奇を衒う、という言葉が在る。
人と違った事をして気を引こうとする、という意味だそうだが、一時期私はそんな傾向にあった。
厳密には人の気を引きたかった訳ではなく、単に「俺は人とは違うんだ」みたいな事を証明したかった、もしくは示したかっただけであったと思う。
その甲斐あってかどうかは知らないが、今では変わっていると言われる事が多い。
しかし人間とは因果なもので、何をやっても何を言ってもそういわれると、却って悲しくなるものである。
自分の中では普通であると思って言うのに、相手に取っては何言ってるの?みたいなこともままあり、私がどこかで何かをなくしてしまったようだ。
もっともそれを嘆くほどの初さはもうないがね。
どこに行っても普通であると言われるよりはよほど良いだろう。
・・・そうでもないか。
ロック者というのは、しばしば変わり者が散見される。
というよりも、人とは違った視点から者が見られるから表現者足りうる、とも言えるが、そうはいってもある種のフォーマットと言うような者も在る。
例えば売れるメロディを量産してりうJ-POPなんかは、別に個性なんて大した意味などなく、如何にキャラクタになりきれるか、程度であろう。
ていうか、今はそれほどCDを出す事自体の敷居は高くないし、ほとんど趣味のレベルでもメジャーレーベルが後押ししてくれる場合だってあって、ロックと言えどもファッションである場合が少なくない。
そんな音楽を聞くにつけ苛立つ事もあったが、今は笑って聞いていられるようになった。
大人になったな。
もちろん変わり者だから良いと言う者でもない。
単なる自己満足に終止し続ける奴と言うのは、確かにはじめは面白いけど、次第に飽きてくる。
他者を想定していない表現は、そういう末路を辿ると思う。
一部の偏屈を唸らせるだけである。
そういう意味でも、人に伝わる、話題になるということは、例え尖っていても大事なのである。
人に評価される事を第一義とする必要はないけど、少なくとも商業の波に足を突っ込んだのならそれくらいは考えるべき事であると思う。
かつてNirvanaのカートにはこの覚悟がなかった、とよく言われる。
それはともかく、そうして変わった事をしていても、話題になる奴とならない奴がいるというのは、そうした精神とか意識の差もあるだろう。
結果的に、ということもあるにせよ、根っこにそういう意識がないと誰の脳裏にも残らない。
ここ数年でもっともオリジナリティをわかる易く提示したバンドの一つは、Death From Above 1979であろう。
覚えているであろうか。
ギターレスにして爆音を響かせて、一時めちゃくちゃ話題になった2人組である。
アルバム1枚を残して早々に解散してしまったので、ある意味ではアイデア一発のバンドだったのかもしれない。
しかし、その1枚のアルバムの破壊力は今も抜群である。
歪ませまくったベースとクソやかましいドラム、そして打ち込みも入れながら紡がれる音楽は、ギザギザとして攻撃的な音楽だったな。
今は一方はMstkrft、もう一人はBroken Social Sceneのアルバムに参加していたので、地元でスタジオミュージシャンとしてやっているのかもしれない。
1曲目からかなり頭がおかしいのではないかと言うくらいのイントロで始るが、ここだけで個人的には満点を上げたいくらい。
ダメな人はここでダメだろう。
そして2曲目の"Romantic Light"がなんと言ってもたまらない。
イントロからすっごく好きなの。
ギョーギョギョギョッギョッギョ、みたいな。
ノイジーでしかしポップなリズムが心をくすぐって仕方ないのである。
曲の印象としては、どうしても総じて平に感じてしまうかもしれないが、むしろこれはこれで正解なんだと思う。
もしここで色んな楽器を持ち出してしまったら、多分このアルバムの価値は下がる。
1枚で解散したことも、それで良いのである。
重要な事は、楽器の使い方や役割なんかは、べつに決めるける必要はないと言う事ではないだろうか。
ベースがリズムに終止する必要は必ずしもないし、ギターがなければロックでない訳でもない。
音を詰め込めば言い訳でもないし、密度が高ければいいわけでもない。
同時にアイデアの重要性も説いているようで、それだけでも十分に価値があるじゃないか。
もっともそれほどまでに大きな波紋を広げたか、と言えばそんな事はないけど、でも一つの形としては良かったよ。
人と違う事をすれば当然目立つし、その分反響もポジネガ含めて多くなる。
だけど、ひらめきを一度は形にするということはやっぱり大事だよね。
そこから何かエポックメイキングな事が生まれるかもしれないし。
普通からは新しいものは生まれないからね。
"Romantic Rights"