音楽放談 pt.2

SEO強化をしていこう。

終わりよければ・・・

先日なんとなく総括記事を書いて、2024年はそんなに悪くに1年だった、などと書いていたが早速訂正だ。

 

最低の年だ。

 

仕事納めのその日にどうも体調が良くないなと思ったので、とりあえず風邪薬を飲んでみると症状も治ったかに見えたが、夜に再び発熱。

 

翌日病院にかかると見事インフルエンザとか。

 

まじかよ。

 

ここ何年もインフルなんて罹っていないし、普段在宅だが電車に乗る際にはマスクも着用だ。

 

今年は平日に風邪すら引いていないのに、なんでこのタイミングなのかと。

 

当然ながらTha Blue Herbの、もう何年も行っている年末ワンマンもいけず、今年は勢いに乗って開催されたRAYのワンマンも見送りだ。

 

どちらも先行で何ヶ月も前にチケットを押さえたものだ。

 

それ以外にも、今年は休み自体が長かったので、この間も自転車で目標距離を目指しながら最後のあちこちをしようかとも考えていたが、全てパーだ。

 

今は熱も下がって症状も概ね解消しているが、やはり咳だけがしつこく残っている。

 

私は粘膜があまり強くないので喉を痛めると長引く傾向があるのだが、今回はそこまで症状が出ていなかったのにしつこく居座っており、咳が出るたびに喉ごと叩き潰したくなるくらいイライラする。

 

高熱のせいでまだ少し首周りの筋も痛いので、咳をするたびにその衝撃で頭痛がするのも余計に腹がたつ。

 

ただひたすら時間が過ぎるのを寝て待つような日々がこんなにくだらないとは知らなかった。

 

マジでこれなら死んだ方がマシだとさえ思える。

 

あまりにむかつきすぎて、もうライブ自体いくのやめようかと思ったくらいだ。

 

こうして苛立つのもそもそもその予定がなければそんなことは起きないのだから。

 

でも、流石にそれではいよいよ暇つぶしの手段がなくて生きていくこと自体が辛いだけになるので、自分の腹の奥底に蠢くものを押さえつつ、せめて何か手を動かそうとゲームを買ってせっせとやっている。

 

明日になって喉が回復すれば、人気のないエリアか、せめて自宅のローラーで少し体を動かそうと思うが、とにかくそれまでの辛抱だ。

 

 

しかし、別に風邪の療養なんて好きではないが、ここまで絶望的な気分になったのは結構久しぶりかもしれない。

 

珍しくこの連休は予定も色々組んでいたから、ていうのが一番大きいのだけど、私はこうして組んだ計画が訳のわからないことで破綻することが死ぬほどストレスなのだ。

 

だから基本的には仕事以外では計画なんて立てない。

 

感染症なんて気をつけていたってなる時はなるし、仕方ないのはわかっているが、だから余計に苛立つのよ。

 

そして今後もこういうことが起こりうることは当然ながら当たり前なので、だったらそのストレスの元になるその予定たちがハナからなければいいという話になる。

 

それにより自分の楽しみなり喜びなりが減ったとしても、マイナスが減るならいいや、という感じかもしれない。

 

それほど私にとってはそういうのってストレスなんだろうな。

 

昔に私が買い集めていた漫画について、兄が訳のわからないいちゃもんをつけてネチネチ言ってくるのが本当に鬱陶しくて、すでに30巻以上集めていたその漫画を「じゃあ全部やるわ」と言って叩きつけてやったことがあったことをふと思い出した。

 

後悔しないではなかったが、存外諦めてしまうともういいやとなるので、元々そんなに拘らない性格なのかもしれない。

 

なので、これを機に本当に行くのやめるかもなとちょっと思っている。

 

まあ、体調が戻ればそうでもないのかもしれないが。

 

 

こういう状況になると、私は実は神みたいなものの存在を信じているんだろうなと思う。

 

それはいわゆるどこぞの宗教で言われるような神ではなくて、よりパーソナルな指針みたいなものなのかもしれないけど、私が真っ当に生きようとするモチベーションって、その方がいいことがあるんじゃないかと思っているからなのである。

 

サンタの存在もそうだけど、それがどんな存在であれ、とりあえずいい子にしていればやってくると教えられて、それを素直に信じていた。

 

何かが起こっても誰かのせいにせずに、できるだけ自分の中の問題に帰結させられるようにしてきた。

 

本質的に法に抵触しているかどうかはあまりどうでも良くて、誰かが何かしらの形で迷惑を被るかどうかで判断するし、倫理観も同様だ。

 

不倫しようが何しようが別にどうでもいい、誰にも迷惑かけていないならそれでいいと思っている。

 

私にとっては人畜無我に、ちゃんと自律的に生きていることが重要で、誰かの手を煩わせたり、迷惑をかけたり、みだりに不安にさせるようなことが悪なのである。

 

かと言って、他人がそうしている分にはなんとも思わないし、必要であれば他人の責により生じた問題であってもフォローもカバーもするしね。

 

だから、私にとってのそれは公的な意味での神でもルールでもなくて、ただ私の中にだけあって私にだけ適用される基準なのである。

 

年をとるごとにその基準に沿って生きるようにしているので、人から見ると自律的に見えて、しかし言われるのは本当は何考えているかわからない、である。

 

女の子の方がこの辺りは鋭いんですかね、嘘っぽいとすら言われるが、私は嘘はついてない。

 

ただ妥当だろうなということをチョイスしているだけで、なぜならそれが一番丸く治るからだし、元に治っている。

 

 

話が逸れたけど、だからこそ自分の自由が謳歌できない状態になるとそうして基準に従うことのモチベーションが薄れるのだ。

 

勝手にやっているだけなんだけどね。

 

ほんと、嫌な気分で30代最後のこの年を終えるのだな。