音楽放談 pt.2

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大事なもの ―佐々木健太郎

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最近曲の歌詞をよく読むようにしている。

自分の中で以前よりも視点が広がったのか、言葉の一つ一つから広がる見え方が少し違って、背景や人柄とか、そういうものも想像しながら考えられるようになったところが合って、それが面白いのである。

勿論単なる妄想に近い感想を抱くこともあるわけだけど、そこをあれこれと情報収集したり、アーティスト本人のインタビューなんかを読んで自分なりの解釈を求めているという作業こそがいいのである。

だから逆に言うとくそつまらない、単なる表層だけの言葉なんていうのはまったくつまらないわけである。

巷にあふれるラブソングの大半はそうした含蓄もない、美辞麗句というにふさわしいものが多く、だから聴こうとも思わないのだろう。

この頃は努めてラジオを聴いたり、テレビの音楽番組を見るようにしているけど、正直聞くに堪えないものも多くて、すぐに電源を落としてしまう。

ひねりのない言葉がつまらないんじゃない、信念のない言葉がつまらないんだ。


そんな、改めて歌詞の面白さに気づかせてくれたバンドの一つが、何かと話題に上げているアナログフィッシュである。

先般出た新譜も素晴らしく、また改めてこちらについても取り上げられればと思っているが、それに先だってそのベーシスト、佐々木健太郎さんのソロ作について。

社会性を強めているバンド本体の音楽の中で、彼の作る楽曲の割合が減ってきているが、そんな中でのソロ作というのは彼個人の嗜好性などが見えてきて非常に面白い。

バンドの音楽を聴き始めた当初は、やはり下岡さんの鋭い視点で描かれる社会的な歌詞・曲が耳を引いたのだけど、その中にあって色の違う彼の楽曲が実はこのバンドを身近にさせている一つの重要な要素なのではないか、と思うようになってきている。

言葉も曲も非常に柔らかい印象のものが多く、根っこの問題意識や方向性としては同じだとしても表現としてはこうして変わっていくのか、というところが見てとれるように思う。


で、アナログフィッシュでの彼の曲を聴いていても思ったのだけど、彼は実は相当根暗というか、根本はネガティブなところが非常に強いのではないか、という気がしている。

例えばかなりさかのぼるけど、”世界は幻”という曲でもこんな1節がある。

「どんなに素晴らしい君を形容する言葉も、僕の口を通すと汚くなる」

一部表現の仕方は違うかもだけど、内容としてはこんな感じ。

その曲で引用されるのも『地下室の手記』というドストエフスキーだったかの小説で、内容としては過剰な自意識を抱える哀れな男の話だということである(未読なので詳細はわかりませんが)。

この人ってライブだとめっちゃくちゃハイテンションな笑顔全開でベースを弾いていて、しかも見た目は地味な印象だけどかなりイケメンなので、ライブだけ見た印象からするとこういう詞を書くことがすごく不思議だった。

でも、その他でも”僕ったら”でも、”いつのまにか”でも、どこか自分の問題にうじうじしてしまう(というと語弊があるかもしれないが)ような姿があって、勝手ながらいつの間にか親近感を抱いてしまっているのである。


そんな中でソロ作ではどういう内容で来るのかな、というところなのだけど、全体としてはそうしたちょっと暗い感じではなく、寧ろ素朴であったかい内容がほとんどであった。

子供から大人になって、いつの間にか当たり前になっていた景色、環境なんかを改めて子供の視点を思い出しながら眺めているような、そんな印象。

1曲目の”Stay Gold”も、身の回りにある残酷なほどの現実を受け入れつつ、そこから改めて一歩前へ進むような内容だと思うのだけど、それが深刻な暗さではなくて、かといって無責任な明るさではなくて、ちょうど1年ぶりに実家に帰って、しみじみ両親がいつの間にか年を取っている姿を目の当たりにしたときの静かな決意というかね。

実際この曲の歌詞の冒頭もまさにそんななのだけど、最近の自分自身の状況と鑑みてもしみいるものがあるのですね。


そんな「現在」から始まったアルバムは、子供の頃を思い出したり、青春時代を通過して、そしてまた大人になって、自分の子供を眺めながらただ優しく包み込むような気持ちの現在地に至る感じ、かな。

それぞれの曲がどういう視点で謳われているのか、ということを考えながら読んでいくと、そういう一つのつらないリが見えてきて、自分がかつて大きいと感じていた親の背中に自分もなれているのかなとか、そんなある種の家族というつながりの繰り返し、みたいなこともあって、それがひどく身近に感じるのである。

このアルバムでは下岡さんも2曲提供しているのだけど、そのうちの”おとぎ話”という曲はある意味では非常に現実的で、夢がないような内容なのだけど、一方で親の役割って何かな?て考えたときには非常に示唆的な内容だと思う。

節回しがやっぱりちょっと違うから、こういうのってクセみたいなのがあるんだとわかってそういう意味でも面白い。


で、このアルバムは非常にストレートな”クリスマス・イヴ”、”あいのうた”という曲で締めくくられる。

前者はクリスマスソングであるが、内容としては”おとぎ話”の続きのような内容。

世の中にあふれるあなたと私の愛の物語などではなく、家族という枠組みで見たときのクリスマスである。

子供の頃のわくわく感と、それを演出する親の暖かさ、みたいな視点が非常にほっこりする曲である。

ロマンチックさなんてここにはないけど、そんなものが必要なのは刺激がほしい独り者にだけ。

ちなみに私にとってのクリスマスって、やっぱり子供の頃のわくわく感なんだよね。

別にイルミネーションを見たところでさしたる感動は覚えないし、むやみに浮かれる街の景色を観ては冷めた気持ちになっていくタイプなので、大人になってからはすっかり疎遠なイベントである。

だからモテないんだとは思うが、それはさておき。

で、”あいのうた”は特に対象は絞っていないけど、全体から考えると私には自分の子供に対してかな、と思えてくる。

果たして健太郎さんが既に結婚して子供もいるかどうかは定かではない(情報求ム)のだが、シンプルで素朴な曲である。

人によっては愛しいあの人でもなんでもいいのだろうけど、「寝る前に歌うから」という1節が最後に来るのが大事だよね。

寝込みというのは昔から一番無防備な場面なのだけど、自分の傍らで眠ってくれるというのは逆に言えばそれだけ自分に対する安心や信頼を持ってくれているということだろう。

だからこそ守らねば、というのが男というものである。


使い古された言葉ではあるけど、このアルバムは総じて等身大という言葉が非常にしっくりくる。

一歩引いたところから自分を見直しつつ、本当はやりたかったこと、どうしてもできないこと、できあなかったこと、その中で今自分にできること、それを静かに見つめなおしながら、本当に大事なものがなんなのかを考えさせるような、そんな内容であると思う。

此れもこの人の人柄なのだろうね。

最近では珍しいかもしれない、正統派のシガーソングライターの作った曲だと思う。

大きく話題にもならないし、今の世にあっては地味なアルバムとしてしか映らないかもしれないけど、ふとした時に聞きたくなるのはこういう曲なのかもしれないね。

こういう音楽がチャートに上るようになれば、日本だってもう少し平和でいい国になるかもしれないね。

特に今が必至すぎる人には、聴いてもらえれば何か救われるところがあるんじゃないかな、なんて思いますね。