
私は「趣味はなんですか?」と聞かれれば、音楽を聴く、プロレスを見る、途方に呉れる、といったことを答えるようにしている。
こう答えると、大体の場合はぁなるほど、などと気の無い返事をされることが多く、相手にしてみれば「聞かなければよかった」といった類の回答だろう。
音楽を聴く、といった趣味は非常に無難に見えてその実奥が深い。
まして安易に踏み込むと大惨事にもなりかねない。
何故かといえば、一言に音楽といってもそのジャンルは多様だし、しかもその多様性が故に容易に「こいつとは分かり合えそうにない」ということも相手にそれとなく示してしまうからである。
私も偉そうに音楽が好きです、などとのたまって見るが、残念ながらミスチルやドリカムには興味がないし、かといってあまりに音楽的に専門性を高めるとわけがわからない、いわば一番中途半端な位置付けな音楽好きである。
今のところ人生において分かり合えたのは大学時代の友人のみだ。
その友人ですら根本のところでは趣味が違って、そのあたりはお互いにそれとなく認識しているのである。
たとえば、私はパンクロックは大好きだが、彼はその手ジャンルは聞かない。
一方で彼はテクノポップ的な音楽は大好きだが、私が聴くのはごく限定的なアーティストのみである。
また同じようにヒップホップを聴くにしても、私は割とゴリゴリなやつを好むのに対して、彼はパーティチックなアーティストを好む。
彼はブルハはまず聞かないだろう。
それはいい悪いの話ではなくて、たんに感性の問題でみかんが好きかりんごが好きかという程度の違いである。
是非の問題ではないのだ。
この感性というのは萬に行き渡っており、食い物もあれば異性の好みまでありとあらゆるところまで行き渡るものであるにも拘らず、実態は非常に掴みづらいものでもある。
人文科学の分野でも様々な研究がなされているが、この部分がなかなか解明できない分野だろう。
同じ対象を好きなのに、その好きの理由とか好きの内訳をつぶさに見ていくと、大体の場合交わることは少ない。
先の友人の例もそうだし、その他プロレス好きの友人と話もガッチリとハマることは少ない。
むしろ自分自信の感性すら掴みきれていないのだから、他人のそれなどいわずもがなである。
なんならその前に聞いていたのはQueens Of The Stone Ageの新譜だ。
節操ないなと思うけど、あんまりこだわらない方が面白いこともあるんだよね。
先にちょっと触れたプロレスについても、私はそもそも総合、K-1といった格闘技から入ってプロレスを好きになっているから、多分旧来的なプロレスファンと違う捉え方をしている可能性もある。
別に何が優れているとか言う話ではなくて、単純にそういう個人差って面白いなって話である。
私は音楽もライブもよくいくし、プロレスの試合もよくいく。
その感想をこうしてブログに書いているわけだけど、同じものを見てもアウトプットする形は全然違うわけだ。
だから人の感想文とか読むと面白いんだよね。
一方でこうして自分の書いたものでも、アクセスが多いにもかかわらず多分共感はされていない場合もあるし、わずかなアクセスにもかかわらず共感をしてくれる人もいるからね。
根本的には人に共感されるかどうかはあまり問題ではない。
だけど、やっぱり人に共感してもらえるのは嬉しいことだ。
個性とか個人差が重視されているのが昨今だけど、人はそもそもみんな違うんだから。
そこで少しでも通じ合える人がいることがそもそもの奇跡である。
だから、ちょっとでも共通点を見出せたなら、すこしでも仲良く過ごしたいよね。
そう思う人が1人でも増えれば、案外世界平和なんてすぐじゃないか、なんて思うのはおめでたい思考だろうか。