面白い画像を発見したので貼ってみた。
一見すると真っ黒で何も貼っていないように見えるけど、よく見るとちゃんと図柄が浮かんでくる。
果たして何は見えるだろうか。
さて、最近また少し心を病むようなことが多い。
仕事がらみになってしまうんだけど、周りの環境やいまの自分のポジションとか、そういうのをあれこれ考えていると何かと納得いかないことが多いし、かといってそんなことで声をあげることがバカバカしくも思える。
そんなことには目を閉じて、自分のやるべきことをとにかくやろうとやってみるけど、うまくいっているのかわからない。
私の人生はずっとそうだ。
別に人に評価されないわけじゃない。
目に見える実績もちゃんと残しているし、今なんて社内外にだって結構な力を持っている。
結果的にだけどね。
だけど、なんだかいつもうまくいっている気がしない。
良かれと思って色々やってきたことが結局何一つ身を結ばなかった。
その原因が、自分のやろうとしたことがそもそも間違いだったのか、それともそうではないのかが何も検証できないままだ。
私はかなりロジカルに考える方だ。
頭は良くないけど、その分筋道を立てて考えるようにしているし、そうして積み上げたロジックは多分ほとんどの場合間違っていないんだけど、それが本当はどうだったのかと検証される前に修正を余儀なくされる。
でも、それは私自身の至らなさもあるから仕方ないんだけどね。
だから、とりあえず年末まではこれまでとやり方を変えてやろうと思っていて、それがダメだったらもう諦めようと思っている。
いつもそうなんだけど、私が理想する環境があったことが今までで一度もない。
それは誰かが作った環境だから当たり前だけど、でも周りと話しているとほとんどの場合その理想像に異を唱える人はいないのだ。
にも関わらず、実現されない。
私は、いいものは自ずと残ると思っているところがあって、だからこそ言葉じゃなくて形として眼前に示していくことを重視しているけど、やっぱりそれはうまくいかないらしい。
じゃあきっと、間違っているんだろうね。
最近よく頭の中で流れるのはそういうアンビバレントさというか、こうするべきだと思いつつも、でもそれじゃダメだからこうしなきゃいけないという葛藤が自分の中で渦巻いていて、それにかなうような音楽だったりする。
それでよくハマる一つが坂本慎太郎である。
ゆらゆら帝国の"空洞です"もそうだし、”まともがわからない”、”何か違う”など、言葉にできない違和感みたいなものたち。
私にはこう見える、ということが周りには共感されないし、押し切って自分なりのやったった感を持っていても結局周りは何も変わっていない。
その現実に気がついた瞬間に、全てをリセットしたくなる。
一度全てを戻して、そこから積み上げていく中で今度はもっとうまくやろう、結果=変化となるようなやり方をやろうと思うのである。
今そこにいる。
この延長線上には何もないような気がしているから、もうこの同一線上では何もしたくない。
それこそルーティンワーク以外の何もない。
どうするか、非常に悩んでいる。