私はいわゆる洋楽も邦楽もインストも聴くのだが、殊日本語の曲についてはやはり何を言っているかはどうしても気になってしまう。
内容についてもそうだし表現についてもだ。
曲そのものについては好きなタイプでも、歌詞が引っ掛かるとどうしても聴けなくなってしまうこともある。
音楽ってのはいわゆる音だけでなく言葉も含んだ表現だから、当たり前なのかもしれないけど、ともあれ自分の人生観とか価値観とかにマッチすることを、唸るような表現をされるとやはり好きになってしまう。
そんなわけで、私の好きな日本語の曲をいくつか考えてみた。
しかし、大体の場合同じアーティストのいろんな曲がどうしても出て来てしまうなと曲を選びながら思ったのだけど、考えてみればそれは当然で、なんでそのアーティストが好きなのかといえばその表現に惹かれたことと、そこに一貫性があるからだろうからね。
あえて同じアーティストで重ねることはせず、違うアーティストの曲を選んでみた。
今回泣く泣く外した曲もあるのだけど、そこはかとなく傾向が見てとれるので、こういうのはたまに考えてみると自分のメタ認知にも役立つように思う。
さて、いくつかカテゴリを設けてみたが、まずはこちら。
いわゆるラブソング
まずは王道のジャンル。
とはいえ、あまりベタベタした曲って好きではないのだなというのは常々感じているところだが、割と普遍性もありそうなこちらの曲から。
Heavenstump ”Morning Glow”
すでに活動は休止してしまっているだろうが、UKのニューウェイブ的な風味も満載なHeavenstumpの1stアルバム収録の"Morning Glow"
情景描写と心理描写を織り交ぜながら描いている歌詞が秀逸だ。
片思いの心情と、向こうから別れを告げられてしまった時の心情、どちらとも取れそうな歌詞だが、いずれにせよ時間を共にした後の、別れるまでのわずかな時間を切り取っていると思うのだけど、信号が変わるたびに喜びと寂しさが交互に入り混じり、伝えられない思いがグルグルしている様が実にエモい。
「信号の赤で時間がストップ、生まれてから今まで一番尊い場所、ここにある」
「この世界の終わるのが今ならいい」
「特別に思うのは私だけなの」
熱い思いは伝えられないからこそ燃え上がり、そのうち自分自身も燃やしてしまうのではないか。
hige ”サンシャイン”
続いては髭の同名アルバム収録の”サンシャイン”という曲。
デビュー当時は不機嫌の塊みたいな曲が多かったが、中盤以降はこうした穏やかでポップな曲が多くなっており、この曲もその中の一つだが、どこか気だるさに溢れた日常の中のささやかな希望みたいなものについてかなというように思う。
ある種逃避的な歌詞でもあるが、大切なあなたにとっての逃げ道が自分でありたいという感じなのかなと思っている。
「君の不安、僕におくれ」
という最後の一節が印象的なのだけど、穏やかなメロディーと伴ってあたたかな曲である。
安心できる人間関係のあり方みたいなものを考えると、もちろんいろんな形はあるにせよ、何かあった時にシェルターになってくれるような人とはそうした関係性になりやすい。
恋人や、それそこ親子の関係というのはまさにそんなものだろう。
友人関係では少しニュアンスが変わるように思うので、これらの関係性の質的な違いが何かと考えるとそういうところなのかなと思っていて、それが愛という言葉で表現されるものなのかなと個人的には思っている。
筋肉少女帯 ”香奈、頭を良くしてあげよう”
このブロックの最後は筋肉少女帯の”香奈、頭をよくしてあげよう”
タイトルだけみるとなんだか偉そうな曲だな、という感じもしないではないが、なんというか、この曲の主人公の在り方というのがなんだか切ないのだ。
自分に自信のない彼女に彼なりの愛の形として何かしてあげたいという思いを抱いているわけだが、何が切ないって最後の一節ですよ。
「香奈、いつか恋も終わりが来るのだから。香奈、1人ででも生きていけるように」
要はどっちにしろいつか終わってしまうので、その時には自分を卑下するようなことはないようにしてやりたい!ということで、自分が存在していない未来を描いている点だ。
この感覚って私の中にもあって、たとえ今この瞬間は自分のことをよく思っていてくれても、いつか愛想を尽かされるではないけどそんな感覚がいつもあって、だけど大体自信満々なタイプより自己批判的なタイプと近くなることの方が多いので、せめてそんなことを考えなくてもいいようにしてあげたいなと思うところがある。
基本的にこの頃の筋肉少女帯の曲はどれも暗いし、人によっては聴いていられないようなドロドロした世界観の曲が多くあり、この曲もその一つではあるのだけど、その中でもせめて自分の存在価値みたいなものを示す手段として、こういう接し方をしているような感じがして、それが切ないという話である。
私自身、ここ何年もそうした人間関係はないし、求めにも行かなくなってしまったのだけど、その根っこには自分には誰かに与えられる何かなんてないんだなと思っているところが大きいのだけど、オーケンの歌詞にはそういう心情がどこか潜んでいて、今だからこそ却って明確に響いてくるところがあるのが個人的には面白いところだ。
他にもいくつか候補で見繕った曲があったのだけど、私にとって共感的に聴けるラブソングは、あくまで自分の世界から見た視点は明確なのだけど、一歩引いたようなところでそれを眺めているような表現のものが多いように思う。
感情的な曲であってもそれを淡々と描写できてしまう冷静さがどこかにあって、だからこそ世界が閉じてしまっている感じかもしれない。
似たような言葉でも、表現の仕方で受け取り方は全然変わるのが面白いところである。
人生に疲れてやさぐれちゃったソング
続いては、人生にちょっと疲れてやさぐれている感溢れる曲たち。
私もサラリーマンなので、日々様々なストレスやモヤモヤと戦いながら過ごしており、時には疲れて思わず毒を吐きたくなることもある。
そんな時に頭に流れがちな曲たちをいくつか。
LA-PPISCH "Control"
まずは筋少とも親交のある日本のスカパンクバンドの代表格、LA-PPISCHの”Control”
歌っている世界観はまんまいわゆるサラリーマン的な感じだけど、私自身は別にそんな典型イメージの働き方はしていない。
しかし、この歌詞の描いている視点が社会というシステムの在り方みたいなものを描いているように感じており、その皮肉っぽい目線って私自身がたまに感じるところなのだよね。
「いつの日にか並ぶことだけど自然に習った、当たり前にお隣も」
というか、この曲を初めて聴いたのは高校生の時だったので、ある意味ではこういう曲を通して育まれた価値観だったのかもしれないと今では思うよね。
曲調は明るくポップでパンキッシュなスピード感にも溢れているのであんまり深刻に響かないのもいいよね。
またそういう人を批判しているというよりは、ある時ふっと気がついてしまった!みたいな感じで、その世界線から飛び出していくぜ的なアグレッシブさがあるのが面白いと思っている。
彼らの曲はしばしば働く人を描いた曲が多く、まんま”無敵のサラリーマン”という曲があるが、この曲も世の中で社畜とか言われて意味もなく漠然と馬鹿にされる対象のサラリーマンという人たちを、ちょっと皮肉っぽさはあるがなめんじゃねぇぞっていうことを描いているので、私は大好きな曲の一つである。
それにしても、今聴いても音楽的にも歌詞の表現もとても素晴らしいバンドなので、もっと評価されて然るべきだと思うが、世間的には知る人ぞ知るといった感じに収まってしまっているのが実に口惜しいバンドだ。
余談だが今年の周年ライブ、チケットも取れたので今から楽しみにしている次第だ。
Moon Child "太陽とシーツ"
最近ではカラオケ番組でおもしろおじさんになっていたり、アニメの曲をやったりとすっかり忙しくなっている様子のササキオサムさん、彼のいたMoon Childは私が人生で初めて好きになったバンドでいまだに曲も聴くしいい曲満載だと思っている。
そんな彼らの曲の中で、最後のスタジオアルバム収録の”太陽とシーツ”はその倦怠感とやるせなさ、退廃的な雰囲気などおよそJ-POPの枠組みにない名曲だ。
特に精神的に疲れ果てた時に頭の中でリフレインして仕方ない。
人生の希望を全て叩き潰されて、もはや笑うしかないと言わんばかりの感じが、却って心地いい。
「高飛車に強かにがむしゃらに生きるなんて飽きた」
「気づきあげた夢なんて誰も誇れないよ父さん」
「僕らいつも素面のままこの世界と酔いどれている」
そんなどうしようもない言葉の最後に「素敵だぜ」と皮肉っぽく吐き捨てるのが最高だ。
私はイラついたりストレスがたまると皮肉っぽい言い方になるのだけど、その時に本来ポジティブな言葉を盛り込むと毒の濃度が上がるわけだが、そんなことをしばしばやってしまう。
ちょうどこの頃オサムさんは一番大変だった時期だっただろうから、その時の心情が露骨に歌われているのだろう。
綺麗事の入り込む余地の一切ない感じが好きだ。
8otto ”Rolling”
このブロックのラストはこちら、8otttoの目下最新アルバム収録の”Rolling”
デビュー当時は音楽的な評価も高く、注目を浴びていたが期待したほどにセールスも伸びなかったこともあってかバンドは一時解散状態。
メンバーそれぞれ普通の仕事に従事して、アフロのヴォーカル・マエソンもこのアフロを整髪剤で抑えて営業をしていたらしい。
メンバーの1人は住職になったしな。
しかし音楽への想いを拭えず、また彼らの音楽に魅せられた周辺の人たちの協力もありバンドは復活、今はコンスタントにライブ活動をするようになっており、そんな苦労を経たからこそリラックスして、でもそれまで以上に熱いライブを展開しているのは先のSynchronicityでも話題になったばかりだ(個人的に)。
彼らの曲は英語詞の曲も多いが、日本語の曲も言葉は少ないが味わい深い歌詞の曲が多く、特にこの曲はいろんな人に普遍的に響くところがあるんじゃないかと感じる。
「働いて、ぐらついて、逃げたいって星を見る」
「君のこころに〜僕を刻むことができればそれでいいぜ」
「ダメだってもともとで、1人の力でやり遂げられはしない」
「叶わないって決めたって、君には決められないことだよ」
活動休止を余儀なくされたこの間に、いろいろあったんだろうなということを否が応にも感じされるところだ。
先にも書いた通り、私なんぞは地味なサラリーマンであるのでそりゃ泣きたいこともあったし、成果が出ずに途方に暮れたこともあったし、意味のわからない上司の詰めで禿げそうになったり、ストレスで自律神経いかれたりしたよ。
でも、それぞれの職場でそれなり以上に爪痕は残してきたし、その時に一緒に頑張ってくれる人がいたからこそだし、そういう奴らとは今でも楽しく酒を飲む中だ。
生きていくためにはそうやって転がり続けるしかないし、それが人生だよなと思うようにもなってきているので、せめて自分の中で楽しみだったり、面白みだったり、そういうものを見出しながらやっていこうって、思えるようになったものだ。
少なくとも、私の社会人人生で社畜だった瞬間は一瞬もない。
成果出して、評価もされずに気に入らなかったから転職してスキルも給料も上げてきたからね。
結果人間関係も広がって、存外悪くない人生である。
生きていれば基本的にはしんどいことの方が多い、なんてのは使い古された言い回しだけど、能天気なウェブの啓発記事なんて物に左右されず、自分の判断軸を持っていれば結果がどうなっても納得するしかないわけで、それができないやつが外野で何をいってもどうでもいいことである。
強さってのはそういうマインドなのかもなと思いますよね。
人生観を歌ったソング
先のやさぐれからも少し地続きなところもあるが、人生観みたいなものを歌った曲も世の中には多くて、そこでも共感的に感じる曲はたくさんある。
それは人間関係や、仕事観、いろんな側面があると思うけど、いずれにせよそこにヒットする曲は人生のテーマ曲になったりする。
私の中でそんな感じで響いている曲をいくつかピックアップ。
The Mad Capsule Markets "P-A-R-K"
まずは日本が世界に誇るバンド、The Mad Capsule Marketsのハードコアパンク機のラストアルバム収録でタイトルトラックでもある"PARK"。
ある種青臭い価値観があるのだけど、だからこそずっと根っこで響くようなところがある。
私がこの曲を初めて聴いたのが思春期を拗らせてまだ闇の中にいた大学生の頃だったが、この曲の歌詞の世界が妙に刺さってしまった。
どうやってこの世界とうまく対峙していけばいいのかわからなくて、周りのみんなが普通にやっていることができなくて、途方に暮れたようになっていた当時に、何かその解決策を教えてくれたような気がしたものだ。
果たしてそれが解釈含めて正しかったかどうかはわからないが、少なくとも私にとって人生は少しだけ生きやすいものになったのは確かだった。
「ここに立ってみる、目の前に赤い線を引く」
「誰もいいことはない、公園の役人はつぶやいた」
「ここはこうして見てるから、お前すぐにそこに立てよ」
人生への諦めを口にする人たちの中で、俺はそうはならないよと決心するような表現だと私は受けとっていたと思う。
別に周りがそんな人たちばかりだったわけじゃないんだけど、自分の受け取る世界のあり方がそうだったんだろう。
良くも悪くも開き直った私は、違う溝にはまりこんでしまった感もあったが、人からは「自分を持ってるよね」と言われることも多くなったのはそうしたこともあったのかもしれない。
いずれにせよ、自分がどうするか、どう考えるかみたいなことは強く意識するようになったように思う。
Tha Blue Herb ”時代は変わる”
社会人になってからでも出会いはあるもので、特にその役割としての価値観の醸成に一躍買ったのはTha Blue Herbの”時代は変わる”だ。
この曲に限らず、特に20代後半〜30代にかけての仕事の向き合い方についてはTBHの歌詞を共感的に感じるところが多い。
新卒の時からある先輩に、お前とんがってるよなと言われたことがあって、当時はあまり意味がわからなかったが、元々同じことをやり続けても変わらないと思っていたので、何かやってやると思っていたところがあったので、それが言葉などに出ていたのかもしれない。
それが言語化されたような感覚だったのかもしれないが、いずれにせよ今でも頭の中を流れては私を律するようなところがある。
「雑音黙らす術は一つ、行動で表す」
「お前の力はお前自身で確かめろ、お前のための時代ならお前が変えろ」
1曲の中にもパンチライン満載だが、中でもとりわけこの2つは深く突き刺さっている。
私は一歩間違うといわゆる批評家みたいな感じになってしまうので、いうだけでは雑魚だ。
だったらやってみろと自分でも思うので、とにかくやることにこそ価値があると思っている。
結果は誰にも否定できないから、とにかく誰にも否定できない結果を出すしかないと常々思っているし、社会人としての価値なんてそれだけである。
努力賞なんてないんだから。
Bossは50過ぎてもいまだにそのスタンスのままだし、実際そうしているし、下の世代まで煽ってくるので、刺激しかない、素晴らしいアーティストの1人である。
Analogfish "City Of Synphony"
このブロックのラストは、広い意味での人生観とか世界観とか広い意味での価値観を一番共感的に描いていると感じるこの曲。
アナログフィッシュの”City Of Symphony”。
街のありふれた光景を描きながら人間関係についても織り交ぜながら、その中で私の在り方を描くような感じだ。
私は「あなたのことわかってます」というタイプの人を根本的に信用していない。
わかるわけないだろと思っているから。
もちろんその時の心情に寄り添ってくれる人はいるし、時に分かり合えていると感動することはあるのだけど、正面切ってそう言ってくる人のほとんどは自分のことしか考えていない。
私自身も人と話をする時にはそういう安易なことは言わないように気をつけている。
「恋人のことも本当にはわからない、友達のことも本当にはわからない、同じ世界に住む誰のこともわからない」
本当にその通りだと思っていて、むしろ当たり前だと思っているのだけど、世の中にはわかると思っている人が少なくない数いるらしいことは世界の在り方を見れば明らかだ。
それを悲観的に受け取るか肯定的に受け取るかの違いはあるだろうが、私は後者だ。
「なぜ僕らは抱きしめ合う?〜恋人たちは肩寄せ合い、その訳を確かめ合う」
人間関係で大切なことは、わかった気になることではなくて、わかるように寄り添うことだと思っていて、本当のところなんてわからないし、分かり合えない。
だけど、それでも分かろうと努力することはできるし、そうしてくれる人は信用できる。
私自身もせめてそうありたいと思っているので、そんな価値観をずばりと歌っていて聴いた瞬間に痺れたものだ。
この曲に共感できる人とは、多分すぐに仲良くなれるか、逆にそれと気づかずに仲良くなれないかのどちらかではないかと思っている。
人生のテーマソングという言葉はしばしば登場するけど、実際にそんな曲に出会えることは幸福だなと思う。
それぞれの人にそれぞれの曲があるのだろうけど、そういうのを聴くのはその人の価値観を示していると思うので、機会があれば聴いてみたいものだ。
詩的であるということ
最後はまとめ的な意味で、歌詞なのか歌詩なのか、みたいなことを考えさせる曲。
詩は文学の形式の一つであるが、音楽においてはしばしばメッセージ性みたいなものが優位になりやすいし、言葉の響きも音に影響されやすいので音楽でそれを表現する難しさみたいなものはあるのではないかと思っている。
そんな中で、言葉そのものの感動を見せてくれる曲を2曲だけピックアップ。
The Novembers "今日も生きたね"
まずは現在の日本のオルタナロックのトップと言っても過言ではないThe Novembesのシングルで発表された”今日も生きたね”。
初期は鬱屈した世界観全開だったが、徐々に表現が変わり、音楽だけでなく言葉も深みがましている。
曲のほとんどはヴォーカルの小林くんが作詞もしているのだが、彼の言葉は年々文学的になっているように思う。
特にこの曲は娘さん妊娠中に作った曲ということだが、生命について謳われており、淡々とした世界の描写だからこそ、その中で自分にとって本当に価値のあるものがなんなのか、みたいなことを考えさせられるもので、実に美しい曲である。
「肉になったのは弱いからじゃないし憎々しいからでもない、ただ僕らがお腹をすかせていたから」
「誰にも見つかることのない離島で咲く花にも美がある。ただそれを思い浮かべられないだけ」
兎角無闇に意味を投げかけられがちな事象だが、そんなに難しいことじゃなくて、もっと純粋でシンプルな理由で、それもこれもそれぞれが生きるために必死なだけでだと。
過剰な意味づけは人間のエゴでしかないし、実際人の目に晒されない存在は思いを馳せられることもない、しかしそれにすら気が付かないことも日常だ。
「なんて美しい日々だろう、君を待つ日々は」
そんなラストで締めくくられるのだけど、特別な存在があって人生には輝きが増すし、世界の見え方も変わってくる。
穏やかな曲調も相まって、とても感動的な曲だし、一語一語に味わいがあるので、じっくり聴いてほしい1曲である。
moools”単位”
最後はその独自性で特にアーティストファンも多いmooolsの”単位”という曲。
彼らの曲にはただの言葉遊びみたいな曲も多いが、詩的な表現の曲もたくさんある。
その中で、この曲を選んだのは特に印象的な一節があって、その表現が大好きなのだ。
「歩幅の貸し借りで隣を歩かせてほしい」
そんな一節なのだけど、同じ歩幅でとか速度でといった表現はありふれているけど、そんな擦られたシチュエーションを表現するのに歩幅の貸し借りという言葉である。
貸し借りという中に、相手も自分も相互に相手を慮っている様がイメージされて、その関係性も透けて見えながらも、こちらからの気持ちの強さも見えてくる。
何気ない情景描写にもかかわらず心理も見えてくるのがまさに言葉の含蓄。
作詞はヴォーカルの酒井さんが全て手掛けているが、本当にそういう描写の仕方が天才的だと思う。
ちょっと皮肉っぽい言い回しもあるのだけど、だからこそ伝わるところもあり、そのやり口が私に刺さるのですね。
他にも”分水嶺”という曲は歌詞は同じ言葉を繰り返すだけなのだけど、にもかかわらず状況や心理が見えてくるという不思議さ。
素晴らしいアーティストなのである。
The Novembersもmooolsも詩集も出しており、こうして歌詞をじっくり読み込んでいくとそれも納得で、言葉そのものの面白さがあるからだ。
もちろん他のアーティストにはそれがないという話ではないけど、文学的なエッセンスがより強いかどうかである。
表現の多重性みたいなものかなと思うので、それも楽しんでいきたいところだ。
音楽と言葉
とかく略されがちな昨今だが、本当は言葉って面白いんですよね。
ぜひそれを音楽からでも味わっていきたいところだ。
せっかく日本人で日本語を理解できるなら、それを通して表現されているものを少し掘り下げてみて、妄想も含めてこんな情景かな、どんな心情かなと思いを馳せてみるのも面白い。
音楽には言外の表現もあるので、それを加味することでさらに世界も広がるはずである。
そんなことをやってみることで、よりその曲への愛着も湧くし、本当の意味での人生のテーマソングも見つかるだろう。
言葉は大事にしたいですね。