
昔ヤングサンデーで「殺し屋1」という漫画があった。
バイオレンス・ショッキング・サスペンス・ラブコメディとでも言おうか、エログロ満載ながら泣きながらヤクザを真っ二つにして、その現場で自慰行為に耽るど変態殺し屋vsどMの狂ったど変態組長の、ある意味では相思相愛な狂った漫画である。
画像はそのど変態組長、垣原である。
彼は最後全裸で殺し屋に追いかけられて、ビルから落ちて死ぬのだけど、そのあっけなさというか間抜けさというか、淡々とした描写が秀逸である。
あまりにぶっ飛び過ぎていて、残酷さ以上にもう笑ってしまうくらいである。
この漫画の登場人物は、言ってしまえば全員変態である。
シャブ中、ヘロイン中毒、ネクロフィリア、誇大妄想狂、過剰な残虐嗜好など、狂い咲き状態だ。
その中でわずかにいる普通の人々の中で、そちら側へ傾倒してく者、最後まで普通の人など、人間模様も面白い。
いずれも誰もが持っている人に言いにくい部分を誇張したような存在ばかりで、その生臭さは凄まじい。
一度は読んでみてもいい漫画だと思う。
さて、世の中的に変態という言葉はどちらかといえばネガティブなニュアンスで以って使われているが、突き抜けてしまうと一目置かれるようになるというのは不思議なことだ。
ただ、その変態性がどちらに向くかという問題はあるけどね。
ところで、変態というのは一体どういう概念なのだろうかと改めて考えると、平たくいえば普通でない、ということになるのだろうけど、じゃあ普通ってなんだという話になるとそれはそれで難しい。
偏差値で言えば50あたりがいわゆる普通で、80超えや逆に30切るような奴らは変態認定だろう。
標準偏差で言えば数%もいないあたりの連中なので、所謂普通ではないよね。
一方、こうして数値化されない概念とか価値観みたいなところに付いて考えると、実は普通を定義する方が難しい。
所謂マジョリティとされる人たちが普通で、そうでない人が変態、ということになるのかもしれないが、「変態ですね」と正面切って人に言える人は少ないだろう。
それほど価値観における変態性はある種の特殊性を以って語られる。
実はその一番の理由は性癖に紐づいて語られることが多いから、それが一番の理由かもしれない。
だけど向井も言っていたが、実際は大体が変態である。
いいじゃないか、変態で。
もっとも社会的に許容されるかどうかはまた別の話なので、もしそこから逸脱してしまう可能性のある変態諸氏は、やはり自重する必要があるのは、仕方のないことである。
しかし、やっぱりそうして我慢ばかりしていると体にもよくないだろうから、それなりに発散方法も身につけないといけないだろう。
それを健全な形で発露しているミュージシャンは幸せな変態かもしれない。
と、いうわけでそんな変態的な音楽をやっている人たちの曲をいくつか紹介してみよう。
すでに過去紹介したものもあるのだけど、改めてこの面白さを感じてもらえれば至福である。
まずはこちらから。
Liarsの最新アルバムから"Mess On A Mission"。
最初から最後まで一見派手に見えるが、実はメンバーは階段を数段神妙な顔でバックで登っているだけで、あとはCGを重ねてひたすらリフレインである。
全く意味がわからないのだけど、その顔とよく見ると大したことやっていない感じが素敵だ。
曲自体もいい感じに気持ち悪くて素晴らしい。
続いてはこちら。
サイケデリック風味満載のジャンキーPVである。
彼らの曲は割と全般的に何事か呻いているヴォーカルで、それがさらに拍車をかけてくれる。
わかりやすく変態性を感じられる曲なのではないだろうか。
私はなぜかこの曲を聴くとやけにテンションが上がる。
サイケデリックな感じで言えば、Black Diceとも親交のあるAnimal Collectiveもばっちりだ。
最新アルバムより"Floridada"。
彼らの曲は割とコーラスワークもあって、曲そのものの奇妙さはあるものの基本的にはポップである。
攻撃性が全くないのが素晴らしいよね。
ライブは本当に素晴らしい。
続いてはこの間も紹介したこのバンド、Tera Melosから。
"Wierd Circles"という曲なのだけど、曲だけ聞いたら結構かっこいい。
でも、なんか映像が変なのだ。
この人たちって何かしないと気が済まないのだろうな。
一見かっこいい変態である。
曲の終盤で踊っているウインナーが素敵な余韻を残してくれる。
所謂マスロック系のバンドって、実は奇妙な音楽の場合が多いように思う。
今や世界的にも大人気のスーパーバンド、Battlesもかなり曲は奇妙だ。
"Dot Net"という曲だが、ドラムが楽曲の中心でアグレッシブに打ち鳴らされているので、一聴してかっこいいやん、となるわけだが、しかしその背景で鳴っている音とかをみていくと非常に奇妙な曲である。
なんでこんな曲がしっかりと受けているのかと思うと不思議な感じがするわけだけど、彼らの場合はユーモラスという評価を受けていたりする。
この奇妙さをポップに昇華するのも、やっぱりセンスとかが必要なわけだ。
日本を代表する世界に誇れる変態と言えば、やはりこの人は外せないだろう。
ご存知Boredomsのライブ映像。
いきなり叫んでいる。
先のBattlesとも親交があり、2ndでは客演もしている、本当に日本が誇るアーティストなのである。
最近のライブは本当に儀式みたいになっていて、圧倒的である。
でもこのライブ映像は普通にかっこいいかもしれない。
かも、しれない。
昔の日本ではとんがった人が結構テレビにも出ていた時代があった。
例えば彼らもその一つだろう。
ご存知ヒカシューの"PIKE"。
といって私はまだちゃんと音源を聞いたことはないのだけど、Lilies and Remainsが彼らのこの曲をカバーしていて、曲自体はかっこいじゃないかと思ってオリジナルを見たらこれだった。
曲そのものというよりはこのパフォーマンス含めてなんともいえない変態性を帯びている。
ヴォーカルの人は巻上さんというらしいが、軽く目がイっている。
でも、今も現役だし、デイビッド・バーンなんかとも親交があり、世界ツアーなんかもしているらしい。
変態の受け皿には日本は狭いのだろう。
世界には出ていないけど、世界的に見ても類を見ない独自性を持っているのはあぶらだこだろう。
1stアルバムの1曲目"Farce"という曲だけど、非常に独自な音楽である。
ヴォーカルの歌い方や声質も特徴的なので奇妙だという印象はすぐに抱くと思うけど、ライブやPVで見るその表情やなんかを見ると異様な迫力を持って迫ってくるのである。
かなりシリアスな曲なのでコミカルな要素はほとんどないので、なおさら狂気的に感じてしまうけど、でも彼らの音楽はかっこいいですよ。
最後は私も大好きなイギリスのバンド、XTCのこの曲である。
"This Is Pop"!
と言いつつ調子っ外れなキーボードにどこかコミカルなヴォーカル、確かにポップだけど、ザ・ポップスという感じのしない曲である。
初期の名曲だし彼らの代表曲だ。
ちなみにこの曲をカラオケで歌った時に、友人はぽかんとしていた。
そりゃそうだよな。
人の感性っていうのは多種多様で、普遍性を見出すことの方が難しい。
大学の時のパーソナリティ心理学の先生が半ば自嘲気味に言っていたことで、今でもよく覚えいる言葉がある。
「学問っていうのは普遍性や共通性とかから規則性を見出して一般化していくのが基本的な手続きなんだけど、パーソナリティ心理学っていうのは個人差をみていく学問だから、そこで普遍性を見出していくっていうのは実は矛盾してるんだけどね」というもの。
一応言っておくけど、だから意味がないという話ではないからね。
それはともかく、それだけ違うということが普通のことで、むしろ普通ということ自体がパーソナリティとかにおいては本来的には不自然だと言える。
もちろんその中で近しい価値観の人がいるのは当たり前だと思うけど、同じであれというのが善しとされる価値観が強いから変態はダメなもの、恥ずかしいものと思われているけど、実際は大体が変態なのだから、もっとポジティブに行けばいいじゃないか。
なんどもいうが、反社会的なこととか、そういうのは社会生活上の問題はダメだけど、うまく昇華されればこんなに楽しくなるのである。
自分、変態かもしらん・・・と不安になっている人は、世の中の変態たちをみて、いい参照点を見つけて欲しい。
それにしても、この記事の中で一体何回変態という言葉をつかったのだろうか。
これから違う検索で引っかかりそうでこわい。