最近家にいる時間も長いし、元々多くもないがさらに人と会う時間も減っている。
性分として別にストレスはないんだけど、以前にましてひたすら仕事をしているだけの日々である。
おかげさまで給料も減っていないし、むしろ以前よりも忙しい。
クライアント先ではここ2ヶ月まともに仕事がなかったというところも少なくなかったが、リモートになってもならなくてもずっと仕事をしているし、6月は土日もほぼ稼働していたので本当にずっと仕事していた。
好きなライブもなければ美術館も閉鎖、私の趣味の大半はそうした鑑賞するものなので、ずっとPCやスマホを見ていたな。
そんな日々を別になんとも思ったこともなかったが、日曜日の夕方に買い物をした帰り道にふと虚しくなるような瞬間があった。
不自由ない程度の給料はもらっているし、暮らしに困ってはいない。
貯金はないがちょっとその気になって節約すればそこそこたまるだろう。
しかし、このハードワークな日々の中に自分以外がいなくて、なんだか虚しくなるんだよな。
結局この人生はどこに続いているのかわからないし、このまま日々にあくせくしながら歳をとっていくのかと思うと、果たしてこの人生とはなんなのか、なんて思うわけだ。
だったら結婚でもして子供でもいれば、きっと違うんだろうなと思うことはあるんだけど、果たしてそんな理由で他人の人生を預かっていいものか、なんてめんどくさいことを考えてしまう。
そんな気負いが私にはないんだろう。
さて、そんな私にとって人との関わり方で幸せなあり方ってなんだろうかと思うと、何気なさに幸せを感じられるかだどうかである。
こういう休日の買い物の帰り道とか、何気ない会話とかね。
サプライズとかできないし、特別なことなんてできないんだよね。
だから、それを求められるのはしんどいのだ。
まあ、この年になればそんなことも求められなくはなると思うけどな。
ともあれ、やっぱり好きな曲ってそういう価値観の曲になるし、激情的な曲はピンとこないことが多い。
好きな曲でよく紹介しているのはアナログフィッシュの曲だけど、ふと聴いていてこの景色はいいなと思ったのはOgre You Assholeの"記憶に残らない"という曲。
7 記憶に残らない - Ogre You Asshole - 100 Nengo
この曲が収録されているのが『100年後』というアルバムで、彼らのキャリアを一気に押上げた3部作の2作目だが、全体的に終末感があるんだけど、その中にも穏やかな曲もあって、その1曲がこの曲である。
笑ったり、はしゃいだり、そんなあなたがいい。
記憶に残らない。
何気ない日常っていうのは殊更に意識されないし、毎日の繰り返しはいちいち記憶には残らない。
ただ、この曲は全体のムードとしてはアルバム同様かなり悲しい感じというか、メロディも喪失感が強い印象だ。
歌詞の最後の一節も
あなたがいう(いつもの声で)
どこかへ(いつもの場所へ)
あなたと(何も変わらず)
行けたら(何も起こらず)
僕がいう(いつもの声で)
どこかへ(いつもの場所で)
誰かが(何も変わらず)
待ってる(何も起こらず)
と思っている
という形で終わっている。
アルバムタイトルや他の歌詞、曲からすると、先にも書いたように終末的な世界観だと思っていて、結局これが現実だったのかどうかという確からしさや、あるいはさっきまであったと思っていた世界のあやふやさみたいなものを感じる。
調べたら、彼らのインタビューで答えていますね。
↓ぴあのインタビュー
http://chubu.pia.co.jp/interview/music/2012-11/ogre-you-asshole.html
その意味で言えば幸せなテーマではないと思うし、結局今はそれはないんだろうなという感じしてしまう。
このアルバムについては以前にも書いているが、その印象は今でも変わらないがより印象がシャープになったきがするな、自分の中で。
今の社会情勢は焦点のはっきりしているようでしていない何かにずっと追い立てられている気がする。
コロナにより新しい生活が叫ばれて、かつて3.11の時には手を取り合ってと言われていたのが今では人と人は距離をとって、なんて言われている。
まあ物理的な話と精神論的な話で軸は違うんだけど、それが政府的なスローガンになってみんな意気揚々と乗っかる様は正直笑えない。
私は仕事柄今のご時世に乗っかる営業トークもしているけど、空虚しい気分に最近では苛まれている。
新しい暮らし、新しい価値、テレビでも書店でもそんな言葉が踊るけど、新しいという言葉がこれほど空寒いのはなかなかないだろう。
ニューノーマルという言葉まで生まれているんだけど、なんだそれって。
薬が開発されていない今は不安の塊だからそうなるんだけど、もし薬が開発されたらまた以前の暮らしに戻るのだろうかという話はあるが、多分そうはならないのではないだろうか。
人によっては、不要なコミュニケーションをこれを機に全て切ったという人もあるというし、こと仕事においてはリモートで全く問題ないし、画面越しの商談にももう慣れた。
そんな日々を暮らしていると、現実の所在がわからなくなる瞬間が増えたし、生身の感情だったり世界がなんだか遠くに行った気になる。
ともあれ、このアルバムのように100年後の世界なんてどうなるかわかったものではないし、今この瞬間も世の中は動いていて、引き続き絶望的な環境の中にいる人の方が多いだろう。
世界平和を願うくらいはするんだけど、みんなが幸せになることはないのがこの世界だろう。
せめて自分の近しい人だけでも幸せであれと思うんだけど、そんな人はほとんどいないから、引き続き私は世界を悲観的に眺めているのだろうか。