音楽放談 pt.2

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歌詞の文学 -モチーフ返し

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平成最後ですね。

私は昭和生まれなので、ついに3つの年号をまたぐ時が来ようとは。

大正生まれの人にしたら4つ、明治生まれなら5つの時代を生きていくわけだから、なんだすごいことのように思える。

まあ、それで何が変わるわけでは無いけど、少なくとも日本のどん底から今に至る過程を見てきた人にとっては、もはや違う世界と思えるくらい違う国になっているんだろうな。

これが文明というものかな。

次の年号は何になるのか、ちょっと楽しみだ。


さて、昨年から私が熱心に聞いているバンドの一つがmooolsである。

キャリア的にはすでに中堅、ていうかインディ界隈ではベテランの領域だろう。

海外ツアーなんかも昔はやっていたらしいし、今でも小さなライブハウス、ライブスペースを巡り巡っている。

彼らのファンを公言するバンドも多く、特に歌詞の世界観についてはとても高い評価を得ているが、大きく売れることは決してないだろう。

私も初めて聞いた時は正直ピンとこなかった。

キャッチーでフックのあるいわゆるポップ・ミュージックという感じではないんだよね。

もちろんわかりやすい曲もたくさんあるんだけど、概して染み入るような曲が多いと個人的には思っている。

実際私も、買ったけどちゃんと聞いていないアルバムだったのだけど、改めて聴いてみようとその手の音源を色々iPodに入れている時に入れたんだけど、そこでふと「あれ?なんかいいぞ」となったのである。

その時に聞いていたのは目下最新アルバムとなっている『劈開』というものだけど、このアルバムタイトルからも分かる通り言語感覚がかなり独特なのである。

歌詞についても、一聴してよくわからないものが多いんだけど、よく聞いているとその視点が実に面白い。


で、今聴いているのは過去の作品なんだけど、『モチーフ返し』というアルバム。

2006年なので、もう10年以上前にリリースされたものである。

人気曲もたくさん収録されており、中でも”分水嶺”はイントロから素晴らしい。

「僕の腕の先のギザギザと、君の腕の先のギザギザを合わせよう」というフレーズがとても印象的である。

ゆったりとした演奏も含めて、なんとも言えない詩情のある曲だと思う。

ちなみに歌詞のフレーズは本当にこの言葉だけ。

タイトルの分水嶺は山登りとかをする人には馴染みのある言葉らしいんだけど、そうで無い人には馴染みない言葉だが、山に降った雨が異なる川に分かれるその分かれ目のことを言うらしい。

歌詞の言葉を素直にとれば、手をつなごうというだけの風景でもあるけど、それを川の源流をたどっていくようなイメージと重ねると、そこで世界の厚みがすごく増す印象がある。

文学だ。


次の曲も”路駐のイエス”というタイトル。

羊飼いという言葉とか、なんだか信仰心に溢れるようなワードもあるんだけど、路駐の、というのがやっぱりポイントなのだろうか。

営業をサボって路駐して寝ているおっさんがしばしばいるんだけど、その寝姿は胸の前で手を合わせていることが多いから、その姿がいかにもイエスのように見える、というところでこの言葉をえらんだのではないだろうか。

そいつらがいるせいで火事の現場に急行できない緊急車両が立ち往生しているというだけの世界。

とんだイエス様だ、ということだろうか。

彼ら、というか、歌詞は全てヴォーカルの酒井さんという人が書いているんだけど、この人の歌詞はものすごく深みがあるように見えて実はただのジョーク見たいなものがしばしばあるらしい。

この曲でも「終わりの日が近づいたのか、日に終わりが近づいたのかはこの際どっちでもいい」というような印象的な歌詞があるんだけど、これもどこまで何を含意しているかは怪しいんだけど、ともあれこのセンスは素晴らしい。

彼の詩の一つの特徴は、異なる視点をいくつか提示して少し捻るような表現をしばしばしている印象があるんだけど、それが彼の世界の見方だと思うと、それも面白い。


また、中にはとても寂しさとか切なさをたたえた曲もあって、"Originalsoundtrackeasylistning"という曲は疲れている時に聴くとグッとくる。

この曲は恋人とかとの別れた後の空虚感とかぽっかりした感じを歌っているのかなと思うけど、「雑踏の中で大事なものを、嗅ぎ分けられる君だったろう、一体誰に吹き込まれたの?もう僕と会えなくなるんだぞ」という一節は、女々しいなという感じもするけど、どうしようもない気持ちを見事に表していると思う。

誰かのせいでもしないと気持ちが持たないような時っていうのはあるからね。


ちょっと皮肉っぽいながらも、きっと彼らがよく言われたのかなと思うようなのが"ジッポの絵柄になりなよ"という曲。

いわゆるスノッブな奴らの「一周回っていい」というよく考えると謎の批評があるんだけど、それに対して「回ってねぇ!微動だも!」という叫びが素晴らしい。

したり顔であれこれ言うやつに限って、フェイバリットを挙げさせると特に目新しい視点もない誰かの言葉としか思えないものしか出てこないという、なんだかいかにも今っぽいなと感じる。

ただ、タイトルとの連関はイマイチまだよくわからない。

どういうことなのだろうか。


と、いくつか特に気に入っている曲を挙げてみたけど、このアルバムは全曲好きなのよ。

割と穏やかでフォーキーな曲が多いので、彼らの中でも特に地味目な印象ではあるが、天気のいい寒い日に、あったかい格好をして静かな場所を歩きながら聴くととても心地いい。

そもそも私は多分彼らの曲の持つムードとか間とか、そういうものが好きなんだと思う。

ハマった瞬間に抜け出せなくなるのだ。

派手さが無いのは先にも書いた通りだけど、じっくり向き合うならこういう歌詞にも含みがあるものがおすすめである。

大きなお世話だと思うけど。


ところで、私は絵を見るのも好きなんだけど、音楽にしろ絵画にしろ文学にしろ、芸術の面白さはその人が世界をどう見ているかという視点の共有、定時というのがあると思っていて、そこに対して共感できるかどうかがハマるかハマらないかの基準だと思っている。

どんな絵がすごくて、どんな音楽が画期的かということは私にはわからない。

だけど、色々なものを見ているとなんとなくでも自分が好きだとか綺麗だとか思うものとそうでないものが分かれてくる。

この間ムンク展に行ったんだけど、正直ムンクの絵は私はあんまり好きではないらしい。

一方、ロシア絵画展にも行ったんだけど、それはすっごい好きだった。

ロシアの絵画なんて見たことなかったんだけど、綺麗で澄んだ空気感などがすごくハマった。

基本的に間というか、その世界の中で独特の時間が流れているようなものって好きなんだけど、mooolsにしてもロシアの絵にしても、そういうのがあるんだよね。

それは自分の中にあるものなのか、ないからこそ惹かれるのかはわからないけど、いずれにせよなんでこれ好きなんだろうと掘り下げてみるのも面白いので、たんに派手さやわかりやすさで楽しませてもらうこともいいけど、自分から突っ込んでいく楽しみ方も是非やってみてほしいよね。