音楽放談 pt.2

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平行線の交差点 -平行

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私は音楽と同じくらいプロレスも好きなのだけど、昨日はとても悲しいニュースが飛び交った。

 

具体的には書かないけど、何かと話題になることが発端になったらしいと言われている。

 

こういうのって本当にただただやるせない気持ちにさせられる。

 

 

こうした事件が起こると、その周辺の人や事象に共感を示すものや、批判を繰り広げる人もたくさんいて、特に同じ立場にいる人たちは自身の体験もあって切に語っているだろう。

 

そしてよく言われることの一つが「同じ人間なんだから」という言説だ。

 

芸能人だから批判されるのは仕方ない、SNSをやっているんだからそういう覚悟を持ってやるべきだ、という言説に対する批判としてなされるわけだけど、個人的には説得力のない言葉になってしまっているように感じる。

 

残念ながら同じ人間ではないし、わかり合うことはできないんだから。

 

別に屁理屈をこねたいわけでもないし、シニカルが言いたいわけじゃない。

 

根本的に人は分かり合えないと思っているんだけど、違う価値観のやつには違う言葉でないと通じないだろう。

 

そもそも言葉が通じるのかどうかもわからないし、彼らにしてみれば一方的に知っている有名人がどうなろうが知ったことではないという価値観で生きているんだから、残念ながらお同じ立場の人が何を 言っても届くはずがない。

 

一昔前にオンリーワンだなんだという曲が流行ったが、それはそれぞれにとっての都合の良い自己肯定でしかなくて、単に自分勝手を許容するだけの世界になったんじゃないだろうか。

 

まあ、自分は特別じゃないという自意識があるから翻って特別に見える人を叩いても良いと言う謎のロジックなのかもしれないけど。

 

 

毎日イラつくことはたくさんあるし、テレビの向こう側のタレントだったりについ不快感を抱くこともある。

 

はっきり言って嫌いな歌も曲もあるし、好きじゃないアーティストもいる。

 

でも、そういうものとは関わらなければ良いだけだし、殊更それを表明することに何か意味があるのかと思ってしまうが、私はそう思うだけでそうは思わない人がいるからずっとこういうことはなくならないし、誰かが正論っぽいことを言ったところで多分何も変わらない。

 

人の善意なんてものは限定的だと思うし、善悪自体が相対的なものだと思うから、正しさも常に同じ判断になるとも限らないだろうと思う。

 

そういう中でどうしたらもっと暮らしやすい世界になるのかな、なんてことをたまに考えてみることもあるが、私は他人は他人で同じじゃないし、分かり合えないことを前提にしないと、議論は終わらない気がする。

 

自分の嫌がることを人にしてはいけないというが、嫌がることは人によって違うし、反対に喜ぶことも違う。

 

常にその認識を前提にしないと、一方的な善意を押し付けられることにもなるし、反対もしかりだ。

 

そういう前提の中でコミュニケーションをする中で、少しだけ交差するポイントがあれば、それで十分幸せなんじゃない中と思うんだよね。

 

 

こういうことを考えている時にふと浮かぶのが、アナログフィッシュの”平行”という曲。

 

「平行の上に立っていた。交差する点を待っていた。平行の線が交差する点をいつも僕は探していた。」という一節があって、この手の議論をみているといつも平行線と一緒にこの歌詞が浮かぶ。

 

冒頭では「君の意見と僕の主張は平行し、熱を帯びてく君の言葉の閉口する」「僕の体と君の体は平行し、抱きしめた時、だからなんだか安心する」なんて歌詞もあるんだけど、言葉一つ一つを拾ってみてもとても味わい深い曲だと思う。

 

こちらも別途話題の政治的なコンテクストもあるんだけど、だからこそホットな曲でもあると思う。

 

まあ、こんなことをいう私の意見も所詮私がそう思う以上の意味なんてないんだけどね。


アナログフィッシュ - 平行