イケメンなのになんとなく冴えないと思ったらアナログフィッシュの佐々木健太郎さんだった。
前回は下岡晃さんの曲の、特にラブソングを取り上げて自分の中の共感ポイントをあげてみたが、今回はもう一人のソングライター、佐々木健太郎さんだ。
正直、最初は導入自体もあって下岡さん曲が好きで、健太郎さん曲てそんなでもなかった。
だけど、今では当たり前のように甲乙つけ難く、なんなら救いになるのは健太郎さんの描く曲だなとさえ思う。
二人が共有している部分もきっとあると思うけど、一方で根本のところでは違うところがある。
割と主張は主張として、やっぱりこれはおかしいよ!と表明できるのが強さだとしたら、健太郎さんはおかしいと思うけどどうなんだろう・・・と一人で墺脳しているような印象だ。
個人的にはそちらの方が在り方としては共感してしまい、最近では急にぐっとくるのは健太郎さん曲だったりする。
私も一人で墺脳してしまうし、しかしそれを真正面から突きつける強さはない。
それでも悶々としてしまうのだけど、そんなメンタルが曲を通して見えるように感じるのだ。
他方で根本が違うなと感じるのは、彼は最後には世界平和をちゃんと願っていると感じるところだ。
下岡さんもゴールは同じだと思うけど、表現の仕方の違いがこういうところに出るのかなと。
そんな健太郎さん曲について、共感的に聞いてしまう曲たちを。
まずはこちら。
彼らの初期からの代表曲でもある”ロウ”、まさかのライブ映像も何もなかった。
ともあれ、人生に対するスタンス自体が共感的に感じられて仕方ない。
健太郎さん20代の時の曲だけど、人間てのはそんな簡単に変われるものではない。
私も日々の目標なんてなくて、ただ美味しいビールを美味しく飲めればそれでいいじゃん、みたいな人生観だったりする。
つまり刹那的。
自分の欲望を他人にぶつける度胸もないから、そうなるんだろうな。
ともあれ、私もずっとゼロに近いロウな状態ばかりだ。
それでも自分なりにもがいているんだけどね。
続いてはこちら。
急に最近の曲だが、12thアルバム収録の”Dig Me?”。
こちらもPVにすらなっていないが、実に現代的な曲だ。
先の曲との対比を考えると、詰まるところ人の幸せは半径数mの世界でできているし、逆に言えばそれさえ守れれば人は幸せでいられるのではないかと。
この曲自体は別にそこまで小さな世界にフォーカスはしていない。
でも表現自体はあなたと私の関係性みたいなものを表していると思っていて、それを昨今のSNS社会や、国民総メディア化と呼ばれる時代への皮肉にもなっているのが面白いところだ。
「正しくなりたいだけなら、少し黙っていてほしい」という一節は、下岡さんにも負けない強烈な社会風刺でありながら、個人のごく私的な幸せのためのノイズが何かを表しているように思う。
最近は正義感ばかりが溢れていてそれが人を殺しているが、そんな世の中にまさに叩きつけたい言葉だ。
お前の正義なんて知らないよって話。
オナニーは個人の快楽以外は何も生まないからね、それが全く無意味だとは言わないけど、少なくとも他人に見せるようなものではない。
続いてはこちら。
時代は行ったり来たりするが、こちらもメジャー1st収録の”ぼくったら”。
この曲は自己愛と恋人との別れを受け入れられない時のアンビバレント感覚が謳われていると思っていて、なんかなんとも言えない気分にさせられる。
後悔だったり、現実逃避だったり、そんなものが溢れているように感じるが、昔5年くらい付き合った彼女と別れた時の感じをよく思い出す曲だ。
女々しくて、辛いよ。。。
そしてこちら。
この曲も”Low”の系譜だと思うが、社会と向き合った時に自分の中の正しさと社会の現実のあり方に墺脳するような場面で、自分を自分でいさせてくれる外部媒体としての音楽を歌っていて、まさに私が音楽を聴いていて、取り憑かれている理由もそこにあるから、この曲で出てくるキャロル・キングやジャクソン5がアナログフィッシュだったり Nine Inch Nailsだったりするわけだ。
どんな曲に共感してしまうか、どんな場面でどんな曲を思い出すかは、だからこそその人の価値観を反映していると思うわけだ。
そして最近の曲がまた覚醒しており、あえて言及するがこちら。
最新アルバムからの”Moomlight”。
健太郎さんのロマンティックを詰め込みまくったみたいな曲だ。
下岡さん曰く、健太郎さんはロマンティックとのことだが、なるほどとこの曲を聞けば聴くほどわかる気がする。
しんどい状況だろうが、それでも理想的なこうだったらいいのにな、を描いているようで、この曲は本当にキラキラしている。
どうしようもなく疲れ切って、理屈じゃどうしようもない時に聞きたいのってこういう曲なんだよな。
もし今彼らのベストアルバムをリリースするとしたら、最後に持ってくるのは個人的にはこの曲である。
現実を謳うことの強さや、それがある種のテーマソングになるわけだけど、本当にどうしようもない時にはこういう理想を歌う曲がグッとくるんだよな。
そんな世界観なんて、私には描けないから。
そしてやっぱりこの曲。
彼らのまさに代表曲である”アンセム”。
聞き始めた当時からすでに代表曲と言われていたけど、正直最初はポップだなくらいでそんなにグッときてなかった。
だけど、ここ数年になって急に個人的に刺さりまくっている。
伝えたいことは空にあって、両手広げてキャッチするが・・・という抽象的な一説がサビにあるが、迷いながらいつも、迷いながら、なんですよ。
自分の中にあるモヤモヤの正体をずっと探し続けていて、それが何かわからない。
それでもなんとかもがいているんだ、みたいな感じがあって、それが今の自分の環境とハマっているように感じられて、たまらないんですよ。
この曲が急にグッときた瞬間が個人的にはあって、それはちょうど1年くらい前なんだよね。
ちょっとメンタルでやってしまって、自律神経系の異常をきたしていた時にナツフィッシュで聴いて、その時涙が出て仕方なかった。
そのあとはもういつ聴いてもそうなってしまってちょっと困ったけど、今は少し落ち着いた。
ともあれ、悩んで結局答えなんてでてないんだけど、それでももがいているんだ、ていう、いいたことはあるんだって、俺だって必死なんだぜっていうのが、なんかすごく刺さってしまった。
まさかこのタイミングでこんなことになるとは思わなかった。
健太郎さんの曲の特徴として個人的に思っているのは、とにかくずっと悩んでいる。
昔はそれが自分の中でぐるぐる回っているしかなかったのが、最近の曲ではそれでも理想的なあり方だったらいいじゃないか、みたいなポジティブさを持つようになっていると感じるのだ。
それがただの能天気じゃなくて、足掻いている先に思い描いているのがみて取れるから、だからこそグッとくるのだ。
それは下岡さんとは違う種類の強さだし、現実を突きつける下岡さんとは違う意味での鼓舞する力を持っていると思っている。
ロマンチックという評はそういうところから来るのかなと思うけど、いずれにせよしんどい時に救いになるのはこういうポジティブさだったりする。
歌詞から曲を作る下岡さんに対して、健太郎さんはメロディから作るそうだ。
伝えたいことは空にあるんだろうな、でもだからこそハマりだすと理屈では説明できないレベルでハマってしまうのが、彼の魅力だと思っている。
昨年のジョンとポールでは、自虐的に「僕の回だけ全然来なかったらどうしようかと思った」なんて言っていたがそんなわけはない。
あの時のライブでめちゃ救われたし、今でも根っこで寄り添っているのは彼の曲だったりする。
下岡さんの曲が戦う時のテーマにもなるが、健太郎さんの曲の方がある意味パーソナルだ。
それぞれに違った魅力があって、刺さり方も当然違う。
アナログフィッシュというバンドの魅力て、先の下岡さんの時にも書いたが、根っこに同じ問題意識を持ちつつ、表現の仕方が違うことで間口が拡がっていることが一つである。
それぞれの、どんな曲のどんな表現に惹かれるかを掘り下げてみると、自ずから自分の価値観も見えてくる。
それが音楽体験として面白いし、だからこそ聞き続けてしまう。
これから先も、きっとふとした瞬間にフェイバリットになる曲もあるだろう。
そんな自分の中の発見に繋がるのも、また楽しみなことである。
最後に、こういう突き抜けてポップで、健太郎さんVoの曲も最高だ。