音楽放談 pt.2

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悲しみにはさよならを -Wednesday

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日付変わって今日は水曜日だ。

週の半ば、社会人には一番つらいタイミングである。

しかし、まだ水曜日かと思う一方でもう水曜日かという思いもある。

それはきっとやらなければいけないことの量によって違うのだろう。

幸か不幸か私にはやらなければいけないことがあるので、もう水曜日か、と感じてる。

今はビールを飲んでいる。


水曜日と言えば昔は漫画雑誌を毎週買っていて、それを待っている身としては楽しみな曜日だった。

しかし、今は別に何も待っていないので、ただ過ぎ去る1日に過ぎない。

翻ってじゃあ楽しみな曜日っていつなんだ、というと、別にそんなものはありはしない、というのが今の私である。

強いて挙げればライブに行く予定のある土日だけかな。

別に休みでも何をするでもないから、大概は時間をむやみに浪費している。

若さとは浪費するものだとはよく言ったものだが、若いときから私の時間の浪費グセは治っていないらしい。

むしろ近年ひどくなっていて、気がついたら腐って死に行く自分を鑑みるのだろうか。

そんなことを思う水曜日。


そんな水曜日をテーマにした曲がアナログフィッシュにもあって、前作『最近のぼくら』に収録されている。

穏やかで静かで、下岡さんらしい何気ない日常の描写の中から滲み出てくる感情の機微を味わうような曲だ。

「何か新しいことが起きそうな、そんな気がして部屋を出る」という一節があるわけだが、主人公は最近彼女と別れたのだろうね。

少しだけ時間が経って、悲しみが少しだけ落ち着いたくらいのタイミングだと思うのだけど、新しい将来に思いを馳せる一方で、まだ引きずっている感情が嫌が応にも染み出してくる。

「悲しみにはさよならを」といいつつ、無責任にいい天気で穏やかな外の空気が、またことさら寂しさを誘うのである。

この曲で特に印象的なラインは「この街の中で僕を知る人は、君以外にはいないのに」というところ。

こういうところにも下岡さんの都会暮らしの視点が見て取れるな、なんて思う。

地方から来たものとしては知り合いもいないし、顔見知りの店員はいるにしても自分を「知って」くれている人なんていない。

家族も、昔からの友達もいないからね。

大人になってから本音をさらけ出せることってあんまりないと思うけど、その中でもそういう関係性ってやっぱり特別なものだと思うし。

でも、そんな「知って」くれている彼女はもう自分とは袂を分かっている。

この街にはまだいるのだろうけど、お互いの距離はもう測ることはできない。

そういう喪失感が曲調にも多くは言わない歌詞にも現れている曲だと思う。


「表通りは何事もなさそうに、いつも通りの穏やかな水曜日」

別に何が起こるわけでもなく、多くの人にはなんていうことのない過ぎ去るだけの1日である場合が多い水曜日。

だけど、そのなんてことのなさがやけに寂しく感じる瞬間が、偶にあるものである。

「悲しみにはさよならを」なんてことさら考えないではいられない時っていうのは、悲しくて仕方ない時である。

その悲しみを受け止めてくれる人もいないことが本当は一番悲しいのだけど、どうしたってそれと向き合わないといけない瞬間もあるからね。

ちなみに、トップに載せた画像はWednesdayで検索したら出てきた絵画である。

どこかのサイトで売っているもののようが、なんとなくフィットした感じがしたので拝借した。

こういう絵って、なんだか好きなんですよ。


今日もむやみにあくせくする水曜日なんだろうな。

"Wednesday"