自分にとっての常識が他人にとっても常識であるとは限らない、という事くらいはこの年になればいい加減わきまえている。
たとえ自分にとっては息を吸うのと同じレベルの事でも、他人にとっては東大受験するくらいの厳しい事である可能性だってある訳である。
例えば分数のかけ算や、百分率の計算とかね。
冗談かと思ったけど、会社の先輩はできないらしいのである。
今までどうやって仕事してきたのかがすごく不思議なんだけど、それはともかく、何事も自分の物差しで人に要求してはいけないのである。
まあ、その考えが極端すぎると人とはいっさいわかり合えない気がしてしまうのでそれは気をつけないと行いないけどね。
聴く音楽にしても同じである。
私が好んで聴く音楽は得てしてコアであると言われる場合が多い。
すなわち普通は知らない、と言われるのである(ここで言う普通とはいったい何をさすのかが未だにわからない)。
従って、私はすごくポップですばらしいと思っている音楽でも、人に聴かせると?となる事も多々ある。
そりゃAutechreとかならわかるんだけど、そうでなくとも言われてしまうので、最近自分の中の普通がわからなくなってきている。
まあ、たまたま同じ価値観の人間が近くにいない、というだけの話である事は大学時代に既に学んだがね。
で、最近は半ばやけくそ気味にアヴァンギャルドと呼ばれるアーティストの音楽を好んで聴く事が多い。
中には理解できないな、というものもあるし、おお素敵、となるものもある。
おお素敵、と思ったうちの一つがLiarsである。
彼らは!!!らと同様、ポストパンク的文脈で出てきたバンドであるらしく、デビュー当時はモロな音楽おやっていたらしい。
しかし、私が最初に聴いたアルバムは、結果的に一番新しいものであったらしく、その音楽は明らかに異質であって、精神以外はポストパンクを感じるものはなかった。
むしろオルタナ的な色の方が強いのかなという印象であった。
ところで、結果的に、と言ったのは、聴いてみようと思ってレコード屋に行ったらこれしかなかったからである。
本来ならデビュー盤から追っていこうと思っていたのですよ。
しかし、このアルバムを買って正解であったと思う。
最近の気分に非常にハマったし、マス受けしなさそうとは思ったが、かっこいいのである。
まず1曲目”Plaster Cast of Everything”がクソかっこいいのである。
曲そのものはそれほど複雑でもないのであるが、えも言われぬ不穏な空気感、ギターがめちゃくちゃしびれたね。
ぶっちゃけポップ的なにおいをわずかでも感じられる曲はこれだけなんだけど、その後の曲も聴いているうちに深みにはまっていくようなもので、気づくとアルバムが終わっちゃうみたいな感じである。
激しい曲もあれば静かな曲もあるし、通して曲の幅はバランスがいい。
しかし、そうかといって誰でも最後まで聴くかといえば、そんな事はないだろうとは思う。
正直いってこのアルバムがいいと思えるまでには数回は聴いたしね。
はじめは1曲目のみで持っていっていたけど、実は他の曲もかっこいい事に気づくのである。
でも、やっぱりシングル向きの曲は1曲目だけだと思うけど。
彼らはNYのバンドであり、メンバーの一人はYeah Yeah Yeahsのカレン・Oの恋人だった気がする。
ここ数年のNYの音楽シーンは本当に刺激的で面白い。
アヴァンギャルドで、でもポップで実験的なバンドがたくさんいる。
どれもかっこいいんだよね。
なぜかしらこういう地域性が音楽にはしば見られる訳であるが、やはりここ数年ではこの界隈のバンドに一番興味を引かれる気がするね。
こういうバンドを私はいいなあ、と言って楽しく聴いている訳であるが、あんまりその感想を共有できる人はやっぱりいないんだよね。
なぜか知らんが、音楽を聴くのが趣味、とか、それについてあれこれ好き勝手な事を述べて批評家もどきをする、という趣味も理解されないし。
ますます引きこもって音楽を聴く日々である。
自分なりにあれこれ発見しながら音楽を聴く日々は、非常に楽しいですが、人との距離も同時にのばすので、あまり人にはお勧めしない。
でも、これは自分にとっては普通の事になっているんだよね。
ま、楽しければそれが一番。
聴いていていいと思える音楽は、やっている当人たちがいいと思ってやっているからいいのである。
自分に忠実に、これが人生のテーマである。
嘘をつかない人生でありたいね。