
私はたまに映画を観に行く。
ふと興味をそそられて、半ば衝動的に赴く事がほとんどであるが、概して外れたと思った事はない。
といっても観に行ったのは数えるほどしかないけどね。
で、この間久しぶりに観に行ったのは、一部雑誌ではちょこちょこ取り上げられていた『This Must Be The Place』という奴。
以下ネタバレも含むので、その点はご留意頂きたい。
物語としては、かつてはストーンズとも共演するほどの有名人であったロックスターが、あるきっかけから音楽から身を引き、引きこもりのような生活を送っている間にすっかり年を取っており、ある日永らく絶縁状態にあった父親の危篤の知らせを受けるところから動き始める。
彼には「父親に愛されていない」という悲しい思い込みがあり、それ固め15歳の時からメイクをして、暗い歌詞の歌を歌ってきた。
それが画像の主人公、シャイアンである。
モデルは言わずもがな、ロバスミである(もちろん外見的な、ね)。
彼が父親の元を訪れたときには既に事切れており、彼は死に目には会えなかった。
しかし、父親が生涯を費やしてナチスの残党を追いかけていた、という事実を知り、彼がそれを代わりに果たそうと旅に出るのだが、その旅の途中で出会う人々や出来事を通して、彼は彼なりに問題を受け入れ、そして一つの回答を見つけ、変な話だがやっと大人になるのであった。
全体的に言ってシュールで意味不明な部分も多く、また説明もほとんどなされないので人物の相関図も今一良くわからなかったりする。
しかし、そうじて緩いその展開が個人的にはすごく好きだった。
登場人物の多くが何かしらの問題を抱えている。
「人生は美しい、だけど、時々何かが変だ」という言葉がしばしば登場する。
お金があって、自分を愛してくれる妻がいて、理解してくれる友人もいる。
そんな不自由のない生活のはずなのに、何か違和感が拭えない。
その訳を彼自身、心の何処かでわかってはいたはずなのだが、それとなかなか向き合いえない不器用さであったり、子供じみたところがいとおしくもあり、切なくもある。
観ている方としてはぼそぼそとしゃべる、猫背でかっこ良くもない彼を時に歯がゆく、しかし決して憎む事なく観るのではないだろうか。
最後には父の無念を無事に晴らす事で、今まですわなかった煙草に火をつける。
「煙草を吸いたいと思わないのは、子供だからよ」そんな言葉がふっと通り過ぎて行く瞬間。
何かが変わった訳じゃない、でも確実に何かが変わった。
そんな日常の風景。
まあ、最後まで意味不明なところはいっぱいなんだけど。
この映画が一部で話題になった理由というのが、Talking Headsのデイヴィッド・バーンが本人役で登場(主人公とかつての友人、という設定)し、しかもヘッズ時代の曲で、この映画のタイトルにもなった”This Must Be The Place”を歌うと言う点である。
リアルタイム世代には溜まらないのではなかろうか。
私はこの曲の入ったアルバムは未聴であったので、曲自体初めて聴いたのだけど、良い曲だね。
すごく温かな歌詞をメロディ、変わらぬバーンの歌声も相まってすごく良いのである。
バーンのライブに来ていたシャイアンは、ライブの後バーンと話をする。
そこで、バーンの才能をうらやむとともに、自分を絡めとる問題について叫ぶシーンが印象的であった。
この曲、訳せば『きっとここが帰る場所』と言った具合のようだ。
この漠然とした安心感を与えるようなタイトルが、やはり良いのだと思う。
映画全体のテンションにも通じていると思う。
周りには、いつの間にか自分の事を愛してくれる人がいて、自分もその人たちを愛している。
かつてのショービズの世界のような華やかさは欠片もないが、そのささやかさこそが幸せなのかもしれない。
彼は恋に悩む青年に向かって言う。
「女の子を口説くのに大切な事は何かわかるかい?それは、安心感だよ」
その言葉を実践するように、自然と彼は人に安心感を与えていく。
周りの人も、そんな彼に安心感を与えてくれる。
幸せというものについて考えたら、その安心感に他ならないのではなかろうか。
時々何かが変だった日々は、ようやく美しさに満ちて行くのかもしれない。
派手さは欠片もないし、落ちも特にない。
シュールで意味不明な場面も多いけど、なんだかその緩さが心地良い、そんな映画でした。
こういう映画、好きですね。