音楽放談 pt.2

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小休止71「人の間」

最近またあれこれCDを買ったり、ライブも結構行っている、ていうか行く予定でチケットを買っている。

来週土曜は人間椅子の単独へ。

そんなに熱心なファンという訳ではないのだけど、5月にOzzfestで観たライブが非常に素晴らしかったので、せっかくなら一度単独も、という訳である。

まあ、暇だったしね。

そいで2月はまた結構な頻度でライブである。

Bo Ningenが8日、翌9日がAA=、火曜は下山などが出るイベント、これはまだ迷っているけど。

そして翌週はホステス、Nationalの出る日だけ行こうかと画策中。

何より25、26日でNINである。

現在先行予約の抽選待ちである。

結果を観て有給休暇を取得せんければ、という訳。

その他にもめぼしいものがあれば行こうかな、とちこちをチェックしている。


こうして活動だけ観ていると非常にアクティブなのだけど、聴いている音楽はアッパーな奴よりは少し鬱っぽいようなトーンのものが多い。

それこそFour Tetとかが気に入って聴いているし、その他インストものの比重のなんと多い事。

最近カラオケに行っても新しく覚える曲って余りなくて、というのも聴いている曲が大概入っていなかったり、あるいはインストだからね。

冬だからどうしてもそういう静かな音楽を求める傾向は毎年のようにある訳だけど、正直そんな能天気な気分でもないしね。

洋楽であればそれほど歌詞が直で入ってこないから曲調だけで聴けるけど、日本語の曲はやっぱり歌詞が気になる。

先に書いたアナログフィッシュなどのような問題意識を喚起させるもの、ブルハのような浪花節全開の野心を歌うもの、スムルースのような振り切って素直に明るいものもあるけど、それ以外はいっそナンセンスな言葉遊びに興じているようなものがいい。

安っぽい歌は以前以上に安っぽく響いて行けないね。


昔からそうなのだけど、街をふらついている時にも結構な人が音楽を聴きながら歩いている。

何を聴いているのだろうと気になってたまに覗いてみるのだけど、やっぱり流行の曲を聴いていたりする。

会社の人も最近音楽をiPodの新しいの買った、といっていたのだが、その人はももクロとか聴いているらしい。

その人のイメージからはやや意外にも一瞬思ったが、割とミーハーな人なのでさもありなんと思ったものだ。

その他会社の人にも何聴いているの?としばしば聴くのだけど、あまり趣味の合う人はいない。

数人コアな人もいるから、彼等とは少し話をするけど、とはいえあまり歌詞の内容に云々といった踏み込んだ話はやっぱりしないよね。

多分、しても向こうは面白くないんだろうなというのはわかるからな。

興味がないと言うのが実際なのだろうけど。

まあ、歌を内容を見ずに言葉のリズムとして楽しむのも一つだからね。

実際私自身も好む洋楽の中には言葉のリズムが気持ちいいというものもあるし。


また話ははじめの方に戻るけど、それでも以前よりも意味のない音楽というものを意識しなくなったな。

それこそBlack Diceなんて最高に意味のない音楽で、それ故に純粋な音楽ともいえる。

狂ったような音像の向こうに何を見るかは人それぞれなんだろうけど、それ以外の投げかけは一切ないからね。

一方で主張の強い音楽もそれはそれで考えさせられるものがあって個人的には楽しい訳で。

だけど、所謂売れている音楽は少し前よりも尚一層意味をなくしている気がする。

もっと言うと、意味をなくしているというよりは表面的には意味がありそうな感じがして、その実何もないと言うべきか。

やっぱり言葉に対するリテラシーなんかも下がっているのだろうかね。

そもそも言葉を知らない人もすごく多いから、言葉により何かを伝えると言う表現自体が成り立ちにくくなっているのかも知れない。

毎年発表される流行語大賞なんていうのも、その実は単なるキャッチフレーズのコンテストだ。

それ自体を否定はしない訳だけど、コミュニケーションツールの変化も伴って言葉を要しない、LINEやメールに代表される記号的な会話が常になりつつある中で、言葉そのものでは伝わらなくなっているのだろう。

喜びを表現するにはどんな文を書くかといえば、多分絵文字なんだろうね。

誰が観てもわかりやすいという意味では非常に素晴らしい表現なのかもしれないけど、一方でそこにはニュアンスも何もない。

故に向こう側の本当の顔はどれだけ思いを巡らせても見えてこないように思う。

みんなどこかでそれを感じている、あるいは自分自身もそうだから自ずとわかっているのだろうけど、それ故に今度は相手の温度を測る指標はレスポンスの早さになるし、頻度になるのだろうね。

わかりやすい数の指標を持ち込めば、そこで安心できるのかもしれないけど、一方でそれはまた無感情の虚しさにもつながっている気がする。

リアルという言葉がそこかしこに使われるようになっているのも、その反動なんだろうけどね。

メールなど記号を主体にやり取りするツールは結局人の顔が見えにくくなっているという事だろう。



ともあれ、音楽でもライブが見直されつつある中で、リアルな表現が求められるようになっている。

もちろん商業的な事情もあるにせよ、客も求めているのはある種の一体感のようだし。

それこそ最近のライブ、特に邦楽ロックのライブは激しいハードコア系でも女の子の客もいるし、モッシュもかつての体をぶつけ合うものではなく、サークルを作って周りとハイタッチしながらグルグル回る奴になっているらしいしね(サークルモッシュというらしい)。

初めて観たときは驚いたけど、足下はスニーカー、お揃いのバンドのTシャツを着て首にはタオル、キチンと動きやすい服装でライブ前には準備体操。

なんて健全なロック!

そういう層とは根本的に性格が相容れないらしいので、どうしてもいくライブはもはやモッシュすら起きないような濃い~奴になりやすい。

それがいいとかいう話ではないけど、でもこういう人の集まる場所っていうのはそこに集う人の心象も自ずと映し出すから面白いよね。

流行歌は流行歌で、何が求められているかも映し出している訳で。

アイドルがまた勢いがあるのは、ある意味では古き良きコール&レスポンスをする事による一体感を醸成しやすいコンテンツだからかもしれないね。


ま、いずれにせよ、私は私で楽しむと言うスタンスなので、なんだか最近ますます人との距離を感じるようになったね。