音楽放談 pt.2

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都会的であるということ -cero


cero / Poly Life Multi Soul(Live At Zepp Divercity Tokyo 2018.06.17)

 

私の地元はいわゆる田舎の地方都市といった風情のところで、暮らす分には特に不自由はなく、自動車移動が基本で、朝夕は少し道が混むが渋滞という概念のあまりない、つまりそんなに人も多くない場所である。

 

一応県下では3番目か4番目くらいの規模は当時あったと記憶しているが、特に遊ぶところもないし、飲み屋もあまりない、繁華街に出るにしても車がないとどうしようもないようなところだったので、いずれにせよ酒なんてそんなに飲んでいられない。

 

もっとも大きな街道でも夜8時を過ぎればほとんど車の通りもなくなるくらいのところなので、蛇行運転しても事故はそう起こらないくらいだ。

 

田舎の夜は早いのである。

 

地元に住んでいた頃は、東京の暮らしなんて全く想像ができなかったし、テレビで見る東京は新宿、渋谷のような場所ばかりだったし、高層ビルに囲まれた世界は文字通り向こう側の世界であった。

 

それが今では平気でそのど真ん中の会社に勤めて、毎日地下鉄を乗り継いであちこちしているわけである。

 

まして私の父はいわゆる建築現場などで働いていたので、仕事着としては作業着しか見たことなかったので、スーツで働いている人を見た記憶がない。

 

学校の先生はスーツだったりジャージだったり様々だし、子供の頃に見ていた世界はそういうのとは全く別に感じられていた。

 

だから、自分が働くとなった時にスーツを着てネクタイを締めてというのが、たまに不思議に感じることが未だにある。

 

むしろクールビズが叫ばれる昨今だし、会社的にもネクタイをしている人は少ないけど、私は必ずしている。

 

夏でも。

 

完全にスイッチみたいな感じになっていて、それがないとなんとなく緊張感が出なくて、自分の中でだらだらした感じになってしまうのでよくない。

 

それはともかく、そんな都会暮らしをしてもうだいぶ経つけど、未だに「東京って人多いな」と思うのは変わらないから、ひょっとしたら慣れていないのかもしれない。

 

でも、楽しいこともたくさんあって、私は音楽聴いたりプロレス見たり美術館に行ったりするのが好きなので、そうした娯楽にあふれているのはやはりここなんだよね。

 

今地元に帰っても、私はきっと退屈してしまうだろう。

 

 

そんな田舎者だからかわからないが、音楽を聴いていてもなんとなく都会的だと感じるものを憧れも込めてなのか結構好きなのである。

 

このブログでしょっちゅう出しているアナログフィッシュが好きな理由の一つは、彼らが元々長野県の田舎出身で、その視点で歌われる都会の風景が絶妙に共感するからである。

 

一方でなんとなくオシャレというか、洗練されているというか、そんな印象を受ける音楽があって、それがYogee New Wavesだったりceroだったりする。

 

彼らは確か東京で生まれて東京で育ったメンバーである。

 

その本質が一体なんなのかはよくわからないけど、こうして東京で暮らしていると都会的だと感じるようなところがなんとなくあるのだ。

 

どこか客観的というか俯瞰的というか、とてもオシャレに聞こえるし、ポップだし、なんていうのか、カラッとしているんだよね、いい意味で。

 

嫌味じゃないセンスがある。

 

なんだこれはと聴きながら思うんだけど、一方で面白いのはどこか虚無感というか寂しさというか、ちょっとだけ影を感じさせるようなところがあるように感じるところだ。

 

それってなんだろうと考えたことがあるんだけど、思うに人との距離感の取り方がだいぶ違うのかなということである。

 

よく言われることだけど、田舎の人間関係はウェットであるということ。

 

理由は、昔ながらの村社会的な価値観が強く残ってしまっているからで、そこにいる人の属性が変わらないから伝統として維持されている結果であろう。

 

それに対して東京なんかはいわば移民の街である。

 

東京出身の人の方が多いのだろうけど、少なくとも他の地域に比べれば出自の多様性は明らかにある。

 

それにあれだけ多くの人と日々すれ違うし、駅で肩がぶつかることなんて日常茶飯事だ。

 

満員電車で他人に遠慮していたら乗り込むことはできないからガンガン詰め込んでいくしね。

 

だから、ほんの一瞬しかすれ違わない他人のことにいちいち拘っていたらやっていられないのである。

 

実際私も、大学受験で初めて満員電車に乗った時にはあまりに圧迫感で貧血になり、途中下車して少し休んでからまた電車に乗り込んだ記憶が未だに残っているし、こちらに出てきていた高校の頃の同級生はほとんど地元へ帰っていった。

 

私は元々そんなに人と深く関わるタイプではなかったので、これくらいの方が気持ち的に楽なんだろうなと最近では思っている。

 

考えてみれば高校生の頃から人とつるむことがあんまりできなくて、1人でいる方がらくだったものだ。

 

でも、たまに寂しい気持ちになることもあって、そんな風情を彼らの音楽からは感じるのかもしれない。

 

というか、私にはそう感じられるというだけの話なんだけどね。

 

 

さて、ceroの話だけど、私は彼らの熱心なファンというわけではないんだけど、最近は特に好んで聴いている。

 

前作『Obscure Ride』が各音楽メディアでも絶賛され、また音楽的にも大きな転換だ、みたいな紹介のされ方もしていたので、その辺りから聴き始めている。

 

実際それ以前のアルバムもいい感じに肩の力が抜けながら、いかにも都会的で洒落た音楽だななんて思って聞いていたけど、件のアルバムはもう少し温度感もあってなんだかグッと自分に寄ったように感じたのだ。

 

特に"Summer Soul"はなんか妙にグッとくる曲であったね。

 

友達少ないし、別に夏の甘酸っぱい思い出なんてないんだけどね。

 

そこへきて現時点での最新作『Poly Life, Multi Soul』が最近とても気に入っている。

 

前作の大成功の後なので、評価はまちまちとなっているけど、個人的には好きなタイプの音楽だ。

 

前作と比べるとメロディアスな要素は減っているし、なんとなく散漫な印象もないではないけど、そのことで少しドライな感触が増えつつ、なんといってもラストのタイトルトラックがとても素晴らしい。

 

ベースの静かながら跳ねている感じ、ヴォーカルの熱量(低めな感じ)、曲の展開、抽象的な歌詞、そしてどこか寂しさをたたえたフィーリングがとてもいい。

 

8分を超える長尺だけど、イントロだけで痺れるし、曲が展開してもどんどん気持ち良くなっていく。

 

どんどん参加楽器も増えて祝祭感も出てくるのもいいし、こういう構成の曲が好きなんだろうな。

 

でも、やっぱりベースがいい。

 

同じフレーズを繰り替えているんだけど、他の楽器がどんどん展開していく中でひたすら地を支えてムードを作っている感じかな。

 

派手にドカンとサビがあるわけでもないけど、聞いていると気持ちが高揚してくる。

 

抑圧しているものがどんどん解放されていくような感覚があるのかもしれないな、なんて思うわけである。

 

 

都会といっても、大半は田舎者の集まりなので、中にはこれが合わずに帰っていく人が多い。

 

元々都会で育った人にはそうしてその枠の外側にスッと抜け出すことも難しいし気合がかなりいるだろう。

 

だから、そういう距離の取り方になるんだろうなということを勝手に思っている。

 

もちろん全員が全員そういうわけはないんだけど、自分とひょっとしたら近い属性の人は都会で育つとこういう感じになるのかな、なんてね。

 

まあ、それでも私がオシャレになることはなかっただろうが。。。

 

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