音楽放談 pt.2

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ええかげんにせんと気い狂って死ぬ -INU

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先日仕事先の担当者を話をしている時に、不意に政治の話になった。

 

例のトウキョウアラートってなんなんですかね?(笑)みたいな話をしている中で、向こうがつい口をついたように話はじめたのであった。

 

私は別になんの話題でもそれなりに受け入れることはできるので「政治の話しても大丈夫です?」と聞かれても「大丈夫っすよ」と言って聞いていた。

 

まったく政治についてはわからないのだけど、そんな話の中で図らずも共感したのが「日本人の精神論で輪を作ろうとする態度が気持ち悪い」という点であった。

 

かの震災の時にもでてきたし、今回のコロナにおいても似たよな事象が起こっている。

 

日本の奇跡などと言われる状況について、アジアで見えばワーストのレベルであるのはすでにあらゆるところで報じられている事実だ。

 

にもかかわらず、連日テレビでは日本人の勤勉さだ真面目さだということを取り沙汰しては称揚して見せる。

 

テレビが旧世代のメディアと言われる由縁だろう。

 

現実の問題は何一つ解決されていないのに、なんだか訳のわからない達成感。

 

馬鹿かと。

 

かつてのスローガン「頑張ろう、日本!」も、それで勇気づけられた人がいるならその感情まで否定するつもりはないけど、何を頑張るっていうんだっていうね。

 

個人の力ではどうしようもない問題が起きた時にこそ力を発揮するべきなのが政治だとしたら、こうしたキャンペーンって結局個人の努力に依存することを宣言しているような感じがするし、それに意気揚々と乗っかる国民性はどうなのかと。

 

この間も、芸能人が政治の話をするな!などということが話題になったが、芸能人に限らず本来ならもっと関心を持ってしかるべきなはずである。

 

なぜなら、政治は生活だから。

 

なんていいながら私も全然勉強してないからえらそうなことはいないんだけど、少なくともそうした人の発言は否定しないし、むしろじゃあと言って問題点を自分なりに調べるようにはしている。

 

それこそ最近話題のSNSでの誹謗中傷の是非についても、あいつは言われてしかるべきだ!みたいな正義感があちこちにでているし、結局みんな自分は正しい、正義の側にいるということを確かめたいだけなのだろうなという言説がしばしば見られる。

 

ああして自分の正義を振りかざす人ってなんなのだろうか。

 

そして、そうして正義を振りかざす時いちいち攻撃的で、排他的なのは一体なんなのだろうか。

 

どいつもこいつも自分は特別だと思っていて、だけど本当はそうじゃないことをわかっているから、裏返って自分の正義を証明したい気持ちになるのだろうか。

 

そして、それに少しでも否定的な見解があれば全力で殺しにかかるような、そんな風景が浮かぶ。

 

そういう病気があるんだろうか。

 

 

やっぱり世界平和って実現不可能なんだろうなと思うのはこういうところで、みんな自分の世界を守るのに精一杯である。

 

かくいう自分もそれは否定できなくて、でもアンビバレントな思いにかられることもあるからはなから人とあんまり関わらないようにしてしまっている。

 

そうしないと、ついイラついたり言い負かしたい気持ちになったりしてしまうから。

 

こんなことを言っている私自身、エゴが強い方ではあるんだけどね。

 

 

日々の仕事でもやらないといけないことはたくさんあって、それを社畜だなんだという馬鹿もいるが、大きなお世話だ。

 

ほとんどの場合、そういう言葉を使うやつは生産性は低いし、言っちゃ悪いが社会においての貢献度の低いし、周りから必要ともされていない。

 

そもそも社畜という言葉自体が、そうした劣等感を誤魔化すために生まれた言葉だろう。

 

会社の中でも得意げにそんなことを言っているやつは、会社の中で誰にも相手にされていないやつばっかりだし、「じゃあ辞めれば?」というと決まって罰の悪い顔をする。

 

誰よりも自分自信がそれをわかっているからに他ならないだろう。

 

 

どんな事情でも、人のことを攻撃することで得られるものなんてそんなにない。

 

そりゃ誰かがむかつくことも、そうしても気に食わないことはいくらでもあるよ。

 

私も会社で、キャリアだけ見れば私も憧れるくらい輝かしいものを持っているのに、社内評価ではどこの馬の骨でもない私の方が実績もあげて社内評価も高い現実があるので、そいつがえらそうなことをのたまったり、人のことを批判的に述べているのを見ると本当にむかついている。

 

だけど、そんな話は酒でも飲みながら気の合う同僚と愚痴を言い合うくらいにしておいて、みんなのいる場面ではどうしたらもっと全体がうまく回るかを考えるし、そういう目線で会話をする。

 

それは小さい範囲での政治だと思うし、だからこそ大事なんである。

 

社会は個人の集合体だけど、個人ではない。

 

そのバランス感覚が健全に養えていないのは日本人の不幸だろうし、だからこそ政治の話題は嫌悪されるのだろう。

 

それはそれ、これはこれ、というのが普通だと思うし、ちょっと考え方が違っても、友達が敵になることはそんなにないだろう。

 

それはそれとして受け入れるということができないと、結局価値観のぶつかり合いはなくならないし、いつまでの平行線のままになってしまうだろう。

 

自分の正しさを主張するばかりじゃ、何も生まれないよね。


気い狂て INU