この3連休はライブを全部入れてやった。
土曜日はアナログフィッシュの単独、日月はホステスである。
一先ず今回は土曜日に行ったアナログフィッシュに絡んで、改めてアルバムについてもご紹介。
今回のツアーは最新作『Almost A Rainbow』のリリースツアーであった。
このツアーでは全会場で同じセットリストだったという。
3部作と位置づけて制作されたシリアスなムードの強い3作の後、11ヶ月というスパンでリリースされた今作は、メンバー自信も名刺になると自身を見せるように、非常にポップで瑞々しく、重苦しさよりは軽快さがあって、良い意味でのリラックス感が出ていて、その上でいつものように素晴らしい歌もリリックもある。
『最近のぼくら』では下岡さん作の曲が大半であったが、新作では佐々木さん曲も増えていて、以前のような構成に戻ってもいる。
と、言って今回書くのは最新作ではない。
そちらはまた改めて書くことにして、今回はその3部作の第1弾となった『荒野 / On The Wild Side 』である。
このアルバムは彼等のキャリアの中でも一番攻撃的なアルバムだと言う印象を持っているのだけど、このアルバムの世界って言うのはやっぱり今という世の中の一つのムードだと思うのですよね。
1曲目は”Phase”という曲なのだけど、これからの3部作の幕開けを高らかに宣言すると同時に世界に突きつけていく非常にメッセージ色の強い歌詞と、それを焚き付けるようなアグレッシブなドラムが印象的な曲である。
「失う用意はある?それとも放っておく勇気はある?」というのが何よりなんだけど、文句や批判ばかりして、自分では何もしない連中が多い無関心と言われる現状にあって、何もしないことは関係ないと言うことではなくて、結局何かを失う、諦めることになるんだよ、ということを突きつけているように思う。
一方この歌詞の中では「夢を売る彼はリアリスト、夢を見る彼はテロリスト」という下りもあって、ここだけは今のご時世で少し語弊を招いてしまう可能性もあるように思うが、それは彼等の本意ではないだろう。
この曲のアップリフティングな曲調と合わせれば、別にテロ行為を賛辞するものでは全くないことはわかるだろう。
続く”荒野”は、一転して穏やかな曲調なのだけど、悲しい現状から一歩踏み出してくまさにその瞬間を捉えたような曲だろう。
「選べるものが1,000あろうが1つだろうが変わりはしない、大事なものはどれかじゃなくてそれしかないの」というのがすごく良い言葉だと思う。
こういうところに下岡さんの人間観も見て取れて面白いよね。
オンリーワン、なんていう言葉だけが都合良く跋扈しているけど、本当にその本質を思っている人はどれだけいるのだろうか。
本当に求められることなんて、実はそんなに多くない。
続く”ロックンロール”は佐々木さん作の爽やかな曲。
この人のこの瑞々しい感性はやっぱりこのバンドには重要だよね。
音楽好きなら誰もが共感できそうな、それぞれのテーマソングを胸に勢い外に飛び出すような、そんな情景が目に浮かぶ。
「今日が動き出す、僕は歩き出す、街が輝きだす」と、少しずつ世界が動いていく感じがいいですね。
続く“No Way"は、住み慣れた環境を後にするときの寂しさみたいなものを歌ったような感じかな。
「流した涙は乾いても、流した訳を忘れはしないよ」というラインが印象的なのだけど、悲劇とかそういうものが何故悲劇なのかの本質がそこにある気がする。
この人のこういう表現力って本当にすごいと思う。
続くは”戦争がおきた”。
静かで淡々とした曲なんだけど、日本のテレビでニュースとしてみる戦争を描いている。
そのどこか他人事のような淡々とした曲調も、日本人にとっての戦争がどういうものか、現代日本がどうあるのかを見事に表現していると思う。
「まばゆい光が不確かな国の確かな家族に飛んでった」という所にかすかなリアルがあるのだけど、「何かが変わると良いね」と最後は他人事で終わってしまうという状態こそが、やっぱりこちらが日本のリアルである。
ただ、主人公はそんなニュースと今ある現実の狭間で何処か懊悩している様子があって、それがまた良い味わいを出している。
全く無関心な訳ではないし、戦争が良いとは思っていない。
だけど、どこか現実味がなくて、何も出来ないし、なんだかモヤモヤしてしまうような風景が透けて見えてくる。
そして一つのハイライト”Hybrid”である。
歌詞の内容的には一番攻撃的であるが、曲調が物悲しさを称えていて、アンビバンレトな心情を見事に表現していると思う。
愛することも憎むことも自分の中には同時に存在していて、その狭間で自分の存在に悩むような在り方はなんだか締め付けられるものがある。
「あの時僕は彼女に恋をして、おんなじ理由で彼女を嫌いになった。抱きしめた時と反対の手順でほどけてく腕は少しの熱を残した」というラインがすごい。
いくら嫌いになってはなれて行くといっても、全てが完全にネガティブにしかならないことなんてない、あるいは憎しみは愛情の裏返し、ということを言う訳だけど、それもある意味では愛の在り方でもあるというこもかな。
最後の「たまらなく君を愛している、またたまらなく君が嫌になる、でもたまらなく君を愛してるよ」というところがグッと来るんですよ。
このアルバムは詞も曲も含めてどれも質が高くて、外れ曲が全くない。
ちょっと長くなったので最後にこのアルバムのラストを飾る”Texas”について。
下岡さん自身「大事な曲」と語るこの曲は「スペースシャトルが堕ちた」という1節から始る。
重要なのは「僕は夢を見ていた、そこから木の生える」というところ。
スペースシャトルなんて、お金も掛かっていればたくさんの人の夢も載せていたはずである。
それが墜落したなんていう事故は悲劇でしかないけど、でもそれを乗り越えて新しい何かが生まれて、世界を良くする方向にすることが大事なんじゃないか、ということかなと思っている。
この曲中でもう一つポイントなのが「僕のテーブルには始めから足りるだけの席なんて御座いませんよ、結局君がやさしいってことが皆のためになるよ」というところかと思っている。
世界平和を宣言してみても、そんな世界を包み込むほどの度量も何も誰も持ち合わせてなんていないんだから、一人一人が今隣にいる人をキチンと大切にしていれば、その総体として結果的に世界は平和になるんじゃないかな、なんていう夢がそこにある気がする。
君とか僕という一人称が誰なのかを読み替えながら観ていくと、なるほどななんて思った訳である。
ちなみにこの曲はいくつかのヴァージョンがあるのだけど、私はシングルのヴァージョンが好きですね。
アルバムヴァージョンも静かでこのアルバムに入るのにはあっていたかもしれないけど。
で、何故新譜のリリースツアーに行っておいて過去の作品を紹介したかと言えば、このライブでまさに"Phase""Hybrid""Texas"が演奏されたのだけど、明らかに彼等の意志がそこに見て取れたんだよね。
特に"Texas"を歌う前には「僕の個人的なものなんだけど、フランスの友人たちに捧げます」と言って演奏された。
自分勝手な世界粛正には迷惑しかないわけで、しかしその実行している連中も人間的に悪かと言えば必ずしもそういう訳でもないらしい。
だから、正しいとか正しくないとかの価値観ばかりが先行すると、結局世の中はうまく回らなくなるし、その大義名分同士の間でいざこざも起こってくる。
でも、大義名分がないと人は無関心になるし、ついては来ない。
そうすると世界は動かなくなってしまう。
世界平和はやっぱり夢なんだろうね、なんてつい思ってしまうよね。