音楽放談 pt.2

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20年目の幸せ -The Blue Herb

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今日はこの大雨の中、日比谷の野音Tha Blue Herbの20周年ライブであった。
 
昨年末のライブで配られたポスターでマークされていたこの日だったが、あいにくの大雨、なんなら台風がきているという悪天に見舞われてしまった。
 
しかし、そんなことは関係なく、駅に着くと着替えている人たち多数。
 
フジロックばりのフル装備も散見されるが、やはりコンビニカッパ族が大半であった。
 
かくいう私もコンビニカッパで参戦。
 
いざゆかん。
 
ついたらすでに16時半とかだったんだけど、せっかくなので記念グッズを買おうと思って列に並ぶも、その間にライブがスタートしてしまう。
 
それでも結構長時間並んで、もうすぐというところまで来ていたので列に並びながら聞くことに。
 
ところが、いざ物販に至るも欲しいものは売り切れ。
 
ショックを引きずったまま指定席へ向かうが、俺の場所にはすでに見知らぬ人が。
 
ライブも始まっていたので、もういいやと思って階段に半分はみ出た状態で見ることに。
 
 
セットリストは、ほぼキャリアを順に追っていく感じで演奏された。
 
1曲目は記念シングルから” Babluckerz”から、2曲目には”AME NIMO MAKEZU”が演奏されているなど、まさに今日のシチュエーションにはぴったりだ。
 
”続・腐食”や”路上”も演奏されて、これらはこれまでライブでは観たことなかったし、ストーリーテリングな曲なので最近のモードからすれば余計にレアな曲であった。
 
結構アレンジもスキャットというか、軽く演劇的な要素も入れながらで、いつもよりもBOSSが楽しそうだし、そうした空気のよさもなんだかよかったね。
 
 
彼らがデビューして20周年、実は遅咲きのアーティストで、年齢から考えれば彼らが26の時に動き出したプロジェクトである。
 
すでに同年代では成功を手にしている連中もいた中で、彼らはそこから下積みを始めたわけであるが、それが今では独自の屈指のアーティストとして存在している。
 
でも未だに大御所的なことはなくて、ずっと戦っている。
 
その姿勢がかっこいいから私は彼らが好きなんだけどね。
 
そうした背景なんかも鑑みながらそれらを俯瞰するような選曲も良くて、個人的に好きな曲も聴けたし、3時間やったのだけど、本当にあっという間だった。
 
時間を忘れる感覚って、いろんなライブを見ていても稀なんだけど、彼らのライブはいつもそうなんだ。
 
その言葉や音が、その時々刺さってくるから、いちいち私は彼らのライブを見るたびに喚起される。
 
頑張んないとなと思わされるんだよね。
 
彼らの音楽は浪花節と言われるが、私はそういうのが好きなんだろうね。
 
 
実質本編が一段落した時、彼らが初めて作ったという音源が流された。
 
3rdに入っている”この夜だけは”の元バージョンで、彼らが札幌を駆けずり回っている時にはいつも流していたという曲は、まだ若いBossの声と、オーソドックスながらしっかりしたトラックがなんだかいい感じであった。
 
そしてラストは今の”この夜だけは”が披露されて終焉となった。
 
最後は席後方の招待席みたいなところにいたONOもステージに呼ばれて、なぜか娘さんもちょらちょらしていたけど、とにかく幸せだった。
 
演奏された楽曲もいちいち響くし、個人的にその人の人生にやたら思いをはせちゃうように最近なっているから、そんなことを思うとなんだかグッとくるものもあって大雨で足元はぐちゃぐちゃ、気温も下がって寒いんだけど、幸せな空間だった。
 
客演もあったけど、それ以上にやっぱり楽しそうな人を見るのは楽しいし、幸せそうな人を見るのはいいことだ。
 
一ファンとしても単純に嬉しい気持ちになるし、こういう瞬間っていいんだよね。
 
 
なんだかあんまり中身のない記事になってしまってなんだけど、何をやったかも重要なんだけど、それよりもこういう瞬間をこういう気持ちというか、こういう空気で迎えられたことが何より幸せなんじゃないかって思うわけですよ。
 
大雨が降ったのはしんどいコンディションではあるけど、一方でそれゆえにライブに集中できる部分もあったかもしれないし、結果的に彼らには雨がよく似合う。
 
負けずにやって来たからこその今だし、実は雨の情景のリリックも多い。
 
あえてそういう演目を選んだのかもしれないけど、全てに必然性があったような気さえする。
 
 
個人的な話なんだけど、最近数十年後のことを考えることがある。
 
自分が今好きなアーティストが死んでしまって、自分の体も衰えて、そういう状況をその時の自分はどう受け取るのだろうかということを考えてしまうのである。
 
ちょうど好きなアーティストって10歳くらい上の人が多いからそう考えるのかもしれないけど、そうなった時に自分もきっとその手前にいる。
 
その時に自分は幸せだと言える暮らしをしているのかな、なんて思ってしまうのである。
 
今ですでに将来なんてものを見ていないし、人生の目標も別にない。
 
 
そんな状況だからか、彼らの姿というのはなんだかすごく染み入るものがあるし、勇気付けられるっていうのはこういう感覚なんだな、なんて思うわけである。
 
これからも彼らは変わらず音源を作ってライブをやっていくだろう。
 
歌っていくテーマも変わっていくだろうし、今と同じように活動しているかもわからない。
 
だけど、彼らは彼らの戦いをこれからもしていくだろうし、今私がわからないことをきっと彼らは何か残してくれているのかもしれない、なんて思ってしまう。
 
幸せな40半ばを迎えた彼らの年齢になるのは、私にはまだ10年以上の時間がある。
 
だけど、ぼけっとしていたらあっという間に終わってしまう時間だから、その間に何をやったかである。
 
最近のライブのラストで演奏されるのは” And Again”というBossのソロアルバムのボーナストラック的な曲なんだけど、この曲のリリックが最近やけに刺さるのだ。
 
「何をやり残したんだ」「これからはやらなかったことだ」というラインなんだけど、何も成し遂げてないからな、なんて思ってしまう。
 
今の仕事もそこそこ認められ始めているし結構頑張っているけど、どこか向くべき方向が見えてこなくて、結局俺はなにをやりたいんだろうなんて思ってしまう。
 
そんなことを悩むとつい酒が欲しくなっちゃうんだけど、そんな状況がやっぱり楽しくもなければ幸せでもないし、なんか勿体無い気がするし、腐るにはまだ早いよな、なんて思ったりしてね。
 
 
ともあれ、言ったことは全て実行して来た彼らだからこそ、「だから言っただろう」という言葉も重みがあるし説得力もある。
 
そんな歳の取り方をしたいななんて思うよね。
 
と、いうわけで曲についてはこれを貼り付けておこう。
 
今だからこそ響く言葉もあるはずだ。
 
"未来は俺らの手の中"