楽器の役割とは何だろうか。
多くの人にとっては歌を載せるメロディを奏でる伴奏というものをそれと認識しているはずである。
各楽器パートがかっこいいと思う事はあっても、あくまで歌を引き立てる事こそが楽器演奏であると思っている人は多かろう。
それこそクラシックが高尚に感じられたり、あるいはインスト系に抵抗感を示す人というのはそういう認識があるからであろう。
実際私もインスト系を聴けるようになったのは、結構最近かもしれない。
多分King Crimsonなんかを聴くようになってから、割とインストものでも聴くようになった気がするな。
歌ものは確かに一緒に口ずさめる楽しさがあるし、共有しやすさはあるよね。
でも、楽器の演奏や、あるいは音の交錯(ポリリズム)なんかも面白いやん、と、それなりのアーティストを聴くと思うのである。
一部カルト的な人気を誇るバンド、Zazen Boysなんかは、まさにそういう音楽である。
彼らの楽曲には歌もある。
それも非常に独特な歌詞と歌い方なので、耳に残るし無視できない。
ただ、いわゆるシンガロング系ではないけど。
そうして歌はあるが、それ以上に演奏のテンションの凄まじさは半端ではない。
爆音、轟音という類いでなく、いわゆる緊張感というやつである。
彼らの曲は単純にメロディをなぞる類いのものでなく、楽器一つ一つがものすごく主張してくる。
ドラムにしてもタンタンと一定のリズム刻む事を要求されるものであるが、そんな事はともかくバチバチとぶつかり合ってくる。
ギター、ベースも絶妙な間を作り出しながら音を叩き付けてくる。
ライヴでも、多分曲に酔いしれるというよりは、その緊張感に打ちのめされるようなもんであろうと思う。
一度は観てみたいバンドである。
昨年彼らは新譜を出して、軒並み好評かを獲得した。
私が彼らを聴くようになったのは、多分1年くらい前。
聴くようになった、といっても、実質聴いた事あったのはその前に出たEPだけであった。
で、新譜が出たタイミングで友人から「?鶚」と「4」をまとめて借りたのであった。
いやぁ、すごかった。
はっきり言って曲自体はそれほど変化した印象はないんだけど、ムードであったり、あるいは「4」では新機軸を導入したりしていて、印象はだいぶ違う。
バンドのフロントにして頭脳は向井秀徳というが、彼は「繰り返される諸行無常」、「まかり通る」、などのやや古風な、かつ仏教的なにおいを感じる言葉が好きであるらしく、しばしばこれらのフレーズは登場する。
あと「変態」ね。
ある種侘び寂び的な価値観を非常に強く感じるんだけど、この世界観は結構好きだね。
演奏の間も伴って非常に濃い世界を展開している。
ちなみに内容については、なかなか面白い。
まあ正直解説できるようなほど理解できているとは思わないけど、非常に倦怠感というか、絶望感ではないけど、黄昏の風情があるのである。
1曲目の"Asobi"という曲でも、半分冗談っぽい歌詞なんだけど、聴いているうちになんとも言えない淋しい気分になってくる。
もはや笑うしかないような悲喜劇的な、とでも言うか。
やるせないんだよね。
個人的に一番好きなのは、ラストの"Sabaku"である。
この歌詞は切ない。
曲もなんだけど、このアルバムからの新機軸であるキーボードが主軸の曲であるが、ポツン、という言葉がこれほど似合う曲もあるまい。
孤独感が歌われていると思うんだけど(淋しい、とはっきり言っているし)、彼らの楽曲には珍しくすごく歌がしみ込んでくる曲である。
「心臓に刺さっている赤くさびた釘を早く抜いて」という詞がやたらさびしい。
「どっか、砂漠の真ん中にいる感じ」という言葉によく表されている。
彼らの歌詞は得てして観念的で、断片的で、それゆえ難解なんだけど、この曲はかなりストレートである。
最後の「割と淋しい」というフレーズを聴くと、ちょっと泣けそうになる。
普段あまりものを言わない男がようやく素直な気持ちを吐露してみても、聴いてくれるものが誰もそこにいないような感じがして、それがよけいに淋しい訳である。
会社の帰りに聴いて帰るとき、会社を出てから聴き始めて、電車を降りて自転車をとりにいく道でこの曲に至る場合が多いんだけど、こういうシチュエーションで聴くと、たまらんものがあるよ。
別に共感できるとか言うつもりはないけど、そういう感覚は何となく自分でも覚える事があるのである。
私が真面目に話すと結構はぐらかされることが昔から多いからね。
まあいいや。
彼らの場合その特異的な音楽生故に、知った風な人間が聴いていることも多いと聴く。
確かにこれを聴いている、というと、結構ハイセンスな感じはする。
音楽的なセンスはかなりいいと思う。
奇妙なポップ感覚も伴って、単純にかっこいいし。
まあ、少なくともラヴソングを聴きたいやつは聴かなくていいと思う。
好きに聴いたらいい音楽だとは思うけど、割と考えさせられる事も多いと思う。
世界をすごく客観的に観察しながら、その中での自分のあり方であったり、社会との距離を観ているような冷静さもある。
そういう世界観の音楽だと思う。
彼が仏教的な用語を多用するのも、あるいは侘び寂び的なムードもそういうところからきているのかもしれないね。
楽器の存在感も圧倒的ながら、こうして歌詞でも深い世界観を提示する。
音楽をやろうとしているから、こういう奥行きのある音楽が生まれるのかもしれない。