音楽放談 pt.2

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小休止76「歌の世界」

最近日本のバンドもよく聴く、という話はよく書いている。

洋楽だとさすがに歌詞がダイレクトに入ってくる事はないから、音楽として楽しむ事の方が多いけど、邦楽はやはり言葉が入ってくる。

なので、あまり直接的な内容よりは文学的な歌詞の方が私は好きである。

思い出してみれば、高校時代にはちょうどモンパチとかみたいなメロコア系が流行っていたのだが、私はその手の音楽はまったくダメだった。

つい反発したくなるんでしょうかね。

さすがに今に至るとそこまで毛嫌いする事もないけど、聴いていて面白いとはやはり思わない。


で、大学時代からの友人と先日久しぶりにあったのだが、彼とはカラオケに行く場合が多い。

彼もメロコアは聴かないが、割と最近の音楽、特に邦楽を良く聴いており、新しい邦楽バンドは彼から音源を借りて仕入れる事が多い。

ほとんどの場合、私が自分からは聴かない類いのバンドのためそこから永らくファンになることは希有であるのが正直なところだが、とはいえあれこれと触れられるのはありがたいことだ。

そんな訳で、彼の歌う曲はそういうバンドが多い訳だが、そうして彼の歌っているのを聴きながら、映し出される歌詞をよく見るのだけど、正直あまり中身のないと感じるものが多い。

曲はカッコいいし、語感もいいわけだが、詰まるところ何の主張もなくとりあえず前向きって感じで、特に感じるところはないんだよね。

まあ、逆に言えば歌詞の意味性を排除することで邦楽に置けるある種の障害たる歌詞を意識させずに音楽として聴かせることもできるからね。

そういう事に敢えて意識的なバンドもあるから、歌詞が意味のない事自体は別にいいのだけど、個人的に引っかかるのは中途半端な意味性なんだよな。

要するにアニソンみたいというかね。

それを大真面目に、本気でやっているかと思うとなんだかなと思う訳である。

一方で私が歌うのはまあ高校生の頃に聴いてたものが多いのだけど、好んで歌うのはパンク系アナログフィッシュみたいな批評性のある歌詞のものが多い。

この手の歌って主張が強いから、残念ながら気心知れていないと好きな歌でも歌えないのだよね。

彼とは割と音楽の趣味も会うところはあるが、それでもこの手の歌はリアクションが微妙だったりする。


売れる音楽というのをこういう所でも改めて考える訳ですよ。

やっぱりシリアスすぎる内容というのは中々受け入れにくいところがある。

R.E.M.の曲で”Pop Somg 89”という曲があり、その一節で「Should we talk about the Weather? Should we talk about the goverment?」というのがあるが、私はこの1節がなんだか好きなのである。

人間関係における難しさと言うか、そういうものをうまく表していると思うのである。

初めましての挨拶の後にするのは天気の話が一番無難で、政治思想の話は好まれない。

それは人間性の深いところに根ざす価値観に関わるため、そこに触れるのは実に難しいのである。

下手をすれば人間関係を壊すことにもなるから、親しき中にもなんとやらではないが、そうそう触れるべき問題ではないのである。

その意味で言うと、要するに売れる音楽は天気の話しかしないような音楽なんだろうと思う訳である。

今のJ-POPとか、巷で売れているものはだから上っ面はいいけど面白みもないしすぐに飽きるのである。


一方で、そういうのをうまく表面上は取り繕いながら、しっかりとした主張を忍ばせる事ができるのがポップフィールドでの素晴らしいアーティストという気がするね。

シリアスなのは個人的には好きだから、別に優劣と言う話ではないが、ともあれそんな両面性をかなえる手段の一つが文学な訳である。

素晴らしい歌詞には文学生が少なからずあるし、共感を生むのはその背景にある価値観な訳で、いかな文学的といえどそれが合わなきゃ好きにもならないけどね。

とはいえ、やはり音楽は音の芸術だから、というだけでなく、歌がある以上は言葉がある訳で、そこには文学性も孕んでくる。

あまりその手の完成はまだ強くはないけど、その辺りもまた読み込む楽しみ方もしたいものだね。