ここ数年、アフリカ音楽への接近を見せるアーティストは増えている。
といっても、それはあくまで海外勢が主だけど。
日本におけるロックシーンは、おそらくインディでは多種多様でエキセントリックな音楽が生まれているのだろうが、それが紹介される場面は少ない。
最近でこそ、音楽史も新人をめったやたらに出すようになったが、それでも海外バンドについてのものがほとんどで、ぶっちゃけ日本に関してはどうしようもない慰めソングばかりがもてはやされる。
まあ、少し前まで相当そういうものに対して批判的だったんだけど、時代としてはそういうものが必要なのかもね、と広い心を持つようにしている。
みんな自分が弱いと言いたいらしいし。
それはともかく、日本においてアフリカ音楽的なものを感じさせるというと、Zazenあたりはかなりファンクネスなバンドである。
彼らも非常にユニークな音楽をやっていて、難解といえば難解な音楽であろう。
最近聴くようになったが、かなり気に入っている。
ライヴもぜひ観たいものだ。
で、日本のバンドでアフリカ的、という時、一部の人間にはどうしても外せないバンドがいる。
暗黒大陸じゃがたらである。
名前からして既にメジャーのフィールドではないし、アングラ臭がぷんぷんであるが、それだからといって聴かないのはあまりに馬鹿げている。
日本におけるアフロファンクの体現者とも言うべきこの存在は、80年代日本においてもバンドというものが一般化しつつあり、ハードコアシーンなどでも今に至も強烈な個性を感じずにはいられない数多のバンドの中でも得意な印象がある。
ファンクと言えば、後期のばちかぶりあたりもそうなんだけど、多分彼らは模倣的な側面強かったんだと思う。
むしろ中心はやはりじゃがたらであろう。
えらそうに言ってはみたが、実は聴いた事あるのは1枚だけ、有名な「南蛮渡来」だけである。
ほかのも興味があったし、聴いてみたい気持ちはあったのだが、やや躊躇しているのである。
理由としては、このアルバムに漂う異様なまでのテンションがちょっと怖いから。
呪術的なにおいさえするこの音楽は、アフリカ音楽への接近、というよりは既に内側にいるかのような説得力がある。
ギターのカティングは非常に軽快ながら、反復のベース、タンタンとしたドラム、祝祭的なムードのあるトランペット、やたら多い男女混成のコーラス、そして何よりヴォーカル江戸アケミの骨太なヴォーカルが、強烈なパンチを食らわせてくる。
彼らの場合、音楽自体も非常にいいんだけど、歌詞に目を向けても非常に面白い。
アルバム1曲目”でも・デモ・DEMO”は、開口一番「あんた気に食わない」である。
日本人て暗いね、というフレーズのリフレイン、思いつくままに踊り続けろ、というアジテージョン、ひたすら強烈である。
彼らの歌詞は非常に断片的な言葉の羅列のようなものが多く、それをアジってるような感じである。
世界観がとにかく濃密で、音の向こうに退廃的な享楽の街並(意味わかんないと思うけど)が見えてくるような錯覚さえ覚える。
完全に別世界なんだよね。
全般的にややドラッギーな曲が多いんだけど、中でもアルバム中最もポップにして、それでいて気怠さもあり、しかしどこか美しさもあるという珠玉の名曲が”タンゴ”である。
ムーディなギターも非常に印象的だし、タイトなドラムの静かに響き渡る音世界はまさに名曲である。
柏野モチーフは、いわゆるシャブ打ちであるらしい。
夜を汚そう、白い粉で、というフレーズが非常に強烈ながら、ここにはやるせなさと、何かをあきらめてしまった人へのせめてもの慰め、みたいなものがあるように思う。
ちなみにこの曲の主人公は死んでしまう。
「1つ,2つ、3つ数える前に、あんたは天国へ」というのが悲しくリフレンされる。
そうして死に行くものをただみているだけ、という視点なんだけど、情景が見えてくるようで、暗くもあり、どこか美しくもある。
頽廃の美、てやつをまさに表している。
基本的に行き場のなさが現れているんだが、そんな中でやや異色にうつるのが”ヴァギナ・FUCK”というあられもないタイトルの曲。
まあ、歌詞もなんだけど。
セックスシーンの欲のやり取り、とでも言おうと思えば言えるけど、ん~どうだろ。
この曲だけ切り取って聴いたらただの馬鹿歌になりそうだけど、このアルバムの文脈にあるとやや違った印象にも移るのは気のせいかしら。
結局最後に残る娯楽はそれだけ、みたいな感じもしないではないが、興味のある人はぜひ。
曲は非常にかっこいいんだけどね。
最後の曲も非常に強烈なインパクトがある。
”クニナマシェ”という曲だが、ここに至るともはややけっぱちのような状態である。
ヤラセロ、とか、あいつの家に火をつけろ、とか、過激な言葉も飛ぶし、ここでは直接的に死という言葉もでてくる。
ただ、一方でこの曲の中では生きるものと死ぬものが分かれており、死ぬものは海になだれ込む、またくるもののお祭りだ、とかいって、やっぱ意味わかんないや。
でも、なんだかもがいているようにも見えて、子供の声で歌われる「僕たちは光の中でチャチャチャ」というフレーズが奇妙。
最後はまた来るね、である。
やっぱりやけくその境地かな。
と、まあ、最後の最後まで訳の分からない文章で大変申し訳ないのだが、彼らの音楽には希望なのか、それとも嘆きなのかがはっきりしないのである。
どちらとも読めると思うのですよ。
ただ、このアルバムの当時が81年だそうなので、この時期と言えばオイルショックのすぐ後くらいじゃなかったっけ。
それでなくとも、ある種の社会不安とかがあったんじゃなかろうか。
高度経済成長も打ち止めとか。
すいません、歴史全然わかんないんですよ。
特に年号が覚えられなくて。
ともあれ、ともすれば今の世の中でこそこの音楽に共感できる人は多いかもしれないね。
そういう意味では非常におすすめ、だけどちょっと強烈なので、ある種の怖さもある音楽である。
ちなみにヴォーカル江戸アケミは、ライヴでの過激なパフォーマンスでも非常に有名で、自分の額をカミソリできったり、ゲロをはいたり、たしか彼らだと思ったが、ライヴハウスにブルドーザーで突っ込んだとか、そんな逸話も数多く存在する。
もっとも80年代のアングラシーンなんてスターリンもそうだけど、過激なやつばっかだったらしいけど。
出禁はステイタスみたいなところもあったのかもね。
しかし、この人は90年代、薬が原因で風呂場で溺れ死んでいる。
そういう意味で伝説化している側面もあるが、音楽自体はうならせてくれるものである。
今という時代では生まれえない才能かもしれない。