音楽放談 pt.2

ただの音楽鑑賞日記です

汚い言葉の汚さは伝わるのか

言葉ってやっぱり大事だなと最近改めて感じる。

 

私は哲学始め人文科学系の本も好きで読むのだけど、そこで得られるのは言葉の知識である。

 

自分の中で表現できなかったものだったり、あるいは何かを伝える上での定義であったり、いずれにせよコミュニケーションの基礎である言葉を大事にすることは極めて重要である。

 

およそ語りうることは明確に語りうる、語り得ないことは、人は沈黙せねばならない。

 

 

そんな本の影響もあって、私が常々思っているのは同じ日本語だとしても、伝わる意味内容は人によって違うということ。

 

表面的な表現としては汎用的でも、それぞれの人の背景だったり知識だったり環境だったりでその理解が変わってくることは、SNSが盛んになったことで可視化された。

 

まあ、それ以前から仕事をしていても、人と日常的に話をしていても感じるので、単にそれを自覚しているか否かだと思っている。

 

そんなわけで、最近気になった言葉について、ネタもないので少しだけ書いていこう。

 

入浴について

どこから出てきたのか知らないが、「キャンセル界隈」という言葉をよく見かけるようになった。

 

要は、これをしない、という人たちをまとめて〇〇キャンセル界隈とい呼ぶノリみたいなものだろう。

 

その中で割とよく見かける〇〇の一つが入浴キャンセル界隈というやつだ。

 

要は風呂に入らない奴らをそういうらしい。

 

シンプルに汚ねぇなとしか思わないが、本人たちにすれば面倒だし、毎日入る必要はないだろうということらしい。

 

それに対して、コスプレイヤーのえなこが「風呂入れ」と発信したとして少し話題になっていた。

 

コミケとかがこの季節なんですかね、彼女も超売れっ子レイヤーさんなので、そうしたイベントの場に登場するわけで、その際にカメコたちに囲まれもするだろう。

 

きっと、酸っぱかったんだろうな。

 

オタクという存在も比較的市民権を得ているとはいえ、旧来的なオタク的なやつは清潔感とは程遠いイメージがいまだにあるわけで、そこに刺して上記のような発信にNoを突きつけるのは、詰まるところ彼ら自身の社会的なイメージをネガティブなものにしかしないので、風呂くらい入れよって思うが。

 

個人的にはこれだけ暑くて汗もかく季節に、風呂に入らないなんてあり得ないと思ってしまうが。

 

 

なんてつらつら書いてみたが、これって正しくコミュニケーションできているだろうかと思うわけだ。

 

ここでいうのは、要は言いたいことが伝わっているかどうかである。

 

問題は風呂に入る、入浴する、という表現だ。

 

文脈も含めて考えれば、別の言葉で言い換えれば、体を洗えという話だ。

 

多分大抵の人はその意味として捉えて、1日1回も体を洗わないとかあり得んやろ、と思うわけだが、中にはそうじゃない人もいるらしい。

 

入浴、風呂に入る=浴槽に湯を張って湯に浸かる、と捉えている人もいるらしい。

 

その意味で捉えるなら、私も湯船につかることはほとんどないし、世の中の大半の人はそうだろう。

 

シャワーだけ浴びる、というやつですね。

 

これについて、シャワーは浴びるけど湯船にはつからないよ、という人も一部キャンセル界隈に含まれているように思う。

 

これについては必ずしも個々人の解釈が悪いわけではなく、それを面白がって扱うメディアの問題もある。

 

今流行りのオールドメデイアだ。

 

先日ラジオを聴いている時にも、この話題をきっかけに入浴のメリットみたいなテーマで専門家とかいう人を呼んであれやこれやと話をするのだけど、そこは完全に湯船につかる、ということのメリットである。

 

この風呂キャンセル界隈という言葉が出てきてから、しばしば風呂のメリットと言って紹介されるのは須くこれであった。

 

そもそもの発端の際にはどの意味だったのかはもはやわからないが、キャンセルとか言い出したやつがそもそも体も洗わない、というスタンスだったのではないかと色々みていると思うが、だとしたらきたねぇしくせぇから洗え、それができないなら外に出るな、もしくは公的な室内に入ってくるな、としかいえない。

 

しかし、湯船につからないだけでシャワーは浴びているなら何も問題ない。

 

暇つぶしに議論をしたいときはどちらの意味なのかきちんと定義しないと、平行線のままである。

 

 

地下アイドルについて

私のごく一部だがアイドルを聴くようになり、それが所謂地下アイドルだ。

 

ステージでは際どい衣装で歌い踊るが本番はその後。

 

ちょっとのお金を払えば年端もいかない少女たちから半ば性的な触れ合いもできるほとんどペドフィリアのおかず提供みたいなサービスがあり、歌なんてどうでも良くて、とにかく少女たちと触れ合えることが何よりなのだ!

 

もちろん嘘だが、一部ではそんなことが行われているのは知られて久しい。

 

私は、多分だがどちらかといえばストイックにパフォーマンスを頑張っているグループを応援している。

 

ライブ後には特典会というファンサービスイベントも行われているが、せいぜいチェキが撮れるとか、少しだけ話ができるとか、その程度である。

 

そうしたこともあってか、最近ではライブアイドルという呼称も出てきているため差別化模され始めているのかもしれないが、しかし所謂一般層に紹介される際には相変わらず地下アイドルである。

 

 

そもそもなぜ地下アイドルなのか。

 

私も知らなかったので少しだけ調べたのだけど、メジャーとインディーみたいなもので、テレビなどに出てタレント活動も行う所謂イメージするキラキラしたアイドルに対して、活動の場がライブハウス中心のアイドルをそう呼ぶのだとか。

 

ライブハウスの大半は音の問題もあって物理的に地下にあるので、アンダーグラウンド的な意味合いも含めてそう呼ばれるようになったとか。

 

それこそ環境自体は地下のライブハウスではないにしろ、元々の活動状況的にはPerfumeももいろクローバーも元々は地下アイドル的な存在だったと言って差し支えないだろう。

 

最近ではFruits Zipperもそうらしいですね。

 

そんな彼女たちと、性を売りにしている奴らを同じ括りにしていいのだろうか。

 

私はRAYというグループが好きなのだけど、割と広めに紹介される場では地下アイドルとされるし、プロデューサーもその言葉を使っているのはインタビューで見かけることもある。

 

 

ちなみに、私にとって地下アイドルという言葉のイメージは、先にも書いた性を切り売りしているような存在である。

 

要はメンバーも大概だしそこに集まるやつもほとんどゴミだし、プロデューサーもメンバー喰いまくっているみたいなネガなイメージしかない。

 

その言葉を従来通り使うのはメリットなんて1mmもない、マジで。

 

その差別化のためなのかもしれないが、楽曲派という言葉もある。

 

これはムック本も出版されて、そこで言及もされているが元々は自己弁護的なニュアンスを持った言葉だったらしく、しかもファン発信だ。

 

年端も行かない若い女の子の出演するライブに脚を運ぶ言い訳として、彼女たち自体ではなくあくまで曲やパフォーマンスを見に行っているのだ、という言い訳としての言葉だったそうだ。

 

その気持ちは個人的にはわかるけど、でもやっぱり可愛い女の子である、ということは重要ではある。

 

ただ、見た目やエロさだけを求めるならそういうグループはたくさんいるわけで、そのグループを応援する理由としていい曲やっているからもっと聞かれて欲しい!というのは実際あるからね。

 

元々アイドルという界隈の文化とかイメージとか、そういうものを考えれば言葉の成り立ちも理解はできるものの、そろそろ別な言葉をちゃんと広げて行くべきではないだろうか。

 

 

それこそRAYは一部で使われるライブアイドルという言葉を今のところは推していって欲しいなと思う。

 

曲自体の質も高いのは、その作曲陣の強さも手伝って徐々にイメージとしてついてきているが、ライブだとそこらのバンドよりも爆音でオケ鳴らしまくっているし、なかなかの運動量でダンスもかましている。

 

もっとそこにフォーカスした発信をして欲しいとファンとしては思うところだ。

 

 

ちなみに、少し余談だが直近のライブでアイドルオタやそのライブ習慣みたいなものについての苦言だったりネガティブな投稿が見られた。

 

マーケット的に拡大しようとする際に一番の障壁になるのは古くからのファンだ、というのは新日本プロレスを買収した当時のブシロード木谷会長の言葉だが、本当にその通りだ。

 

私も他のアイドルのライブに少しだけ脚を運んだことがあるが、ライブパフォーマンス云々ではなく、そこにいるファンの在り方を見て引いてしまい、2度とライブ行かないと思ったものが実際にあった。

 

それが楽しいと思う人もいると思うけど、その文化圏にいない人からすればネガティブなものとしか映らない事象は確かにある。

 

ただ、そもそもそういう人らがいるからこそ活動できている実態もあるのは確かではあるので、そこのバランスというか、要するにファン側の態度によるわけだ。

 

どっかのグループのファンがSNSで運営に苦言を呈しているのを見たこともあるが、小さなコミュニティで問題のないことも、外から見れば異常なことはそこかしこにあるものだ。

 

AKB以降の弊害としか思えないが、ファンとタレントの距離が物理的に近くなったことでファン側もやばい勘違いをしてしまうことはもはや仕方ない部分もある。

 

その中で、双方がどうバランスの取れたコミュニケーションをとっていられるかは、結局運営にかかっているのかもしれないですね。

 

音楽における売れているについて

最後は「売れている」について。

 

昨日だったか、おとぼけび〜ば〜の人の投稿が一部話題になっていたが、それは別に今に始まったことではないことであった。

 

割ととんがった発言をする人なんだけど、それに対して「売れてないくせに」というリアクションがあり、それに苦言を呈したものだった。

 

難しい問題でもありそうでもない問題でもあるこの手の話題だが、逆にいえばだからこそ永久になくならないだろう。

 

なぜなら、それが優れているかどうかの尺度が自分の中になくて、そういう人は売れているもの、お金を稼いでいるもの、有名な誰かがいいと言っているものしかいいといえない人が少なからずいるのである。

 

私の身近にもいた。

 

 

そもそも売れているとはどういう状態か。

 

字義通りに取るならお金が稼げているとなるし、基本的にはそれで問題ないだろう。

 

ただ、殊アート的な領域だともう少し多義的になる。

 

商業的に優れているものが必ずしも芸術的に優れているわけではないし、逆も然りだ。

 

商業的にも優れているし芸術的にも優れているものもあるから、とても難しい。

 

そもそもこの領域で商業的に優れているためにはどうするべきか。

 

所謂サビがわかりやすい曲が日本ではそれに当たるわけだが、逆にサビ以外は数年後には思い出せないようなものもザラだ。

 

でも、それが優れていないかどうかはこれまた難しい。

 

単に世の中の人の流行が変わっただけで、数年後にまた流行るかもしれない。

 

それは歴史しか知ることはない。

 

 

また金銭的なこと以外では、イベントなり何かの発表の場にとにかく呼ばれるという事象も売れていると言えるだろう。

 

絵画などであればその場で絵そのものが売れるだろうからわかりやすいが、音楽はそれが難しい。

 

そのライブ自体を買い取ることはできないので、副次的にはCDのようなパッケージ音源だったり、Tシャツなどのようなマーチャンダイズが商業的な接点だろう。

 

でも、そこに表現されない「また観たい」「また聴きたい」という衝動を聴衆に抱かせることができれば、それが何よりという世界でもある。

 

所謂ミュージシャンズミュージシャンというのはそういう類が多いだろう。

 

果たして彼らは売れていないのか、といえばそうではないだろう。

 

確かに対して音楽に興味のない一般層には認知されていないので商業的な価値(=金)はもたらさないかもしれないが、金を生むアーティスト含めて多くの表現者にもてはやされるならそれはある意味売れているわけである。

 

必ずしもどちらの方が価値があるという話ではなくて、やっぱり本質的に素晴らしい表現は評価されるべきだが、一方でそうした人が活躍できるためにはライトなファンを繋いでお金を稼ぐ存在も必要なのだ。

 

まあ、それはレコード会社的な力学ではあるが、いずれにせよ売れているという言葉も、ちゃんと文脈を踏まえないとすれ違ったままの口論しか生まないだろう。

 

難しい問題だけどね。

 

 

言葉は大事

別に辞書的な厳密さが大事とかいう話ではなくて、意味だったりニュアンスだったりは変わっていくものだろう。

 

大事なことはそこで表現されたことがちゃんと伝わることだし、その土台がきちんと共有されていることである。

 

それがないと、伝えたかったこととかけ離れて勘違いのまま噛み合わない議論になることもある。

 

それって味気ないじゃない。

 

何が正しくて何が間違っているかはその時々の状況だったり立場だったりで変わるから、今この瞬間に断じることにはさして意味はない。

 

大事なことは、ちゃんと意図が伝わった上で確かにそうだよね、となることである。

 

みんな、ちゃんと議論しようぜ!


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