音楽放談 pt.2

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小休止221「ジャーナリズムと魑魅魍魎」

最近またぽちぽちと本を読んでいる。

 

元々読書家というほど熱心ではないし、読む本や作家は結構偏っているが、昔から小説やエッセイ、新書など読んでいるし、ジャンル的にも哲学や科学、サブカルやビジネスなど幅広に読んでいるのだが、ここ数年はあまり読むことがなかった。

 

明確な理由があるわけではないが、往々にしてメンタル的なゆとりのなさ、単に忙しいとかではなく気掛かりだとかストレスがあると思考がぐちゃぐちゃして没頭できないのだ。

 

また2年前に頃になった際の後遺症か、文字を読むことが一時本当に苦手で、幸いクライアントとの商談などでは集中力でなんとか乗り切ってきたが、そうでない時には本当に内容が頭に入ってこないし、さっき読んだ行の内容をすぐに忘れてしまい、びっくりするくらい同じところをぐるぐる読んでいるので嫌になったのだ。

 

ようやく色々落ち着いてきたのだろう、またKINDLEで読むことのほうが多かったが、普通に書籍を買って読むことも増えてきた。

 

特に趣味で読む本については、なんとなく書籍の方が入り込めるんだよな。

 

それでこの間は筋少の自伝本読んだり、蟻の本読んだりダチョウの本読んだりしていたのだが、今日は東京五輪の際に世間を騒がせたCornelius小山田圭吾の件の騒動についての本が届いたので、仕事が終わってからフジロックの配信を見ながら読んで、先ほど読破した。

 

300P近くある分厚い本だが、文字量はそれほどでもないのと、取材をまとめたものなので先のページの引用だったりポイントにある証言を繰り返し書くので、それらは読み飛ばしたのもあるが、先の状況のある私からすればここまでスイスイ読み進められるだけで回復を感じられるのもあって嬉しい。

 

肉体と共に認知機能の衰えも強くなる昨今、ささやかでも改善が見られるのは嬉しいのだ。

 

 

さて、本についてだが、これは週刊文春の連載用になされた取材・インタビューをまとめたものである。

 

2020年の東京五輪の際に、バタバタの末に音楽制作に携わったことで過去の雑誌記事が掘り起こされて社会的、世界的なバッシングの果てに活動休止に追い込まれた小山田圭吾の、その問題となった記事について本人へのインタビューだけでなく、レコード会社の関係者や、まさに事件が起きた時期の同級生への取材、そしてその雑誌を発行してた編集関連の人たちなど、当該事案の様々な人に広く行なったインタビューを元に構成されている。

 

インタビューを受けた人の中には実名で登場している人もおり、音楽ライターの柴さんなんかも出てくる。

 

元々著者は彼のファンでもなく、どちらかといえば「どんな極悪人なんだ?」という興味から取材を開始したという。

 

ただ、この著者の中には一つの信念のようなものがあり、本の中でも触れられているが「そもそも噂話や2次情報だけで批判しており、実際に当事者に取材したメディアはどこもない」というところから、ちゃんと調べんとあかんやろと言って取り組んでいるのがまずいいなと思った。

 

私はCorneliusの音楽が好きだし、件の雑誌についても存在は知っていたし、彼のことを「性格の悪いので有名」みたいな言説もしばしば見かけた。

 

でもそこまで詳しく調べることはなかったし、そもそも私はそういう雑誌のことを信用していないので、行為そのものがあったのならそれはダメだけど、ただそこまで過激なことは実際にはしてないだろ、くらいの捉え方しかしていない。

 

あそこまでの騒動になったのは傍目に見ていて驚いたし、何よりどうしてこんなに多くの人が怒り狂っているのかが不思議で仕方なかった。

 

まあこれについてはこの件に関わらずネット上だったり現実の集団の場であったりでも見られることなので特異な現象ではないが、よほど信ぴょう性のある話なのかしら、とは思っていた。

 

が、時は流れてCorneliusとしても復帰して新譜もリリースして、良かったねといってすっかり過ごしていた。

 

そんな中でこの本を見かけて、書評なども見て読んでみようと思ったのだ。

 

 

本の詳しい内容とは別に、まずはこの著者の向き合い方にはきちんとジャーナリズムがあるなと思ったのが1番印象的なことだったな。

 

そもそもCorneliusのファンでもなければ音楽も知らないというところからスタートしており、すでにいくつか出ている書籍のコメントにもあるように「ファンの擁護」と括られないように冒頭ではその辺りが割と何度も言及されている。

 

構成は取材のコメントをそのまま載せていたり、問題の雑誌の引用だったり、多面的に検証もされている印象で、小山田本人のコメントだけにもよらない構成で非常にわかりやすいし、その点でまず信頼性が高い。

 

そうしたできるだけ客観的に事実ベースの情報を集める(話者のコメントに一定の主観性が入るとはいえ)ことに徹しているのは非常にフェアである。

 

事件自体はこうした取材などを通して、少なくとも現時点で確認できた事実的情報からこう考えられる、ということがある程度以上納得できる形でまとめられている。

 

 

加えてこの本の訴えようとしていることは何かといえば、それは本のタイトルにもあるように炎上という現象についての警鐘である。

 

序盤では、割と件の騒動に直接的には関わっていないかつての同級生やレコード会社の人らの証言が中心だが、中盤以降では当時のネットやテレビ、新聞等の報道や投稿、コメンテーターのコメントなどが出てきて、終盤ではまさにその起点となった雑誌の当時の編集長が登場する。

 

この構成と最後の話的にも、1番問題としているのは彼自身も身を置くメディアのあり方についてが最も糾弾したかったのだろう。

 

私はマスではないがメディア側にいたことはあったので、多少なりともその文化みたいなものを垣間見たこともあるので、だからこそあんまりそういう媒体の情報は話半分しか信じていない。

 

しかし、世の中の多くの人はそれらの情報をちゃんと信じている。

 

それがメディアという存在が、今日ここまで力を持つことになったまさに要因なわけだが、そんなことは指摘されて久しいにも関わらず、いまだにそうした事象は消えていない。

 

この騒動も、発端はSNSでの書き込みが拡散されたことだったが、それを新聞、テレビが扱ったことで爆発的に広がった。

 

こういう悪人を見つけた時には人は存分に正義を発揮できるので、ここぞとばかり避難、誹謗中傷、果ては殺人予告をするものまで現れる。

 

面白いのは、同じように誹謗中傷をしているにも関わらず「殺人予告はやりすぎ」という変な基準だけは持っているのだ。

 

でも、その理由は彼らはあくまで正義のためにやっているので、正義と言い切れる中で攻撃しないと自分が悪になっちゃうからだと思っているが。

 

 

この本では復帰後のことも触れているが、肩透かしなくらい無風だった、と締められている。

 

要はとっくに興味がなくなって、また新しい正義執行にみんな夢中だったらしいのだ。

 

あえてみんなという言葉を使ったけど、この著者も当時殺人予告までしていたみんなはどこにいってしまったのだろう、と触れている。

 

まさに魑魅魍魎と呼ぶにふさわしい現象だなと思ったものだ。

 

ネット社会以前から、集団になると真実とは乖離して過剰な方向に傾きやすいというのはあったようだが、かつてはその現象が起こっているその場にいない限りは認知もされなかったものが、それが明確に可視化されるようになったのが現代である。

 

可視化といっても向こう側は本当に人間なのか何かしらのbotみたいなものなのかもわからない、本当に妖怪みたいな現象だなと思うんですよね。

 

それこそコロナの頃には、不安や自由を制限されるストレスの吐口で云々と言われていたし、そうでなくとも政治の不安で、生活の不安で、ファン心理を裏切られた悲しみで、といろんな理由をつけてはその現象は外敵要因によって引き起こされたのだというような因果分析がされているが、どれもしっくりきたことはない。

 

結局誰かを攻撃したい本能がむき出しにされていて、一定社会性のある人であれば品性で抑えられるところを、そうでない奴の方が数としては多いから日常的にそういうことが起こるんだろうなと思っている。

 

それこそ炎上までいかなくても、まさにルサンチマンと呼ぶべき反応をしている人って少なくないんだよな。

 

そういう人に共通するのって、見事に外的要因に全てを帰結させるのよ。

 

そしてそういう人を助長するには、いわゆるテレビ的な盛り上げ方がちょうどいい火に油なんだろうな、なんてことも思ったのよね。

 

さらにはテレビ始めメディア業界の慣習や基本的な価値観も、嘘も100回いえば本当になる、ということを本気で思っているんだと感じる。

 

卵が先か鶏が先かはあるが、そういう文化が醸成されていったんだろうね。

 

真実とか事実なんてどうでもよくて、自分にとってそうであってほしいということを言ってほしいと思っている人たちのニーズはきちんと拾えているので、ある意味見事な顧客目線とは思うけど、だとすればそこにはジャーナリズムなんてないし、ただの商売でありマーケティングでしかないんだよな。

 

広告とかやっていると本当にそれを感じるし、だからたまに本当に虚しくなる時が私みたいなものでもあるが、そう思わない人の方が多いのも実際なのである。

 

 

話がちょっと散らかってしまったが、小山田の件について一定の事実性のある帰結が得られたのは、ファンとしてはある種の安心感を持ったのもあるし、他方で全てを信じているわけでもない。

 

それでも、少なくとも衝撃的に報じた新聞テレビ各社の発信する情報なんて信用できないのは間違いない。

 

全てが嘘だとはもちろん言わないけど、恣意性があるのは事実である。

 

そして今では日本最大手の音楽フェスを開催するまでになったロッキングオン、この会社全てを短絡的に否定することはもちろんしないけど、少なくともここの社長はダメだろと思ってしまうよな。

 

まあ、それも特定の情報を信じていることになるからなんだけど、信じるか信じないかは誠実さがあるかないかなんじゃないかなと思う。

 

 

でもやっぱり、1番怖いのは魑魅魍魎だよな。

 

最近街に行くのも結構おっくうなんだけど、その理由の一つは街中でも本当に意味不明な人が多くて、私の常識では理解できない人に溢れかえっているので怖いんだよね。

 

結局1番やばいのは人間だよな、と改めて思ったのであった。