音楽放談 pt.2

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内的に踊る ―Draft 7.30

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音楽って、どんなもの?と問うたらば、なんと答えるであろうか。

Aメロ、Bメロ、サビ、Aメロ、Bメロ、ブリッジ、サビ、みたいな?

メロディがあって、感動的な歌詞があって、みんなでシンガロングできる、みたいな?

日本では歌謡曲という文化があるので、やはり音楽=歌というのはかなり強い刷り込みであろう。

洋楽嫌いな人の中には、そう要素の欠落がしばしばあるからかもしれない。

といっても、洋楽だろうがOasisみたいな必殺メロディを携えた音楽を作っている奴らもいるわけであるから、実のところ英語がよくわからないというのが、何よりの理由かもしれないが。

それはともかく、やはり音楽というのは一定のリズムがあって、音がきれいに整列している必要があるのだと思う。

ところが、世の中にはそんな親切な音楽ばかりではない。

自然とリズムが体を揺らしてくれるような親切さを持ったものこそが音楽だと思っている頭にぜひ聞かせてやりたいもののひとつが、Autechreである。


イギリスのヒップホップシーンから現れたという二人組のテクノユニットである。

テクノといえば、日本ではYMOが挙げられるし、今だとPerfumeあたりでテクノというものをイメージする人も少なくないだろう。

しかし、残念ながらそんなに生ぬるい音楽ではない。

一応いとくけど、YMOは大好きですよ。

ただ、Autechreの音楽はどうしても聴く人を選ぶだろう。

彼らはある種のダンスミュージックをやっている。

ダンスミュージックというものについては、昨日も書いたんだけど、彼らの音楽は少し勝手が違う。


彼らの音楽を言い表す、個人的にしっくりくる言葉は、対自己に向かわせるシェルターのよう、という感じかな。

その音楽は、不規則なリズムを刻みながら、無機質で、でもどこかリアルな音楽である。

時折奇妙なところで音が途切れたりするため、気を抜いては聴いていられない。

そうして真剣に耳を傾けていると、いつの間にか自分の世界の中に入っていることに気づく。

目に入るすべての景色は対象化され、単なる記号でしかなくなる。

その記号の海の中で、自分自身すら対象化して、どこまでも客観的に自分を見つめ始める。

どんなに人ごみの中でも、いやむしろ人ごみの中でこそその力は強く働く。


そんな音楽の一体どこがダンスミュージックなのだろうか、という話であるが、まあ詳しい人が言ったらもっと素敵なことを言ってくれるのであろうが、あくまで私は主観的な感想を述べる。

ダンスミュージックとは、外からの感覚を遮断して、忘我の境地を導くもの、というようなことを昨日書いたのだけど、そう言う要素をダンスミュージックとするのなら、Autechreの音楽もまさに忘我の境地を導くことにあるといえる。

忘れられる「我」とはすなわち自分である。

自分とは世界の出発点にいる存在で、主観的な存在である。

ここにくれば言いたいことはなんとなくわかってくれると思うけど、自分を客観的にみる、とはすなわち主観を捨てるということに他ならない。

したがって、そうして主観を捨てさせるのがダンスミュージックというものだともいえるわけである。

そう言う意味では、たとえダンスさせてくれなくても、ダンスミュージックであるといえるともう、な。


まあ、かなり強引だし、実はライナーノーツの一部を拝借したような感じなんだけど、でも彼らの音楽を時に心地よく感じるその裏側には、たしかにそう言う感覚があるのである。

ただ、先ほども述べたように、ある意味ではそれだけシビアな音楽でもあるし、それゆえ人を選ぶのである。

万人に勧めるか、といえば、そんなことはない。

少なくともOrange Rangeが大好きな奴には勧めないね。

でも、一度聴いてショック受けろ、という気持ちもある。

HMVのディスクレヴューで書いている人もいたけど、無視できない音楽である。

その世界の中で自分を見つけるのか、あるいは耐え切れず止めてくれと叫ぶのか、二つに一つであろう。

音の塊に頭を殴られてみやがれ!!なんてね。