有名人の死というのは、時代の変化を感じさせる要因の内でも大きなものであると言える。
先日忌野清志郎が死んでしまったことは、世間的にも非常に大きな衝撃であった。
個人的には彼の音楽をまともに聴いたことはなかったし、むしろ俳優としての彼を目にする機会のほうが多かった。
それでも彼が死んだというニュースが流れた時には、そんなまさか、と思ったものだ。
永らくガンであったことは知っていたし、それがためフジロックをキャンセルになったこともあった。
その後復活して、再びライヴができるようになったときにはすごい精神力と思ったし、素直にかっこいいと思った。
変わらない変わり者、という印象のおっさんであった。
それでも死んでしまったのは事実であり、それが切なくもあり、諸行無常とはそういうものだと言うことを思い知らされるような思いであった。
既に21世紀になって10年がじき経とうとしている。
私が高校時代に聴いていたミュージシャンと言うのは、大半が当時の流行とかではなく、既に伝説であったり古典のようになっていたバンドが多かった。
その中の一つがPink Floydである。
King Crimsonからはいったプログレで、次に手を出したのがフロイドであった。
最初は王道の「狂気」を買った。
CDっを買ったときに、レジのおじさんに「こんなのおじさんが君くらいのときに聴いてた奴だよ」なんて言われたのを覚えている。
周りには聴いている奴はおろか、知っているものすらいなかった。
当時は今ほど大量に音楽を聴いていた訳ではないし、何がすごいのかもよくわからなかったが、それもかっこいいなあ、と思ったものだ。
当時も今もそうだけど、有名どころからまずは入って、その後デビュー盤にさかのぼる、ということを私はよくする。
デビュー盤には、バンドの結成当初の熱意とかが一番盛り込まれていると思っていたからである。
このことは結構当たっているもので、デビュー盤が好きになれない奴は大体あまりのめり込むことはない。
The Faintだけは今のところかなり例外だけど。
ともあれ、フロイドについては音楽性がデビュー盤ではかなり異なっていたため、はたしてそうした流れに素直に沿うかはいささか疑問ではあるが、かなり気に入った。
彼らのアルバムの中でも一番好きなくらいである。
結成当初は、シド・バレットが音楽的なイニシアチヴを握っていたため、サイケ色満開のふわふわしたおとぎ話のような世界観を提示している。
サイケデリックというものの初体験である。
その奇妙な浮遊感と、緊張感のまるでないくせに、曲によっては極めてピリッとした引き締まりを見せるのがすごく引きつけられた。
当時は聴くものすべてが新鮮でした。
ゲヨ~ンゲヨ~ンとした音世界は極めて異質で、それだけでも面白かったんだけど。
このアルバムの歌詞については、絶対クスリのせいだろ、としか思えないような部分があるが、時に非常に印象的な言葉もある。
今でも大好きな、というか、ふとした拍子に頭をよぎる一節がある。
"Chapter 24"という曲の歌詞なんだけど、「Change return success, going and coming without error. Action brings good fortune. sunset...」という部分。
実際には何を唄っているのかよくわかってなかったけど、この一節にはひどく勇気づけられた記憶がある。
良かったら是非訳してみてください。
今の時代に必要な精神と、それをそっと応援してくれるような内容である。
と、私は解釈しました。
また、"Scarecrow man"という曲は、麦畑にたたずむ案山子についての歌なんだけど、目の前に情景が浮かぶような曲である。
子供の世界はひょっとしたらこういう世界なのかも知れない、なんて思うところも。
曲で言えば、インストの"Interstellar Overdrive"はめちゃくちゃかっこいい。
この曲だけやたら引き締まっていて、邦題は「星空のオヴァードライヴ」とかなっているんだけど、この邦題はすごく合っている。
ほんと、昔の邦題って言い得て妙だよ。
当時既にシドはLSDをかなりやっていたらしいので、いかにもな曲もあるけど。
やたら性急で、非常に焦っているようで、逆に奇妙に客観的というか、そんな困った状態の自分を第3者的視点から見ているような曲もあって面白い。
このアルバムの後、ほどなくしてシドは向こう側の人になってしまう。
LSDの過剰摂取でまともじゃなくなってしまったらしい。
それでも、ソロで2作ほど残している。
それらは今でもサイケデリックという分野においては非常に高い評価を得ており、今なお影響を受けたと公言するアーティストも一人や二人ではない。
私はあいにくまだ聴けてないんだけど、そろそろ手を出そうと思っている。
このシド・バレットは、その後思いのほか、と言ったら失礼かも知れんが、2006年、60過ぎまで生きた。
その彼の追悼の意味も込めて、今一度メンバーが集ったのがライヴアースというイベントである。
それでも、全員が集うと言う世界中が待った瞬間は訪れないままであった。
その後もずっと準オリジナルメンバーでのリユニオンの話は持ち上がったが、ほどなくしてもう一人、リチャード・ライトもガンにより他界してしまう。
それにより、ついに長年お夢は夢のまま終わってしまう。
時間と言う奴が無限ではないことが否応無しに突きつけられた、そう感じたファンはかなりいたであろう。
若くして死するアーティストもロック界には多くいる中にあって、彼らの死と言うのは必ずしも早すぎる訳ではないのかもしれない。
いくら医学が発達しても、人が死ぬことを止める術はまだ見つかっていないし、人に死をもたらす病をすべて直す術もある訳ではない。
清志郎もガン、リチャードもガン、90年代の終わりには、フランク・ザッパもガンで他界している。
彼らは病気により死んだ訳であり、自ら破滅に向かった訳ではない。
だからこそ、人は彼らを伝説とすることを拒否するし、突然の死には納得できない。
それでも、死ぬときには死んでしまう。
それが生命というものであり、それだからこそ彼らの病気との戦いが、周囲の人々に勇気を与えることにもある。
でも、こうしてすごく魅力的な人が死んでゆくと言うのは、やはり寂しいものである。
きっと当人たちは、もっとやりたいこといっぱいあったのになぁ~~と、悔しがっていることであろう。
それでも後悔はしていないんじゃないかな、とは思うけど。
そういう生き方を、したいものである。