音楽放談 pt.2

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時代は変わる ―Bob Dylan

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最近また古いのも色々手を出している。
 
色々、といってもそんなに数いっぱいというわけではないが、いまさらながらにビートルズのサージェントペッパーとかね。
 
その中で何となく手に取ったのがBob Dylan
 
1枚有名な奴を聞いたことをあったのだが、それは当時のモードのせいか、あまりピンとこなかったんだよね。
 
だから今聴きなおせばまた違う響きをもつのかもしれないけど。
 
で、この間手にしたのはプロテストソング/アルバムとしても有名と言う『時代は変わる』と言うやつ。
 
最近個人的にこのワードがテーマになっているので、余計にどんな歌なのかと思ってね。
 
 
内容としてはいまさら私がどうこう言わずともネット上にも様々な評価があるのでそちらを参照される方が詳しいだろう。
 
結局変化はどんな時に求められるかといえば、旧来的な価値観がさも常識のように力を持ち始めて、新しい可能性をつぶそうとし始めたときである。
 
特に保守的な日本人にはその傾向が顕著で、変化に対して非常に臆病である。
 
しかし、そのまま意味のないこだわりを持って死ぬのか、生きるために必死になるのか、いつだってそのどっちかだと思う。
 
いつまでもクソみたいな不満をぶちまけながら、酒で流して傷をなめ合うような在り方には私はみじんも興味がない。
 
弱者をいたぶろうとは思わないが、自ら弱者だと名乗るような奴はさっさと死ねばいい。
 
そんな自助努力も放棄した奴に目くばせするほど私は余裕がない。
 
まして他人のそんな態度に巻き込まれて自分も死にゆくなど愚の骨頂である。
 
それを変革せんと努力はしてみたが、どうにもできなかったのは至らないところである。
 
しかし、世界は広い。
 
ここだけにこだわる必要もない。
 
時代は、世界は、変わっていく。
 
時にゆっくり、時に性急に。
 
その流れにのりそびれたら、待っているのは緩やかな死だ。
 
それに気づけないなら、いずれにせよ死ぬ運命だったのだろう。
 
私はそこに素直に同調はできない。
 
周りが変わらないなら自分が変わるか、自分で変えるかだ。
 
 
静かなメロディの中に力強い歌とメッセージがある。
 
今も世界中をツアーしたり、孫の幼稚園でライブをやって、こわもてで子供に泣かれて伝説過ぎてじいさまばあさまには泣かれて、若い警官には職室されちゃったりしているBob Dylanであるが、素直にかっこいいと思う。
 
年をとってもなおこういう在り方をしたいものだ。