音楽放談 pt.2

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死によって完結したアート ―Closer

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ジャケットのアートワークは、かつてはレコードを彩る文字通りアートの一つであった。
 
ロックの多くの作品を手がけたヒプノシスというデザイン集団もいたほど、その作品における重要なマテリアルであった。
 
単なるアーティストの顔写真や、タレントの顔を映しただけの広告宣伝物ではなく、れっきとしたアートだった。
 
私はヒプノシスの一人、ストーム・ソーガーソン(昨年亡くなってしまった)のアート集を昔に買って持っているが、どれも非常に面白い。
 
有名な者はPink Floydの一連の作品だろう。
 
『狂気』『原子心母』『エコーズ』など、彼等の代表作のほとんどは彼等の手に寄るものだ。
 
シド・バレットのソロ作でも彼等のアートワークが起用されている。
 
XTCの『Go 2』のジャケットもいい感じにふざけていていい。
 
最近ではMars VoltaやMUSEのアルバムも手がけており、現代にあっても斬新かつ秀逸な作品ばかりだ。
 
 
彼等のようにかなりまとまった単位で仕事をしていた人以外にも名を残す人はいる。
 
ピーター・サヴィルという人もその一人で、80年代のファクトリーレコードで主に仕事をしていた。
 
Joy Divisionのアルバムも、彼に寄るものだ。
 
1stは構成爆発の際に生じる電磁波の波形をそのままアートアークに起用している。
 
当時最先端と言われたJDの音楽の存在を表現するのに実に素晴らしいものだと思う。
 
当時のアナログジャケットでは、文字は一切なく、バンド名もレコード盤面に僅かに入れてある程度だったと言う。
 
ジャケットは名刺ではなくアートの一つだ、という彼なりの宣言でもあるかもしれない。
 
 
そして何より有名なのは、JDの2nd『Closer』のジャケットは色々な意味で存在感が違う。
 
モチーフにしているのは、墓場の絵画である。
 
これ自体有名な絵のようだが、当時音楽を聴いたサヴィルはほぼインスピレーションでこのアートワークを選んだと言う。
 
当時はバンドがまさに世界に進出せんとしているまっただ中、誰もイアンの書く詩の内容にまで気を配る者はいなかったと言う。
 
単なる歌の歌詞以上の見方はしなかったと言う。
 
ただ一人、愛人アニークを除いては。
 
結局このアルバムのレコーディグが終わり、発売まであと数日という所でイアンは自殺してしまった訳である。
 
そうなって改めて鑑みられたこのアルバムは、歌詞の内容も踏まえて、サヴィルは「なぜこんなモチーフを使ってしまったのか」と後悔したと言う。
 
皮肉にもこのアルバムをトータルで存在づける結末になってしまったのは、時代の因果であろうか。
 
 
さて、そんな『Closer』であるが、改めて詩の内容まで目を向けると、色々と考えさせられるものがある。
 
そもそも自殺したという文脈があるため、音楽自体に漂う暗いムードに引っ張られてしまうところがあるが、実はそれ以上に歌詞の内容が圧倒的に重い。
 
1曲目"Atrocity Exhibition"は、所謂見せ物小屋の中で見せ物にされる側の視点で描かれるやや皮肉的な内容。
 
これも視点を変えればイアンが自分自身のライブでの姿を暗に描いていると言える。
 
狂気的なパフォーマンスに熱中する人たちに向かい合う中で、何処か道化のように振るまい、しかしそんな自分の姿に苦悩する姿が見て取れる。
 
続く"Isolation"は、孤独感のあらわれと読めるだろう。
 
僕は精いっぱい頑張っていると訴えるも、その心情を理解する者はおらず、孤立していくような精神を歌っている。
 
"Colony"については、ひょっとしたら結婚生活そのものの窮屈さを表現していると読める。
 
既にアニークとの不倫関係にある中で、ツアーの合間に帰る家は自分を閉じ込める檻のような存在でしかなく、それを小さな居住単位であるコロニーという言葉で表現したかのよう。
 
で、個人的に一番印象的で、やはり世間的にも非常に有名なのは"Heart And Soul"。
 
映画『Control』の冒頭で差し込まれる言葉はこの曲に一節である。
 
「Existence Is What Does It Matter? I Exist Best I Can. The Future Is Part Of Past, The Present Is Out Of Hands.」(ちょっと違うかもですが)というのが実に象徴的。
 
"Isolation"とも通じる内容だと思うが、自分が最大限に出し切っても、それでもなお民衆は満足しない。
 
個人と言う存在を無視して自身の欲求不満をぶつけてくるだけの存在、少しのミスがあれば途端に批判的な態度にではじめる。
 
そんな日常を繰り返すライブと言う現場において、次第に恐怖心すら抱くようになり、そこへ癲癇の発作への恐怖も相まって、イアンは追いつめられて行く。
 
「未来は過去の一部、現在にはもう手が届かない」というのは、既に自分自身が自分自身の意志とは慣れて行ってしまった絶望感にあふれた一節だと言える。
 
映画『Control』でこの一節を冒頭に持ってきたのは、まさにイアンの死の直前の心情を最もうまく表しているからかもいれないし、あるいは絶望感を通り越した諦めの感情を鋭く付いているからだろうか。
 
その後につながる「Heart And Soul, What Will Burn.(心と魂、いずれ燃え尽きるもの)」という一節が、まさにそれを表しているだろう。
 
 
と、全部ではないけど歌詞の内容を色々考えてみても、とにかくこのアルバムは暗い。
 
要するに絶望と諦めという言葉がしっくりくる暗さである。
 
しかもその対象が自分の人生に対してなので、詰まる所つながるのは死しかない。
 
聴いていていい気分になるアルバムではない事は間違いない。
 
Nine Inch Nialsの『The Downward Spiral』も、モチーフはズバリ自殺である。
 
ちなみにこっちの方が遥かに直接的。
 
しかし、このアルバムの最後には救いが残されている。
 
「痛みを感じられる、まだ引き返せるところにいる」という僅かな希望を残す事で幾許かの光はある。
 
ちなみにこのアルバムには”Closer”という曲があり、日本盤のボートラにはJDの”Dead Souls”のカバーが収録された。
 
このアルバムを作る上で、トレントのイスピレーションの一つになったのだろうかという事が推測される。
 
 
ともあれ、ある意味では歌詞、サウンド、アートワーク、そして図らずもアルバムそのもののストーリーに至るまで、皮肉にも完璧と言える作品である。
 
音楽的にも後進に多大な影響を与えたバンドな訳だが、ここまで存在感を残す事は、多分音楽的にどれだけ優れていても不可能だろう。
 
意図して出来上がったものではなく、それこそ時代の渦に個人が巻き込まれて、図らずも彼自身が大きな渦の中心にたまたまいたのである。
 
23歳で人生の幕を自ら下ろした若者の描く世界とは思えないくらい深い歌詞になっていて、正直ビビるけどね。
 
そこまでの深い絶望感は、なかなかある者ではない。
 
しかし一方でひょっとしたら絶望している時にはむしろこういう音楽に救われる瞬間があるのかもしれない。
 
そう考えると、彼はまさに徒花となったのかもしれない。
 
 
もっとも、そんなものを彼が目指していた訳ではない事は、明らかなんだけどね。