音楽放談 pt.2

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無駄のない人生なんて無駄 -坂本慎太郎と羊羹ナイフ

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この楽曲DLが主流の時代に、私は相変わらずCDを買っている。

先日もArctic Monkeysの新譜を買ってきたんだけど、まだちゃんと聞けていない。

とりあえず、だいぶまた違うアルバムを作ったな、という印象だ。

休日は近所のCD屋さんへ出かけてあれこれ見ているのが楽しいし、中古でいいものを見つけると買ってきてはニヤニヤしている。

アメリカではすでに消えたとも言われるタワーレコードにもよくいくのだけど、そのタワレコで長らくやっているキャンペーンん一つが「No Music, No Life」というやつ。

一定期間ごとに様々なアーティストなどを起用して、一言キャッチコピーをつけたポスターを掲示している。

新人からベテランまで様々なんだけど、単純に好きなアーティストのポスターならしげしげとみるし、そうではなくてもどんなことを書いているんだろうということを見るのも結構面白い。

私が大学生の頃からやっているからすでに10年以上やっていて、大学生当時にThe Mad Capsule Markets総合格闘家の五味が一緒に写っているものがあって、今でも印象に残っている。


で、そんなキャンペーンポスターでもう一つ印象の残っているのが元ゆらゆら帝国で、今はソロでやっている坂本慎太郎のもの。

このポスターが出た当時は多分まだちゃんと彼の音楽は聴いていなかったと思うんだけど、そこのキャッチコピーが実にいいなと。

「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい」というもの。

まあ、画像に書いてあるんだけど。

なぜこれが印象に残っているかといえば、私の価値観の一つに「人生の楽しみは無駄の中にある」というのがあるんだけど、音楽もその一つで、事実別に実利的なものではない。

それでお金を稼いでいるとかいえば話は違うかもしれないが、享受する側に限ってみれば忙しければ後回し、お金がなくなれば後回し、他にやりたいことがあれば後回しと、基本的に一番になることはない。

いかな音楽が好きな私といえど、貧すれば鈍す。

仕事で忙しくて時間がないと音楽を聴いている時間はやはりない時もあるし、それは仕方ないと思って過ごしているわけだ。

もし死ぬ寸前であったなら、そこで選ぶものは別なものだろう。

音楽に限らず、およそ趣味として扱われることの大半はそういうものである。

ていうか、いざとなれば仕事だって生きている間の娯楽の一つみたいなものである。

もしお金を稼ぐ必要がなければ、誰が仕事なんてするだろうか。

少なくとも私はしない。

しかし、現実には働いてお金を稼がないと土地も資産も持たない私は間も無く金銭が尽きて食うや食わずの生活が待っており、間も無く家も追い出されて路頭に迷って、放蕩の挙句に路傍の塵灰と化すだろう。

万が一そうなったら、とりあえず南へ向かうことにしよう。


そう考えてもわかるように、無駄を楽しめるというのは実に重要なことなのである。

人生に無駄なんてないんだ!と本気思っている人には申し訳ないが、私は無駄こそが人生を豊かにしていると思っているので、無駄があって何が悪いんだ!と立ち向かうだろう。

無駄に前向きなやつだと「そうして人生が豊かになっている段階で、それは無駄ではないんだよ」とか言ってきそうなので、そうなったらもうそいつとは話をしない。

別にポジティブなわけではないのである。


それはともかく、生きていくためにやらなければいけないことというのはやっぱりしんどい。

失敗=命に関わる場合もあるし、美味しいものを食べられるかゴミを喰らうかを分けるものなので、必死にならざるを得ないから、笑ってなどいられないのだ。

しかし、遊びには失敗がない。

ていうか、そもそも成功とか失敗とかいう概念がない。

だから楽しいし、それを楽しめる状況っていうのは素晴らしいことだし、逆は悲しいことだよね。

果たして坂本慎太郎がそういう気持ちで言っていたのかはわからないが、やっぱり無駄って素晴らしい。


ちなみに坂本慎太郎、ソロ名義でのアルバムはすでに3作リリースされているが、ライブ活動は今年になってからようやく動きだしたばかりだ。

先だってドイツではライブがあったが、日本国内では今年1月末に初ライブ、2日間のチケットは見事にソールドアウトで私も取ることができなかった。

その後はROVOが主催のイベントに名を連ねており、行こうか悩んだけどそれはパスした。

この時期の野音はちょっと寒いのだ。

現在のところの最近作は『できれば愛を』といもの。

ソロ以降はあのロックンロールなギターではなくて、ゆら帝最後のアルバムの延長的な音楽性をさらに推し進めて、また独自なことをやっている。

個人的にアルバムとしては1stが好きなんだけど、このアルバムの1曲目はタイトルトラックなんだけど、「なんでもいいけど、できれば愛をください」という言葉実に印象的だ。

言葉でも音でも彼にしかできないことをやっているのは、まさに彼がアーティストだということを示しているようである。

そうした歌詞にも出てくる彼の価値観であったり世界観というものは、そこはかとなく心地よく、時にどきっとさせられることもあって、一度は聴いてみても良いのではないかと思う。


ところで、先日美術館に行った際についしょうもないものを買ってきてしまった。

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ステンレス製の日本刀、ではなく、これは羊羹ナイフである。

日本の匠の技を駆使した刀身も光り輝く美しいフォルムだが、殺傷能力はかけらもない、羊羹ナイフなのである。

私は和菓子も好きなので、よく餡子菓子を食っているのだけど、羊羹や水まんじゅうなどもこの時期にはよく売られているため、意気揚々と買ってきては食べるのだけど、その時に使おうとホクホクして帰ってきた。

別にこれで食べたからどうというわけでもないんだけど、羊羹に入刀する瞬間、ちょっと楽しい。


こんな無駄なものを買ってこられるのなら、まだ私には無駄な時間があるということだろう。

"できれば愛を"