音楽放談 pt.2

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「自分」が好きな音の探求 ―Boredoms

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街にはいろんな音が無秩序に鳴り響いている。

車の音や、人の声、鳥が鳴いたり子供が叫んだり。

店に入れば音楽が流れ、一方で扉の開け閉めの音。

どれも独立に聞けば意味をなすはずだが、それぞれの調子で鳴ろうとするとそれは騒音でしかない。

そういう意味で、音楽とは音の秩序ともいえるのだろう。

やはり綺麗なメロディや絡み合ったハーモニーは聞いていて気持ちいいし、その中で効果的に音を紡ぐ楽器の音にはしびれるもんがある。

音楽っていいね、と思う瞬間である。


とはいえ、人間というのは不思議なもので、ときに無秩序な音の中にそうしたある種の快感を覚える瞬間もあるのである。

厳密には無秩序、という訳ではない。

単に一般的な秩序とされるものからは逸脱しているだけであり、それ自体は独自の秩序を確かに持っているのである。

ん~でも、やっぱり確かかどうかはわかんないな。


最近変態的な音楽が好きで好んで聴いている。

メロディがあって、シンガロングな曲って言うのはもちろん好きだし聴くんだけど、一方で頭おかしいんじゃないか、という音楽も異様に恋しくなるのである。

素直に体を揺らす事を許さない感じ、というかね。

聴いていて、どうすればいいかわからなくなるからとりあえず見をゆだねちゃうような、そういう音楽が面白いし心地よいのである。

最近はアヴァンギャルドなものも一定の価値が認められているし、実験という名があればすなわちクール、みたいな感じもある。

そうしたある種のハイプのせいで、何でもありになりつつあるのは、良いやら悪いやら。

それこそ店頭ポップでも大絶賛も文句が並んでいたりするが、実際聴いてみたらほとんどの人が「だまされた!」と思うであろうものも少なくない。

例えば、Lou Reedの「Metal Machine Music」なんてまさにそうである。

伝説の名盤とか、歴史的実験作とか、色々言われているけど、動考えたってあんなものはギャグである。

だれが好んであんなもの聴くものか。

10秒でお腹いっぱいである。

それでも怖いものみたさで手を出してみたくなるのは、人の性であろう。


で、そんな私が最近好きなのはノイズ系、ていうか、ある種のトランス系だね。

メロディ皆無で原始的でやたら激しいドラムをバックに、フィードバックギターや電子音が飛び交い、たまに奇声を発しているような奴。

その上やたら長いのである。

そこには曲という概念すらなく、なにか別のものを求めているようでさえある。

それは音の探求というべきもので、新しい秩序を求めているかのようでもある。

そうした精神は確かに実験的で、そこから新たな世界が開けるかもしれず、一概に気違いとは言えない訳だ。


そういう扱いのバンドで、なんと日本発のスーパーバンドがある。

ご存知Boredomsである。

80年代後半から今に至るまで、世界中のバンドに影響を与えており、なんとニューヨークタイムズにまで登場した事のある実験集団である。

バンドの核は山塚アイという一人の男で、もともとは破壊系ノイズバンド、ハナタラシという奴で、日本のアングラシーンで暴れまくっていた。

字面通り暴れまくっていため、ついにはすべてのライヴハウスで出禁になりライヴができなくなってしまったほどである。

いくつか例を挙げるなら、チェンソーを振り回していて、誤って自分の足を切っちゃったとか、鳥とか豚の臓物を客席に投げ込むとか、ユンボ(ショベルカーの一種らしい)でライブハウスを破壊したり。

挙げ句の果てには呼称したユンボに火炎瓶を投げ込もうとしたり(直前でスタッフらがさすがに止めに入ったので何事もなかったらしいが、一歩間違えばその場にいた150人が爆死、なんていう思想性のないテロリズムになるところであったそうだ)。

80年代の日本は恐ろしい。

ちなみに僅かながら、その当時の勇姿はYouTubeでも見る事ができ、これらの事件の詳細はWikipediaに詳しいので、よかったら見てください。

当時は確かにアングラシーンは凄まじかったらしいが、彼らはぶっ飛びすぎていた。

音楽自体は、ドラムをバックに録音したノイズを流しつつ、ドラム缶などをひっくり返したりする音をぶちまける、という、およそ音楽というよりはアートパフォーマンスという方が正確であろう。

彼がいったい何を目指したのか、その答えは後のボアに引き継がれたと考えるべきであろう。


私が彼らの音源で初めて聴いたのは、順当に1stであった。

初めて聴いたときは、もう笑ったよ。

だって、音楽と呼べそうな音楽なんて2トラックくらいなんだもの。

あとは訳の分からない叫び声とか、うめき声とか、あるいはゲロっているようなとか。

何だこれは!?というのが正直なところである。

でも、なんか面白くてね。

よくわかんないけど、単なる羅列には感じられなかった。

まあ、雑音には変わりないんだけどね。


これを聴いた事により、私の中の音楽というものに対する認識は確実に変わった。

というよりは、多様になったというべきかもしれない。

今まで聴いたどんな音源よりもぶっ飛んで聞こえたし、不思議な心地よさすら感じるようになるから本当に不思議である。

でも、人には勧めないかな。


彼らの存在がかくも世界で大きくなっていったのか、というのは、まさに時代の必然もあるだろう。

80年代と言えば、音楽の大きな転換のあった時期である。

オルタナティヴという価値観が市民権を獲得し、社会病理としか思えない音楽も非常に増えた。

その中には旧来的な価値観を真っ向から否定しようとするものもあり、そうした精神を支える新しい価値観を、彼らの中に感じ取った人がたくさんいたのだろう。

2000年代に入ってますます音楽の雑種性が高まっているが、根っこを掘り下げていけば、音楽の音楽性を否定した事があるはずである。

その大きなきっかけのひとつがBoredomsなのであろう。


先にも書いたけど、音楽というのは音の秩序の探求である。

それぞれが良いと思う秩序にしたがって配列された音が、音楽として鳴り響く。

曲にそのひとらしさが出るのは、それぞれの人にそれぞれの秩序があるからに他ならない。

かつてはそうした多様性はある特定の枠組みの中でしか認められなかった。

しかし、時代が進むにつれて、音楽の音楽としてのあり方自体も、もはや定型的でなくなったのだろう。

もちろん最大多数の公約数は存在する。

それを備えたものが要するに売れる音楽である。

でも、それでないと良い音楽ではない、というのが今の時代である。

結局のところ、自分が心地よいと思うものこそいい音楽であるのである。

そうした自由さが彼らの音楽にはあって、それが心地よくひびくのかもしれない。


彼らをまったく理解できるわけではない。

でも、時にはこういう自分勝手さが、気持ちいい事もあるのである。