ここ数日のホットな音楽ニュースといえば、Rock In Japan Fesの開催中止の件だろうか。
昨年は開催中止だったが、今年は開催予定としてアーティストの発表もほぼ終わり、開催1ヶ月前というこのタイミングでのアナウンスは非常事態感が強いよね。
何より、主催者の長文での中止判断に至る経緯についてはあちこちで紹介されており、私も中身を読んでみた。
そこでは地元の医師会からの要望書のやり取りがあり、文章の端々から批判的なニュアンスも嗅ぎ取れる書き方をしているが、いずれにせよこの判断をもとに様々な意見が飛び交っている。
個人的にこの文章の中での一番のポイントは、圧力をかけてきた云々は主観の問題もあるので彼なりに隠しながらニュアンスで書きつつ、一番は「基準が曖昧」というところかなという印象だった。
色々できうる限り、考えうる限りの対策は講じてきたが、それでもなお求められる万全の基準は何なのか、ということだ。
その基準を作っている政府は曖昧なまま自分たちの主催イベントは強行しようとしてなお国民の安全を謳って見せるが、私企業としては中止してますけど!というメッセージもあるように感じる。
もちろん完璧なものができるとは思っていないし、そんなものは却って危ういから本当にそういうものを求めているわけではないが、せめてお前らももう少し覚悟見せろよ、というのは私は個人的に思うところだ。
飲食店でも同様だし、小さいライブハウスでも同様だろうけど、それぞれに対策をしながらリスクを下げられるようにやっている。
それでも絶対なんてありえないし、リスクはゼロにはならない。
まして開催地の人にとってはさらに不安がという話もあるのも、その点も気持ちはよくわかるよね。
だから中止は妥当だ、というのがいわゆる良識派と呼ばれるような意見だろう。
一方で、ライブ、イベント業を生業としている人たちからすれば、なんとかしないと自分たちの生活が成り立たない。
その中で、ではどうしたら開催できるかと考えることは至極当たり前のことだし、ゼロかイチじゃなくて、どうにかその間を探っていくのは仕事では当たり前だし、企業努力ってそういうところだと思っている。
もちろん人が集まることのリスクは伝えられているわけだし、まだ特効薬もない中なので不安はよくわかるけど、なる時はなるんだからという考え方もあるし、収束したらなんていう先の見えないマラソンをいつまでも走っていられないというのが実際ではないだろうか。
ワクチンで重症化のリスクは下げられたとしても、罹患しないわけじゃないし、本人が発症しないだけでキャリアとしては機能し続けるだろうから、本質的ではない。
まあ、特効薬ができても死ぬ時は死ぬんだから、それはどんな病気とも同じである。
今回の場合、他方にはオリンピックがあるから余計にそことの対比が語られるが、半ば以上は感情論になっているだろう。
流石に政治判断のあまりに一貫性がないのでそりゃそう思うのは私も賛成だ。
だけど、この間スーパーコンピューターでスタジアムに人を入れた際の感染リスクが試算されたわけだが、結果は「リスクなし」だったそうだ。
もちろん一定条件を揃えればという前提ではあるが、こうして科学的な検証が行われたとて果たしてみんな賛成するかといえば、多分そうはならないだろう。
会場へ行くまでのリスクが、どうせ守らない人が、とか、できない理由がたくさん出てくる。
これが日本人的なのかわからないけど、心配ならその日は一日中外に出なければいいではないか。
予め分かっているんだし、私ならそうするし、家族にもそう伝える。
別にそこでクラスターが起こったからと言って呪いみたいにかかり続けるわけでもあるまいに。
殊ロキノンについては、私はどちらにせよ行かないし、興味のないイベントだけど、ライブだったりこうしたイベントごとは好きなので方々に出かけている。
規模の大小によらず、ライブにも行くし、イベントも行く。
マスクして、一言も喋らず、静かに楽しんでいるよ。
そんな人ばかりじゃないから!という理屈はわかるけど、それは中止してもしなくても同じだろう。
そんな奴は退場処分にします、という風にして終えばいいのだし。
ところで、オリンピックの開催についても首相は「国民が安心できないのなら開催はしない」みたいなことは言っていたはずだが、安心は主観的な価値観である。
彼の目には日本国民は安心しているように映っていたらしいね。
税収も好調だから、まあいいかと思っているんだろうな、イベント・エンタメ業界については。