音楽放談 pt.2

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小休止115「共感の正体」

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この絵を見て「あ、Mars Volta!!」と思った人はきっとロックが好きな人で、少しひねくれた方向に向かっているギークの可能性が高い、のではないだろうか。

彼らの出生作『Frances The Mute』のジャケットは、かのヒプノシスが手がけたもので、この絵はそのモチーフになったマグリット「Lovers」という絵である。

同じように布で顔を覆った男女の仲睦まじい姿を描いたものはいくつかあるのだけど、その中でも印象的な1枚だろう。

大半の人がこの絵を見て感じるのは「なんか不気味」ということではないだろうか。

顔がこうして覆われているという段階で尋常ではないし、背景含め全体的にダークなトーンなので、余計にそう思うはずである。

私は絵画については全然わからないのだけど、それでも美術館に見にいくのは結構好きでちょくちょく企画展を見に行っている。

マグリットは天才・ダリと同じくシュルレアリズムの画家として有名で、アート系の人でもファンが多いらしい。

かのビートルズのアイコン的な青いリンゴはマグリットの絵に描かれているものを参照したというのは有名な話だろう。

また先のヒプノシスについても、私はその作家の1人、ストーム・サーガーソンの作品集を持っているけど、大半のモチーフはマグリットの絵画と思われる。

むしろマグリットの絵画を写真で再現しようという試みが彼の創作意欲の一つだったのだろうかと思う。

元々は先のMars Volta始めPink Floydの一連の作品でも数多くのアートを手がけていて、その独特で異様なアートからヒプノシスに興味をもって、そこからマグリットの存在を知っていった。

シュルレアリズムについてはダリとかも見て、なんか奇妙な絵だななんて思って興味があったけど、私はダリとマグリットだとマグリットの絵の方が好きである。

企画展もあったので見に行ったけど、妙に好きなのである。


彼の絵は先にも書いたように、彼の絵は全体的に暗いトーンのものが多い。

例えばこんなものも。
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ゴルコンダという作品だけど、ハット姿の男が雨のように空から降り注いでいる、あるいは無数のそいつが宙空に浮いているという絵。

このハットの男はしばしば登場するモチーフで、マグリット自身の投影とか彼の父親の姿とか、確かどちらかだった気がする。

不思議な絵である。

一方で私が一番好きなのは光の帝国というこの絵。

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空は昼間だが地上は夜という、昼夜が混在したものだけど、、非常に美しい絵だと思う。

同じタイトルの絵は幾つかあるので、興味があったら探してみてほしい。

マグリットは全体的に暗いトーンの絵が多いが、一方で空のモチーフの絵もたくさん書いている。

空を鳥の形で切りとった絵も有名なので、見たことのある人はいるだろう。


さて、随分長々と書いたのだけど、今日は絵画について書きたかったわけではない。

私は絵画についてはよくわからないし、音楽についても正直わからない。

わからないけど、それでもいいと思うものとなんとも思わないもの、中には嫌いだと感じるものがある。

その区別ってなんだろうという話である。

私は音楽についても暗いトーンの曲を好む傾向はあって、あっけらかんと明るいだけの曲ってダメなんだよな。

いわゆる共感するというのって、表面的に顕在化している意味以上に何かがあるはずである。

それって何かな、というのが今日か書きたかったことである。


なんで急にそんなことを思ったかというと、昨日AA=のライブへ行ったのですね。

新譜のツアーファイナルだったのだけど、今回のアルバムは作品として好みのテイストだったし、作っているTakeshi自身が楽しんで作ったのだろうなということが伝わって来るいいアルバムだと思ったし、華を添えるゲストもいたからこれまでとまた毛色も違ってよかった。

そのツアーなので、ゲストはみんな出てきて、非常に充実の内容であった。

終演後には珍しく結構な長さTakeshiがしゃべった場面もあって、彼なりに色々と思うところが多いのだろう。

実際今回のライブでちょこちょこ客席に呼びかけるような場面があったけど、いつになく政治的というか、彼のそういった部分を見せたライブだったのだけど、客席がそこに反応していたかといえば多分大半はスルーしていた気がする。

彼の発言自体は昔から楽曲でも見せてきているから何かが変わったわけではないのだけど、彼の楽曲を聴く人がそこに反応していたかといえばそうではないというのがまざまざと浮き彫りになったように思う。

私自身はどうかというと、正直どこか虚しさみたいな気持ちで受け止めていた。

彼の思いや主張は間違っていないし、単独ライブという場で主張することも、彼にしてみればそうしたスタンスも含めて共感してくれてるから集まってくれたファンという思いがあったかもしれない(もちろんそこまで考えたわけではなく、何かの場では積極的に発信するようにしているだけかもしれないが)。

しかし、残念ながらそうではなくて彼の音楽的なポップサやキャッチーさなどを好んでいるだけで、それ自体悪いことではもちろんないけど、少なくともそこにはズレがあったんじゃないかなと思うのである。

その伝わらなさみたいなものは見ていてちょっと切なくなるよね。

私もあの場でああいう発言をしてしまうのは、日本ではちょっと難しいだろうと思って見ていたし。


アーティストっていうのは自分の中の何かを表現する人たちを指すのだろうけど、彼らが表現したことが必ずしもそのまま伝わるわけではないし、ファンもそこから何を受け取るかは千差万別で、そこにはどうしてもすれ違いを前提としないとストレスな状況は避けられないだろう。

みんなが暗いと感じていることが表現している当人にとっても暗いと思っているわけではないし、昨日書いたDeerhunterにしても、彼らは自分たちの音楽を暗いと思っているわけでないだろう。

でも聞く側、受け取る側は自分の中にある何かとその作品を結びつけているから、図らずも多くの人の暗い部分の共感を呼んでしまうこともある。

私も根暗なのでどうしても影みたいな部分を感じるとつい惹きつけられてしまう。

マグリットにしてもNine Inch NailsにしてもJoy Divisionにしても、そしてTakeshiにしてもどこか影のある楽曲がちりばめられていることによりMadにも興味を深くしたしね。

そういうファンの勝手さみたいなものは表現する側にはジレンマだし、そうじゃねぇよと思うところもあるからそのジレンマの中で自殺を選ぶ人もいるしね。


いずれにせよ、ライブに行くとそういうものがより強く感じられるし、表現者が何を表現したかったのだろうかという意図の部分を感じ取れるいい機会になったりするから面白い。

「作品を出した後はファンのひとのもの」とは、J-POPアーティストの決まり口上のようなところがあるけど、あながち間違ってはいない。

とんがった表現者からすれば、「俺の言いたいのはこういうことだ!」という人もいるし、上記のような発言をする人は達観しているから商品として提供しているかのどちらかだろう。

いい悪いという話ではなく、どうしたってそういう側面があるから、仕方ないよねということなんだけど。

何かしらのアートに触れる時には、歌詞の表面的な意味だけでなく、一体どういうところに、なんで共感できるんだろうなんて考えてみると、色々自分自身についても見えてくるから面白いですよ。

Joy Division "Love Will Tears Apart"