音楽放談 pt.2

SEO強化をしていこう。

夜中の虹 -落雷含み

イメージ 1

「最近おかしなことがよく起こるんだ」というのは、インディ映画『This Must Be The Place』で主人公のシャイアンがつぶやく印象的なセリフの一つだ。

その映画が好きでDVDでもよくみるんだけど、改めて視点を変えてみると印象的なセリフで断片的に繋ぐような台本は、ちょっと曲の歌詞のようであるのは、ひょっとしたら大きな構造的な狙いなのだろうか。

4月以降、結構色々のことが仕事でもあって、ショックなことも続いている。

業務上の苦労なんて、どっちにしてもやらなければいけないことだから実際はそんなに大した問題ではない場合が多い。

それよりも、それにまつわる周辺的なことが大きな影を落とすことが多い。

よく言われることだけど、何をするかも重要だが誰とやるかはもっと重要だというのが仕事である。

直接業務でやり取りのなかったけど、酒の席やなぜか妙に仲の良かったやつがここ数ヶ月立て続けに辞めている。

中でもショックだったのは、同期の退職だ。

こちらはちょっと事情があってのことだけど、その背景含めてなんだか納得いかなさというか、その思いが少し子供じみていることは自覚しているけど、それにしても信賞必罰ではなく必罰だけが強いと感じるこの環境はいかがなものだろうか。

それがこの会社というなら仕方ないけどね。


こういう何かしら動揺するような事象が起こると、いつもよりも耳に入る言葉も自分の考えることも違ってくることが多い。

気持ちの整理をするためかもしれないし、慰めを求めているからかもしれないけど、いずれにせよ何か今の自分にハマるものを探すようなところがある。

歌の歌詞でいえば、必ずしも全体ではなくてその中の1節がリフレインするようなこともよくある。

言葉は具体的なようで抽象的なところがあるから、具体的な名刺を列挙していく中でより具体性を帯びていく一方で却って抽象的になっていくような側面もあるわけで、それが歌詞の面白さだと思うわけだけど、それが表現としての懐の深さだろう。

こういう視点で聞くのは、どうしても言語の問題で日本語の曲になるし、特定のどの曲ということはあんまりないけど、やはりこのアーティストの書く歌詞はすごいなと感じることはよくある。

私にとっては、よく扱うアナログフィッシュTha Blue Herbなんかはその代表格だ。

ササキオサムさんの歌詞は表現の仕方が好きで、これは意味内容ではなくニュアンスも含むので母国語ならではの楽しみ方というか好きになり方だろうと思う。

英語の曲だと、どうしても意味内容としての捉え方しかできないから、文学という視点で言えば必ずしも楽しみきれないのが実際なのである。


そんなアーティストの一つに最近追加されたのがMooolsである。

歌詞の書き方としてはメッセージ性を持たせるものや物語を紡ぐもの、感情を発露するものなど色々な書き方があると思うけど、彼らの歌詞はまさに文学だと感じる。

どこまで真面目なのかはわからないし、明らかに遊びだろうというものたくさんあるけど、印象的なフレーズがたくさんあって、詩集も出されており買ってしまった。

「いるいらない、いらない」「君の腕の先のギザギザと、僕の腕の先のギザギザを合わせよう」「(うた)と(うたごえ)は違う、君は歌そのもの」とか、シンプルな言葉ながらもその奥に広がりを覚える表現がたくさんあるので、歌詞だけを読んでいてもとても面白い。

まだアルバムに収録されていない”愛人”という曲でも、「夕日が持ち場を離れていく」という一節がとても印象的で、この曲のどこか退廃的というか現実の辛辣さの中でくたびれた人を描いていると思うのだけど、そのやるせなさのようなものを見事についた表現だと思う。

曲によって何を言っているかも本当に多様で、明らかにふざけているだけの場合もあるし、文学的な表現もあるし、ちょっと皮肉っぽい表現もあるけど、本質的に優しさというか包容力みたいなものがあって、攻撃的な要素はほとんどないのである。

これって完全に人柄だろうから、こういうところが表現の面白さだと思う。


で、今よく聞いているアルバムは『Weather Skecth Modified』というもので、このアルバムに収録されている”落雷含み”という曲の歌詞がいいのである。

「等身大等身大って、誰のだよ。そういうの言わないんだよ、やさしさとは。」という冒頭で始まるんだけど、確かにね、と共感するところもありつつ、そのあとの歌詞は極めて観念的になっていく。

「見えないだけで夜にも虹があればいいな」というとてもピュアな言葉もあったりして、なんだかほっこりする一方で、どこかそれがかなわなというような着地を見せる。

全体に文字や本、言葉に焦点を当てたような歌詞が散りばめられているのだけど、正直まだどんなことを歌っているのかは掴みきれてないだけどね。


特定の言葉というよりは、どこかペーソスの漂う彼らの曲が、今の私にはしっくりきているのかもしれない。

人生にはどうしようもないことの方が多いし、他人の人生は他人の人生だ。

一方で自分の人生は自分の人生なので、それはそれとしてやっていくだけなのだけどね。

この連休では久しぶりに実家に帰って、両親、祖父母と数少ないやり取りのある高校時代の友人に会ったのだけど、私は彼ら以外にはさして会う人がいないというのが実際だ。

たまに思い出したようにやり取りはするけど、多分もう会わない人の方が多いだろう。

切り捨てているわけではないけど、結果そう受け取られているかもしれない。

私は会えば何も変わらずに話をすると思うけど、向こうはそうではないだろうからね。

別に連絡を取る取らないなんて、人の繋がりという意味では私は本質は問題ではないと思っているけど、そう思っている人の方が少ないだろうからね。

人生は死ぬまで、形を変えながら進んでいくものだろう。

”落雷含み”