音楽放談 pt.2

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まともな人はまともがわからない ―坂本慎太郎

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最近は日本人のものもよく聴いている。

洋楽については、興味のあったものはひとまず満足できるくらいに聴いて回ったからだろう。

好きなアーティストのものはもちろん買う訳だけど、どちらかと言えば日本のバンドの見直しにかかっているのが今な訳である。

それこそFrictionとかゆら帝とか、AcidmanとかSuper Stupidなんかも聴いてみたり、あるいは先日のようなアングラ系を聴き漁ってはニヤニヤしている訳である。

その中でもゆら帝はいいですね。

坂本慎太郎のソロを友人から借りたのをきっかけに聞き出したのだが、いやぁ~すいませんでした。

こんなカッコいいバンドがいたなんて。

解散する前に何故聴かなかったんだろうと後悔ばかりである。

やっぱりここぞってタイミングが吉なのである。


さて、そんな訳で過去の音源を聴き漁りつつ、最近のものもとりあえずチェックしている。

最近ではドラマのサントラを彼が手がけたとて一部で話題になっていた。

まほろ街番地』だったか、観てないから詳しくは知らないが、そのシングル兼サントラというお買い得版を購入。

タイトル曲は”まともがわからない”!!

もはやタイトルだけで聞かない理由はないではないか。

この人の書く歌詞はかなり独特で面白い。

現代社会に生きる’まとも’な人であれば、誰しも思うであろうそんな心象風景を端的に表していると思う。

ゆるい曲調の向こうにある種のやるせなさ、虚しさも称えつつ、まともがわからない、ときめきがたりない、なんて。

社会ってやつはいつでもそうだ。

一体何が正しくて何がいけないのかがわからない。

ただ少なくとも今という時代における普通の人たちは、俺からしたら普通じゃないやつらばかり。

一体何をどうしたらそんな事が出来るのか、そんな事を考えるのか、さっぱり意味不明だ。

色んな不自然があるのに、それが当然のようにまかり通っている。

そしてみんな平気な顔して生きている。

あれ、俺だけ?この違和感をもってるの?なんて思わない日はない。

だけど、傍からみたら俺もまともじゃないらしいね。

変だ!ていう人はたくさんいるけど、俺は変なつもりはどこにもない。

ちゃんと説明すれば、確かにそうだけど、ってみんな納得するのにさ。

でも、だけど、ってなんだよ。

そいつが気にするのはいつだって社会って奴の在り方で、それに沿う事に一生懸命だ。

行っておくけど俺だって社会的な視点でものを言っている。

だから皆納得するんじゃないか。

だけど、そいつらが気にするのは例え間違っていると思ってても今そこにあるもの。

おかしいじゃん、そっちの方が、て思うから俺は変て言われるのかな。

そんなわけで、ふっと浮かぶ様々な事を端的に表現しているこの曲の歌詞は、まあ実に素晴らしいね。


一方、カップリングの曲”死者より”なんかは捻くれてはいるが生けとし生けるものに対する愛情、ひいては生と言うそのものに対する賛辞にも取れる。

生き物って面倒くさい、なんて言いつつ、1回だけいきものって羨ましい、というのである。

死んじゃったのが悔しいから、死んでよかったよ、みたいな事を言いつつ、でもやっぱり生きてるってのは良い事だな、みたいな感じがにじみ出てて、面白いし、好きな曲。


最後は”悲しみのない世界”と来たものだ。

この曲はちょっと寂しい感じだね。

今はないものに対する憧憬、みたいな。

愛しい人はもういない、その現実を何処かで認めつつ、でもまだ直視できないような、傍から観たらやるせない切なさがある。

いつかはみんな死んで行く。

それは悲しいことだけど、仕方ない。

幸せな今がずっと、永遠に続いたらいいのに、だけどそんなものはやっぱりなくて。

何処かに悲しみのない世界があればいいのに、なんて思わずつぶやいてしまう。


この人は存在自体がロックだと言われる。

見た目はなんだかぶっきらぼうで、ボーッとした感じ。

要は冴えないのだけど、音楽を通して見える彼の姿はカッコいいのである。

そして彼の言葉も、色んな含蓄もありつつ、背景にはあったかい感情が見えるのもいいですね。

ぽわ~んとしたサイケデリックを音楽のベースにしているから、楽曲としては緩いのもいいのだろう。

こういう音楽が、好きだね。