音楽放談 pt.2

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終わりと始まり AA=始動

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KyonoのプロジェクトWagdug Futuristic Unityの活動が今年に入って本格化したことは、THE MAD CAPSULE MARKETSのファンとしてはうれしいことであった。

ライヴでも健在ぶりを発揮し、マッドとはまた違った世界観も見えてきて、今後を期待させる一方で、少しの不安もあったりする。

で、このほどマッドの中核である、TAKESHIこと上田剛士も自信のそろプロジェクトAA=を始動させ、すでにYouTubeなどで音源も聴くことが出来る。

マッドの延長線上ともいえるサウンドで、デジタルに生楽器を同期させるようなスタイルはワグダグと同じではあるが、曲の方向性は結構違う。

おもしろいなあ、とつくづく思う。

ワグダグのほうがハードコアよりな感じがするし、逆にAA=のほうが前進的な感じはしてしまう。

ただ、共通点としてはどちらにも明確なメッセージ性が感じられること。

彼らの音楽にとって哲学は大きな要素なのである。

まだ1曲しか発表されてないが、今年の冬にはアルバムも出るという。

また、すでにカウントダウンジャパンでのライヴも決まっており、ぜひ行きたいが、多分いけないのが悔やまれる。


このリリース、プロジェクトの始動に伴い、今月のロッキンオンジャパンには剛士のインタヴューが掲載されている。

こうしてきちっとした形で表に出てくるのは久しぶりなので、これはうれしい。

しかも、マッドにおける音作りの大半は彼の手によるものであるため、色々とそのインタヴューには期待してしまう。

で、早速読んでみると、やはり久しぶりだから、マッドの活動休止に話が及ぶのである。

現在活動休止中で、KYONOはワグダグ、剛士はAA=、モトカツはドラマー連中と組んだり、サポートなんかをしていた。

今後のマッドとしての活動にも期待を寄せていたが、結果的にはその期待はあっけなく消えた。

マッドの休止には、思いのほか根の深い問題があり、それはおそらくもう修復できないようなものである、ということが、切々と語られている。

その問題というのは、よくある金銭的な問題や、音楽性の云々ではない。

本人もまだうまく言語化できていないくらいだから、他人が測れるはずもないが、ただ思ったのは、要するにマッドとしてのアイデンティティの喪失のようなものかもしれない。


いわく、マッドとしての実態がなくなってしまった、ということらしいのである。

自分たちの中にMAD CAPSULE MARKETSというものがなくなてしまった、というか。

別にケンカしているわけでもないし、むしろそれぞれの中にあった違和感を解決するためにキチンと話し合いもして、そのすえ一時休止してその問題の解決作を考えてみよう、となったわけであるが、結局そのまま問題は解決されることはなく、自然消滅のようにTHE MAD CAPSULE MARKETSというバンドは消えてしまったらしい。

そういえば、ワグダグのときのKYONOのインタヴューではマッドについて、不思議なくらい語られてなかったしね。

なにか複雑な思いがあったんだろう。

とにかく、このインタヴューを読む限り、マッドが再始動することはない気がする。

だいたいあまりにも潔すぎる休止にいたる過程をみても、半端な理由では動かないだろう。

彼らには音楽を作るための明確な動機と哲学が必要なのである。

ファンとしては悲しいなあ、と思い、電車の中で読んでたんだけど、ちょっと泣きそうになってしまった。


今まで、音楽を聞いてぶっとばされる感覚を覚えたのは、マッドくらいのものである。

初めて聴いたのは「010」というアルバムだったが、最初から最後までぶっ飛ばされた。

何だこいつら、とね。

それまで聴いていたどんな音楽よりもかっこよくて、尖がってて、ポップで、最高だった。

それから過去の作品にも遡って、今以上にギラギラに尖がって、攻撃的で、牙をむき出しにいたような音楽に、歌詞にしびれたよ。

今でも必ずマッドのアルバムは一枚は必ずiPodに入っている。


まあ、ファンとしては悲しいけど、実質ラストになったライヴも見れたし、そういうスタンスこそが彼らの魅力であったわけである。

それぞれに動き出した今、今度はそれらに耳を傾けることにするよ。

相変わらずかっこいいから、今でも好きなんだよ。