので、普段のライブのアグレッシブさよりも音的にもややハイファイで、彼らのライブならではの熱量という意味ではやはり劣るものの、映像にも加工をかけるなどしていたことで配信ならではのコンテンツに仕上がっていたのがよかったね。

 

"1977""Riwo"などのデビューからの代表曲もありつつ、『Dawn On』の曲もいい感じでしたね。

 

特に"Rolling"は今の私には滲みるね。

 

MCでもコメントを見ながらやはりベースのToraが話すが、曰くステージがないと自尊心が落ちていく、

それを取り戻したい!といっているシーンがあって、やっぱりバンドマンの大半はモテないことがきっかけではないかと思ったり。

 

それは冗談だが、恐らく生ライブではなかなかやらない演出だと思うので、こういうのはならではであろう。

 

アンコールパートでは通常のバンドスタイルで数曲演奏されたので、いつもの彼らも堪能しつつ、やっぱりライブハウスで見たいなという思いが募るというものだ。

 

12月にはやるようなので、続報に期待だ。

 


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続くアナログフィッシュは、毎年恒例10/10、トトの日のTownmeetingという企画ライブである。

 

これまで長らく恒例となっていたのは、指定席のホール会場でのアコースティックスタイルのライブだったが、休止以降は色々あったりで少し変わっている。

 

昨年は不覚にもチケットを取り損なってしまいいけなかったので、今年こそはと思っていたらこの顛末、どうなるかと思ったら彼らなりの企画として実施に。

 

今年は生ライブではなく、録画、編集した映像作品としての配信で、音もしっかりミックスしており、DVD作品としてリリースされることも発表されていた。

 

会場も江ノ島のオッパーラという、割と著名なクラブで、海に囲まれたロケーションが非常にいい感じのところである。

 

行ったことはないが。

 

彼らは既に何度か生配信ライブはやっているんだけど、今回は敢えて映像作品を作るということを目的にやったようだ。

 

ファンとしても彼らのライブ作品は久しく出ていないので嬉しい限りだ。

 

余談だが、彼らの初のライブ作品は斎藤さんが復帰した年の10/10のライブである。

 

それ以降恒例化したようだ。

 

今回はロケーションもあって全体に落ち着きがあって、会場ライブのようなアグレッシブさとは別な彼らの側面がバッチリ出ていた。

 

最近リアレンジされた、この企画のテーマソングと彼らも言っていた"City If Symphony"が収録されたのもとても嬉しい。

 

セットリストについては強い曲よりは穏やかな曲が多く選ばれており、この辺りの設計はやっぱり企画ライブならではである。

 

全体で90分弱くらいだったのであっという間であったが、酒を飲みながらゆるゆる観るのには素晴らしかったですね。

 

ちなみに、DVDにはプラス何曲か収録されているらしいので、それも楽しみだ。

 

早く届かないかしら。

 

 

Youtube普及以降は動画コンテンツ=無料のもの、という認識がすっかり定着している。

 

私も配信の動画コンテンツに金を払うということが個人的文化においてもないのが正直なところだ。

 

コロナ以降でも、1000円以上の場合、どうしても来場ライブと比較して得られる体験の濃度と比較してしまうわけだが、最近はそれはそれとして受け入れているし、なにより好きなアーティストが立ち行かなくなって音楽を続けられないことの方がファンとしても不幸である。

 

少し前にサカナクションも凄まじい配信ライブをやって話題になったが、大物もそうして配信コンテンツもお金を払うものとして認知活動もしてくれれば、環境はもっと変わっていくだろう。

 

なにをするにもお金はかかるわけで、そこに対する対価は支払われて然るべきなのは当たり前だ。

 

こうした配信系のコンテンツも当たり前に稼げるようになるといいね。

 

そうはいっても、やっぱりライブ現場の熱量とか全身に響く音の振動とか、それは替え難い経験ではあるので、早く生演奏を体感したいですね。

変化がもたらすもの -Chapter24

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私は大学進学とともに地元を出て、関東に暮らしてもうすぐ人生の半分になる。

 

大学の頃に同じく出てきた同級生はほぼ地元に帰ってしまったのだけど、その理由は都会にあると病むということだった。

 

道で肩がぶつかっても謝りもしないし、道を譲っても会釈すらされない。

 

そんな状況でダメになってしまったというのだけど、私はそんなことはなかった。

 

そもそも地元で歩いていて肩がぶつかることなんてなかってし、わざわざ道を譲る必要がないくらい人は少ないからね。

 

もちろん繁華街はあったけど、東京の比ではない。

 

人の多さにはいまだに驚くけど、私にとってはこの近くて遠い感じがちょうどよかった。

 

これだけたくさんの人がいるのに、誰も知っている人がいないんだから。

 

それが孤独に感じられることもあるけど、お互いに知らんない同士なんだから、たいした問題ではない。

 

 

そんな東京について、あるウェブの記事でオードリーの若林が、東京は自尊心を持ちにくいということを言っていて、それについては賛同するところがあった。

 

彼の言う自尊心が持てない理由と私の持てない理由は違うが、確かにこの環境はそれを強く感じると思う。

 

ただ、だからといって田舎にいたら自尊心が高まったかといえば多分そうはなっていない。

 

感覚が鈍って静かに頭が腐っていたんじゃないかと思う。

 

そこには私の求めるものはなかったし、ただただ退屈だった。

 

元々自尊心を持てるようにはできていないので、せめて何か外頑張れる理由や刺激がないと、私は退屈でダメになってしまう気がしている。

 

大学受験の時、なぜかわからないがとても不安だった。

 

不安だったのは受かるかどうかではなくて、受からなかった時に私はまたこの環境で1年以上過ごさないといけないと言うことが。

 

親とは仲が悪かったわけではないけど、とにかくそこから出たかった。

 

その後、今にして思えばこれも私のサガなんだと思うが。

 

何かしらの変化がないとダメなのだ。

 

私はまた仕事を変えようと思っているが、プライベートでは何も変化がないので、仕事にそれを求めているのかもしれない。

 

直近異動があったが仕事内容は変わらないので、せめて自分が取ってきた案件や関わっている業務で、これまでと違うことをしてみたり、他の人が動いてくれないので自分でやったりしている。

 

でも、根本は変わらないから詰まらないのだ。

 

多少変わっても、それは別に私のやりたいことではないし。

 

 

私が高校生くらいの時から聴いていた曲で、やけに好きで折に触れて頭の中に流れるのが、Pink Floyd の1stに収録されている"chapter 24"という曲だ。

 

Change return success, Action brings good fortuneという一節がずっと頭にある。

 

シド・バレット在りし頃の名盤だ。

 

東京は常に変化している。

 

田舎も変化してるけど、アハ体験みたいな速度だからね。

 

とはいえ、変化の仕方の問題はあるけどね。

 

 

私の人生はここ何年も変化がない。

 

ないわけじゃないけど、求める変化ではないんだろうな。

 

おかげさまで社会人としてのレベルはだいぶ上がったけど、だからなんだという話だ。

 

こうなれば死んで後悔する手前まで、ふらふら生きて行こうかと本気で考えている。

 

それくらいしか人生に刺激がないのかな。

 

お金に困るのは嫌だけどね。

 

 

とりあえず、あと何年こうして過ごすのかな。

 


Pink Floyd - Chapter 24