音楽放談 pt.2

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Geeks Were Right!!  ーThe Faint

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今年はかなり意識的にライヴにも出かけたし、CDも新譜・旧譜問わず買った。

私はそれらをいちいち評価するというのが自分のささやかな暗い趣味である。

年末には毎年、その記録を元にベストアルバムを考える、それがひとつの慣わしとなっている(去年くらいから)。

いいじゃないか、楽しいんだから。


今年は新人からベテランまで、非常に豊富で幅広いラインアップが毎月話題に上り、ニュース性も含めて刺激的な一年であった。

PortisheadにしてもGuns N Rosesにしても、往年のファンはさぞ喜んだことであろう。

ガンズは友人が好きで、マズ何より出たことがうれしいということである。

私はもともと特に好きでもなかったのだが、貸してくれたので聴いてみた。

ま、ね、いんじゃない?なんだか濃くて。


それはともかく、まだベテランというほどのキャリアではないが、昨今においてはベテラン感のしてしまうバンドもかなり活躍が目立った。

例えばMusicなんて、まだ3枚しかアルバムを出していないのにずいぶん年季がこもっているかのような扱いである。

また、Coralもメンバー脱退に伴いベスト盤を出している。

彼らはミニアルバムも含めて既に5枚出しており、同じキャリアのバンドに比べれば多作だし、ベスト盤に付属の未発表曲も含めればかなり曲数も持っているし、音楽性も伴ってベテラン感は一際強い。

まだどちらも20代半ば程度と若いバンドである。


そんな彼らと世代的にはほぼ同じくらいになるのが、The Faintというバンドもそうである。

NWリバイバルの先駆的存在として注目を集めた彼らも、既に6枚目くらいのアルバムになる。

今年新譜を出したわけであるが、これがまたよかった。

「Danse Macabre」のような即効性はないし、「Wet From Birth」ほど新機軸に試みている感じでもない。

しかし、どの曲も肩の力が抜けていながらきちんとツボは抑えているし、奇妙な心地よさも伴って実に好い塩梅になっているのである。


毎回アルバムごとに歌詞のテーマがあるのであるが、今回は科学であったり未来であったりがモチーフになっている。

先行シングルにもなった"Geeks Were Right"は、ちょっとした未来旅行に行って観てきた世界が歌われるSFチックなないようである。

Geekとは、昔は偏屈というか、まあ要するに変わり者のことを言った言葉であったのであるが、現在では日本語でいう専門家のような、ひとつの分野にやたら詳しい奴のことを言うらしい。

某インタビューではオタクという翻訳がなされていたが、日本におけるオタクという言葉のイメージとは少し違うであろう。

だって、ねえ。

それはともかく、現時代においてはそうして変わり者扱いされていたとしても、新しい時代を切り開くのは結局そういう人間であるという内容である。

クリムゾンの"Talk to the Wind"あたりとかぶる部分もあるかもしれない。

考えてみれば、人と同じことしか出来ない奴は人と同じことしか出来ないわけであるから、原理的にそこから新しいことは生まれようもないんだけど。


また、1曲目"Get Seduced"では、いわゆるスターの生活に対する皮肉というか、そう言うことがモチーフになっている。

「カメラで追いかけられる日々はどんな気分?君の内腿のセルライトの写真をみんな見たいのさ」というフレーズが
非常に印象的である。

特にアメリカ、ハリウッド、という場所ではパパラッチが社会問題化しているほどだしね。

そう言う現状に対する批判的な態度なのだろう。

一方でそれが商売になるということは、それを好む人間が大勢居るということである。

下らない、ひどいなんていいながらも、そうした醜聞を興味津々に観てしまう人の心というのは確かにあって、自分もつい見てしまったりする。

そうした人心に対しての「Get Seduced Easy(誘惑されやすい)」なんていっているわけである。

ちなみに曲は抜群にダンサブルで、チープな電子音から芯に響く重低音が心地よい。

聴けば聞くほど嵌るタイプの曲である。


"Machine in the Ghost"という曲では、オカルトであったり、完全に一部の人間の利益に利用されるだけの宗教
に対する批判的なないようになっている。

わけのわからないもののせいにして逃げたりせずに、きちんと現実を受け入れていかなきゃ、というニュアンスもあるんだと思う。

"Psycho"という曲では、狂っているのは自分か社会か、みたいなテーマであると思う。

「I never really thought you were Psycho」というように、君がイカレてるなんて本気で思ったことはない、ただちょっと僕が切れちゃっただけ、と延々歌われる。

メロディもややコミカルなんだけど、それゆえに奇妙な腑に落ちなさを感じる曲である。

蛇が自分の尻尾を咥える、という比喩が使われているが、結局いつまでも答えが出ない問題をよく表している。


個人的に最近気に入っている歌詞は"Mirror Error"という曲。

自分の目に写る世界に対するある種の不安感を第3者的視点から少しコミカルに描いている。

「彼が鏡で見るキメ顔通りに見えるのは月に1、2回しかない、あとは全部ダメ顔、と彼女は思っている」というフレーズで始まるわけであるが、自分の目に見える世界に対する懐疑的な態度である。

実際人間の認知能力のうち、見るという機能は単純な投影ではない。

そこには一定の解釈が介入するし、それゆえ同じものを見ても人によって見え方が異な場合が多々あるというのは、経験的にもわかるであろう。

これも過剰に着飾るセレブレティというある種の流行に対する批判であろう。

「夢の中でなら魔法使いにだってなれるけど、目が覚めれば何も変わっていない。どんなに包装材をきれいにしたとしても本質は何一つ変わるわけではない。」

僕は捻くれてるのかな?といういささかの不安を思わせる言葉が挟まれるのも、いかにも現代社会における寄る辺のなさの表現のようでもあり面白い。

こういう常に自己批判的な態度があるのはいいことである。


で、"A Battle Hymn For Children"という曲では、いわゆる「望ましさ」「道徳的であること」を押し付ける「大人」に対する疑問を子供の視点から暴き立てるような内容である。

「先生、僕を天国に連れていってよ、それが出来ないなら放っておいてくれないかな?」というのは、そう言う思いを抱いた経験のある人は少なくないだろう。

特に形骸化したキリスト教的価値観が根強いアメリカにおいては、そうしたことに反発する人は少なくないだろう。

まあ、そうした価値観というのは社会という場においてはしばしば必要な秩序を生むことは確かなのだが、その背景に特定に人間の利益やエゴが垣間見えるとき、誠実な人間は疑問を抱くのである。

掲げられる価値観と現実の姿の矛盾があまりに顕在化しつつ現代においては、わかる人の方が多いと思うけど。


と、珍しく丹念に曲の感想を書いてみたんだけど、ここで紹介しなかった曲も含めて、このアルバムは非常に秀逸である。

既に書いたように、派手さや即効性はないけど、聴けば聞くほど味がでる、まさにスルメ的なアルバムである。

トータルタイム30分弱と短いのだが、濃密で、それゆえ何度でも聞き返したくなるような魅力があり、おそらく今年のベストアルバムには、50位以内にも選出されないだろうが、個人的には5位以内に入りうるアルバムである。

9月末の単独公演も、客入りこそ少なかったが、演奏や演出、曲などトータルでの実力を発揮しまくったライヴは、今年見た中でもやっぱり相当上位に入る。

日本での認知度の低さにあまりにも歯がゆいが、実力も楽曲のクオリティも、半端じゃない。


今やや廃れたかのような印象もあるリバイバルという流れの中に組み込まれがちであるが、そんなカテゴライズ、流行なんてクソほどの意味もない。

このバンドはすばらしい、それだけである。