音楽放談 pt.2

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感じる世界 -my bloody valentine

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台風の近づいている今日、昼間は存外穏やかだったので少し外出。

例によって一人美術館へ行ってきたんだけど、今日は開催が始まったばかりのピエール・ボナール展へ。

印象派の少し後くらいに位置付けられるナビ派と言われるらしいが、正直絵の見た目的には印象派のそれに近いため、綺麗な絵だな、というのが感想である。

こういう~派というのは、そのネーミングの中に形式的な意味合いよりは、運動とかあるいは評論家の皮肉によるネーミングも多いので、その意味を調べるのも結構面白い。

ちなみにボナールは日本画や浮世絵にも結構な影響を受けていた人で、最近そういうのも見ている私にはどんなところに影響が出ているのかを見るのも楽しかった。

まあ、そんなにわかんないんだけどね。

彼は室内の絵をよく描いていたらしいんだけど、「部屋に入ってきたときに目に飛び込んでくるものを描きたい」というようなことを言っていたとか。

一体どういうことなんだろうということを考えながら見ていると、彼の絵の特徴などからこういうことなのかな?なんていうこともなんとなくだが感じられたりして。

それにしても、やっぱり生のものを見るからこそ、というのは確かにあって、例によって図録も買ってきたんだけど、会場でいいなと思って眺めた絵でも、図録で見るとそこまでグッとこないものが結構あるのだ。

油絵なので、重ね塗りや絵の具の立体感、そこに反射する光によって見え方が全然違うのである。

印刷されたものは当然同じようにキラキラすることはない。

何気ないことではあるんだけど、そういうものも含めて描きたいものがあったはずだから、こうやって本物を目にするっていうことはやっぱり大事である。


さて、こういう絵を見ているといつもなぜか思い出すのはシューゲイザー、特にその代表格のマイブラの曲が頭の中で響く。

一番最初にその感じになったのはモネの絵を見たときである。

マイブラも、私は音源で聴いたときはそれほどいいとも思わなかったんだけど、ライブで観て初めてこういうことか!となった。

ゆったりとした甘いメロディと囁くようなヴォーカル、その背景にずーっと鳴り響いている轟音のフィードバックノイズによる浮遊感がとても心地いい。

歌詞を仔細に読み込んだことはないけど、歌を聴かせる気がないのは明確だと思うので、その意味よりも響きの方が重要なはずである。

彼らが音楽でやりたかったことも、何かのメッセージを伝えることではなくて、自分の中の何かを表現したかったのだろうと思っている。

ちなみにグランジとシューげの間の子的な音楽をやっているNine Black Alpsも「フィードバックノイズは全てを物語る」みたいなことを昔インタビューで答えていたらしいが、何かしらにフィットするところがあったのだろう。


世界をどうみているか、どう感じているかは基本的に誰とも共有できない。

自分の目や耳は自分にしか繋がっていないから。

こういう芸術活動を通して他人の見ている世界、感じている世界が間接的にでも見ることができるのが面白さの一つである。

必ずしても理知的な側面にだけ価値があるわけではなくて、言葉にできない、ただそこにあるものとしての表現も面白いのである。


音楽にしろ絵画にしろ、それを通してその人がどんな風に世界を感じていたのかを見るのも面白いので、そういう見方、聴き方もおすすめである。