音楽放談 pt.2

ただの音楽鑑賞日記です

多分毎年思うこと

私は折に触れて後悔に近い振り返り、もしくは反省をしているのだけど、その焦点は得てして仕事に関わることが多い。

 

そりゃ今の人生の大半の時間は仕事しているので、トピックがないだけなのかもしれない。

 

なので、人生自体についてもどこかでちゃんと振り返りをしておかないといつの間にか死んでいる可能性があるし、なんならそれにすら気づかないままにいなくなっている可能性もある。

 

先日ようやく受けた健康診断では、意外と肝機能はなんともなかったが、血中コレステロールと尿潜血とやらで泌尿器科受診の紹介状をもらうことに。

 

毎年この2項目は引っかかっているが、多分寝不足、肉体疲労、遺伝が大きく、なんなら今年は前日に急遽飲み会を入れたのでそれもあるだろう。

 

そのうち頭の血管に血が詰まって、ああ・・・俺の人生はここまでか・・・なんて思いながら朽ちていくのかもしれない。

 

 

そうは言っても生きているうちにはある程度の張り合いが欲しいので、それを自覚するためにも振り返りは大事だ。

 

先のTBHのライブではひとまわり以上上のラッパーの人生を聴きながら自分を見つつ、RAYのライブではこれから世界に羽ばたく若い子達の希望に溢れた姿を見て、私は今どこにいるんだろうな、なんて考えるわけである。

 

私は初詣には行かないが、もう10年以上前から年末に神社に詣でている。

 

最後詣でと称して1人神社に足を運び、おみくじを引くのだ。

 

今年の私はどんな運勢だったのかしら、なんてね。

 

今の住居に引っ越してからもしばらくは浅草に行っていたが、最近は観光客が多過ぎてどうにもいかんので、近所の小さな神社に赴いている。

 

何度か足を運んでいるが境内で人とすれ違ったことはほとんどないし、なんなら神主も見たことがない。

 

でも大事なことは信心だ。

 

自分の中に信じる心があれば、所詮建物はただの媒介にすぎない。

 

ちなみに私は全く信心深くはないが。

 

で、以前はお賽銭箱のすぐそばにあったおみくじも、いつの間にか場所を移しており少し探し回っていたらちょこんと違う建屋の前に置かれていた。

 

中を覗くと落ち葉も混じっており、残っているのは数枚のみだ。

 

なんたら体たらくだ・・・と思う一方で、この10に足らない中に私の今年があるのかも知らんと思うとそれはそれでなんだか面白いような思いになってきた。

 

100円を入れて一つ選び開くと、中吉だった。

 

全体的に悪いことは書かれていなかったが、まあこんなもんだろう。

 

来年は厄年らしいしな。

 

十円だけ賽銭を投げると、神社を後にした。

 

 

今年も結構大変だった。

 

仕事も不慣れな中でなかなか成果が出せず、そんな中でもあくせくしていた。

 

それなりに得たものはあったけど、今に至れば何も得ていないようにも感じる。

 

プライベートでは相変わらず恋人もいないが、だんだんそう言ったこととはもう縁のない人間なのだろうと諦めている節もある。

 

最後の足掻きとてマチアプにも登録して、何人か会ってみたがなんかぴんとこなった。

 

相手がどうこうではなく、私自身が求めていないからだろう。

 

相変わらず人見知りはあって、仕事ではスキルやらなんやらで外には見せないが、実際は人と話をするのは億劫だし、初めて会った相手についてあれこれ聞くにも何を聞けばいいかわからない。

 

でも、一番困るのは自分について語ることなんだよな。

 

相手にとって何が魅力的なのか、それがわからない。

 

金もないし、地位や名誉もない。

 

人間的にクソだとは思わないし、同僚からも友達からも基本的にはポジティブなことを言ってもらえることの方が多い。

 

でも、やはり恋人なり結婚なりを考えると、何かしらのメリットを提示しないと行けないと思っていて、しかし世の中の40代を考えると周りにはすごいやつばっかりなこともあって、私があなたに与えられるものは何もない、と諦めてしまう。

 

1人でいることとその壁を超えることをはかりにかけた時に、今は前者が勝っているのだろう。

 

あと何年この状態が続くかはわからないが、逆転したとの時には私自身に今以上に社会的な需要は亡くなっているだろうから、いずれにせよ私はそういう人生しか選べないのだろう。

 

 

こんなことを考えるのは年末と誕生日の年2回だ。

 

まあ、基本的には何かあるたびに常々思っているのだけど、それを乗り越える方法がもうわからない。

 

自分に期待する人生ではもうないし、かと言って子供もいなければ人生を賭ける対象が私には存在しない。

 

なんのために生きているのか、その理由はもうないので、せめて親を看取るまでが私の人生だと思っているので、両親には幸せなままに生き抜いて欲しいと思う一方で、早く時間が経てばいいのにと思う自分もいる。

 

これ以上生きてもらって見せられるものも何もないし、与えられるものも何もないからな。

 

両親は何を期待して私を産んだのだろうか。

 

この時期に何を期待していたのだろうか。

 

そんなことを考えると申し訳ない気持ちばかりになっていたたまれない。

 

 

多分これからの人生は毎年これを考えるのだろうし、その頻度は一年の中でどんどん増えていくだろう。

 

面白いもので、こんなしみったれたことを考えながらも、そんなにネガティブなわけでもない。

 

死にたいと思うことはあるけど、実際に死んでないし、まだ生きているし、なんだかんだ楽しいこともあるからね。

 

この感情が自分だけの特別なものでもないのはわかっているから、一定数いる中の1人がたまたま私だっただけである。

 

多分私はどんな状況になっても心底幸せだとは思わないだろうし、同時に心底不幸だとも思わないだろう。

 

要するにないものねだりなのだろう。

 

 

こうして取り止めのないことはもう何度も書いている。

 

でもまた書いている。

 

多分これからも書く。

 

その間にいろいろの音楽の感想を中心に書く。

 

文章にすることで、私の中の何かが成仏していく。

 

いや、すぐ帰ってくるから成仏はしていないか。

 

それは私の内側から湧き上がってくるものなので、ただ単に排泄しているだけなのかもしれない。

 

でも、人生なんてそれでいいのかもしれないね。

 


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