音楽放談 pt.2

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道を照らす -There She Goes La La La

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最近私は変態なのではないかと思うことがあった。

 

何かというと、私は絵を見るのが好きなのでしばしば美術館などへ出かけては絵を眺めているんだけど、しょっぱなから 下品で申し訳ないが、絵を見ていると勃ってしまうのである。

 

いつからかわからないが、この絵いいなと思っているとね。

 

必ずしも裸婦の絵とかそんなことはなくて、風景画でもそうである。

 

理由がわからなかった。

 

私はついに自分が壊れてしまったのかと不安になったものだが、ふとその時ある言葉を思い出した。

 

「音楽や芸術の嗜好性は、性的な嗜好性と似ている」というもの。

 

須く芸術的な探究は、性的欲求に結びつくみたいな。

 

だから、自分の好きなものを掘り下げていく姿勢はある意味ではそうした開発に勤しむに似ているというわけである。

 

 

突飛な考えだと思う人が大半だと思うけど、私は妙に得心した記憶がある。

 

私は下ネタもそうだし、自分のそうした部分を人に話すのがあまり好きでない。

 

そもそもそんなに経験値が豊富でもないから突っ込まれると嫌なのはあるけど、そもそも恥ずかしいし、別に話して楽しいとも思わないからだ。

 

一方でこれだけ好きな音楽の話についても、根本のところや、本当に好きな音楽についてはあまり話さない。

 

話すとしても、好きなアーティストとして紹介するだけで、好きな歌の好きなポイントまではまず話さない。

 

理由は簡単で、恥ずかしいからだ。

 

元々積極的に自己開示をするたちではないけど、こんなブログで好き勝手書いているくせに流石に目の前の人にそれを伝えるのはとてつもなく恥ずかしいのだ。

 

やっぱり、そこに自分の価値観や物の見方などが色濃く現れてしまうと思っているからだろう。

 

実際日本語の曲であればあるほどにそれは顕著で、人前で裸になるようなものだと感じている。

 

それは、私自身のこうした音楽とか絵画とかへの向き合い方を暗に表しているんだろうなと思う。

 

 

そんな考えを持っているので、人の聴いている音楽を聴くのが好きなのだ。

 

どんなアーティスト聴いてんの?どんな曲好きなの?なんで好きなの?とめっちゃ聴く。

 

人によってはそんなに深い理由はない、という人もあれば、切々と語ってくれる人もいるわけだが、中には流行っているから聴いているだけだ、なんていう人もいると、急にその人への興味が失せてしまうところがある。

 

それが嫌なので、人とはあまり音楽の話はしないようにしている。

 

別にこういう音楽が好きな人はこうだ、みたいなチャチな心理テストみたいなことはしないけど、いずれにせよそこには色濃く出てしまうと思っている。

 

 

そんなわけで、このアーティスト本当好き、となると徹底して好きになってしまうし、価値観があってるなと思ってしまったらもうダメである。

 

なにせ性癖だから。

 

そんな具合に私を痺れさせてくれるアーティストの中で、今一番なのはやっぱりアナログフィッシュだ。

 

音楽的にもどんどん更新されていてかっこいいし、歌詞がまた最高なんだよ。

 

彼らは3人組のバンドで、うち2人が同郷の出身者で作詞・作曲をできてヴォーカルも分け合っているという非常に変わったバンドだ。

 

ビートルズみたいだろ。

 

それぞれに色があって本当にいい曲を書くんだけど、そのうちのギターを担当している下岡さんの歌詞は時に示唆的で非常に鋭い。

 

あの呂布カルマもファンを公言するくらいなのだけど、今みたいに情勢が不安定になったり、社会不安が広がったりする時ほどその鋭さが際立つ。

 

それこそ震災の時には”抱きしめて”という曲が圧倒的な輝きを示していたし、その後の世界では”Phase””Hybrid”などがヤバかった。

 

まあ、曲そのものがいいんだけど、時代と相まってはまり方がすごかったのだ。

 

「失う用意はある?それとも放っておく勇気はある?」なんて、日本人に対していつの時代も投げかけられる圧倒的なスローガンだ。

 

最近では至極ありふれた日常の風景を描きながら、そこに浮かび上がってくるリアリティがすごい。

 

もはや文学である。

 

 

そんな彼らの曲は好きなものが本当に多いんだけど、今回の紹介はこの曲。


アナログフィッシュ(Analogfish) "There She Goes (La La La )" (Official Music Video)

アップリフティングで、とにかく幸せで浮かれ切った瞬間を切り取ったような曲なんだけど、私はこの曲を聴くとどこか寂しい気持ちになる。

 

この曲が収録されているのが『最近のぼくら』という曲なんだけど、このアルバムは全編に渡ってどこか喪失感というか虚無感というか、そういうものが漂っているなと感じていて、他にも”Wednesday”という曲なんかも絶妙だ。

 

はっきり言っていい曲しか入っていないんだけど、ノーテンキなくらいのイントロと歌詞にもかかわらず、全体に音の密度も低く、また終わり方も急にさっと終わる感じがなか切ないのだ。

 

幸せっていう瞬間はいつでもこういう感じなのかな、なんて思うのだ。

 

だって、それは永遠には続かなくて、どこかに終わりがあるから。

 

でも、人生においてはそんな束の間でも幸せな瞬間があれば、それをまた求めて頑張れる物なのかもしれない。

 

楽しい瞬間は瞬間だから楽しいわけだし。

 

 

最近はまた急に世界が不安に包まれてしまっている。

 

私も街を歩いてもスーパーへ行っても、なんだか悲しい気持ちになってしまう。

 

この歌で言われるような彼女がどんな存在なのかわからないけど、そうして颯爽と世の中を照らしてくれるようなことが早く起こらないかなと思うわけだ。

 

仕事はリモートになって快適だけど、閉塞感は好きじゃない。

 

ところで、こういう時に女性がある種の象徴で用いられることが多くて、そのことについての批判とかもどこかであるのかもしれないけど、やっぱり女性の方がキラキラして見えるし、華やかでいいなと思うんだよね。

 

 

ともあれ、悲しいことも多いけど、なんとか生き延びて行きたいよね。