音楽放談 pt.2

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小休止68「音楽のアーカイブ」

早いもので気がつけば9月である。

夏はあっという間だろうな、と今年は思っていたけど、意外と長かったな。

毎年8月上旬~中旬の間でサマソニに行くのが恒例となっており、それが終わると私の中では夏が一段落と言う感じになっていた。

しかし今年は7月末にフジロックに行って、サマソニには行かなかったので、その区切りをもたらすものが前倒しされたからだろう。

面白いもので、それからクソ暑い日々が続いても、個人的には残暑感覚。

会社の夏休みも特にないので、ダラダラと8月は過ぎて行った。

もちろんやるべき事はやっているけどね。

それはいいけど、とりあえず今週にはついにNine Inch Nailsの新譜も出る。

会社帰りに寄って行くのは時間的に難しいから、なんとか外出の用事を作ってその間でコソッと買ってこようかとね。

ちなみにArctic Monkeysも同日発売、また10月末だがArcade Fireも出す。

日程はこれからだが、Sylver Tongueも1stが出るし、Velvet Teenもいい加減出てもいい頃だ。

いやはや、まだまだ今年は楽しみが残っているので嬉しいね。


さて、自分のiTunesを覗いてみると、気がつけば非常にたくさんの曲が納められている。

既にデータは外付けHDに格納しているので要領はさして気にも留めないのだが、1万曲は越えていてびっくり。

もちろん中にはほとんど聴いていないものもあるので、折りをみて整理はしているのだが、それにしても今時よくもまあ集まったものだ。

ちなみに内容の疎密はあれど、概ねざっくりとアーティストに関してはレジュメできる自信はある。

どこにも現実場面では活かされない、喜ばれない、まして褒められない特技!

これを指して趣味と言う。

いいね、趣味。


で、たまにそんな曲達を色んな確度から観てみるのですね。

例えば特定のアーティストに絞ってそのキャリアの変遷をアルバムに沿って辿ってみるのもいい。

例えばNINなんかは書庫を設けて私なりにアルバムを追いかけながら、トレントの歴史も俯瞰できるようなつもりで書いているが、やはり彼の音楽歴は非常に正直で、音を聞けば色々と見えて来るから興味深い。

今月は数年ぶりにロッキンオンを買ったのだけど、そこでのトレントのインタビューでも再始動に当たっての色々を語っているのだけど、なるほどなあと思う部分も多く、やっぱりこの人って正直やね、と思うのである。

一方で今に至るも彼を追いかけられ続ける理由も垣間みられて、非常に面白かったね。

まあ、雑誌自体に大した価値はないけどね。


そんな風にアーティストごとにはこのブログを書くにあたってもしばしば参照している訳であるが、もっと大きな枠でみるのも面白い。

つまり、年代を追うんですね。

で、各年代で話題になったバンド、ジャンルなどがある訳で、また一方で洋楽と邦楽の進み方なんかも見て取れて非常に面白い。

もちろん私の持っている音楽に一定の偏りはどうしてもあるため、非常に断片的な見え方しかしないのは当然なのだけど、それでもある程度名前のあるバンドを聴いているから、それなりに興味深いよね。


ちなみに一番古い年代は62年でした。

映画『Lost Highway』のサントラに収録された曲である。

次にしばらくはBeatlesが続き、Frank Zappaや13th Floor Elevator、Bob DylanときてKing CrimsonPink Floydなどのプログレ勢が続く。

その他Jimi HendrixVelvet Undergroundなども来るけど、67年はDoorsの1stも名を連ねているあら非常に豊作だったんだね。

ちなみに69年もなかなか凄まじい。

Can、King Crimson、Stoogesなどなど。

ちなみに邦楽で一番古いのははっぴいえんどの1stで70年であった。

70年の洋楽はCaptain BeefheartKing Crimsonのポセイドン、Led ZeppellinのⅢ、Syd Barrettのソロにと実に個性的なラインナップだ。


そんな調子で追いかけて行くと、日本でパンクの元祖とも言われる頭脳警察の1stが72年、Sex Pistolsが77年だから、パンク精神は77年までなかった訳ではない事が当たり前だけどわかるよね。

名前がついたのがそこだったと言うだけである。

ちなみに77年にはWireTalking Heads、Television、Joy Divisionの前身Warsawなど、既にポストパンク/ニューウェイヴは来ていたのであって、やっぱりパンクは爆発だったんだなという事が見て取れる。

もちろんアメリカとイギリスは直接的な影響というよりはシンクロニシティ的に発生している訳だけど、だから余計に面白いよね。

音楽、というか当時のカルチャーは社会との結びつきは強かったのだと思う。

その中で日本のピストルズとも名高いINUが現れたのは81年まで遅れる訳だから。

ちなみに日本でパンクが観られるようになったのはやはり80年代なのだと思う。

当時はロックバンドではなくグループサウンズなんて言われている時代だろうし、どちらかと言うとパンク的な社会性を持った音楽は日本ではフォークだったんだよね。

やや泥臭い人情劇のような歌詞が大勢の中で、井上陽水がニューミュージックなどと言われていた訳だけど、確かにあの人の書く曲のテーマって非常に現代的というか、都会の孤独のような世界が強かったもんね。

彼等は70年代が主たる時代であった訳で、そう考えると全世界的にパンク的な機運はここにあったのかもね。



こうして洋邦のアーティストの動きを観ながら、この人たちとこの人たちは動機だったのか!などとアーティストという軸で観ている時には見えてこなかったものも見えてきて、それが面白い。

やはり視点が変わる。

そして、音楽のジャンル的には日本はアメリカに10年は遅れる、なんて言われるけど、精神性に関して言えば必ずしもそうではない事もわかる。

やっぱりその社会で求められる音楽というのはある訳で、同じような状況になった時に同じ事を考える人は、国が違えどいる訳だから。


翻って現代を観て行くと、音楽性自体はそれぞれ独自の成長を遂げていて、日本の中でも洋楽バンドの影響下で音楽を作っている人もいるし、むしろ日本が最先端の場合もある。

一方で相変わらずアメリカのケツを舐めて喜んでいる世界もあるから、世界は日本の中ですら細分化されているのではないか、なんてコトまで考えてしまう。

グロバリゼーションやらナショナリズムやらがやたらと叫ばれるけど、つまるところ自分の半径数メートルの生活が保障されるのであれば、大半の日本人にとってはどうでもいい話だろう。

偽善的なスローガンを掲げては観るが、結局売れる曲はどの時代になっても代わり映えしない下手なラブソング。

身近なツールが変わった事により、コミュニケーションの在り方の表現が変わっただけで、本質は変わらない。

それを普遍と取るか焼き直しと取るかは個人の自由だけど、やっぱり日本て社会に余り興味がない人たちなんだろうと思う。

もっとも、海外でも本当にヒットチャートを彩っているのは社会性よりもエンタメ性であって、実はどこの国も同じなのかも知れないけどね。


と、まあしばしば脱線したけど、こうして音楽の、特にポピュラーミュージック、大衆文化としての音楽を観て行くだけでも、やっぱり色々考えさせられる事もある訳で、単純な音楽という枠組みで観てもいいし、あるいはもっと社会的な目で観てもいいし、楽しみ方は色々出る。

音楽は芸術だ、なんて声高にいつまでも叫んでいるつもりはない(もちろん芸術性は否定しない)し、むしろ単なるプロダクトになっているのがJ-POP。

でもその背景にあるのは、そもそも社会性の塊と言われる割に実は社会に興味のない日本人ならではなのかもしれない。

海外でも評価されるポップ性は、背後になにもないそのあっけらかんとした態度なのかもしれないね。

ほんと、邦楽ロックバンドでもヒットチャートでも、基本的に売れている歌詞、いいと言われている歌詞の世界観は「孤独な僕の気持ちをわかって」みたいな感じなんだもの。

それを今更否定すべくモないし、こうして観るとそれはそれ、と思えるけどね。

それも一つの社会性の在り方なんだろうね。


ともあれ、これからも新しい音楽も昔の聴いた事のない音楽も聴いて行くだろうから、たまにこうして振り返るのが楽しいのである。

ちなみに私と同じ年のアルバム、アーティストをみると、XTCの変名バンドDukes Of Stratosphear、Frank Zappaの『Meets The Mothers Of Prevention』(検閲に関してザッパが戦ったアルバムです)、そしてあぶらだこである。

なお曲で観て行くと、R.E.M.の”Life And How To Live It”(人生とその生き方)という曲がある。

迷える時には同期に聴いてみよう。