
なんか無条件に楽しめたんだよね。
余計な事を考えなかったというか。
何故かはよくわからなかった。
他のバンドも好きな奴しか観てないし、好きな曲をやってくれた。
楽しかったのは事実だし、さすがとうなる場面もいっぱいあった。
にもかかわらず、刺さったのは彼等が一番だった。
一体何が違うんだろうか、なんて思ったのだけど、一つはノスタルジーに似たものがあったのかもしれない。
以前にも一度彼等については書いているのだが、私は高校生の頃に彼等を聞くようになった。
当時はやっていたのはモンパチとかみたいないわゆるメロコア系。
多分同世代の奴に聞いたら、大概の奴は当時好きだったとか言うのだろうと思う。
私はそれがピンと来なかった。
というよりも、正直に言えば周りと違う事をしたかっただけなのかもしれない。
コンプレックスの塊であった当時の私は、彼女はもちろんいなかったし、女の子と話すのも得意じゃなかった。
もっとも友達すらあまりいない(と思い込んでいた)から、そもそも人付き合いというのが得意じゃなかった。
今にして思えば、女の子に告白された事もあったし、遊びに誘ってくれる友達もいた。
だけど、自分という人間の底をみられる事がすごく怖かった。
知られたら見下される、馬鹿にされる、嫌われると思っていたから。
実際は多分そんな事ないんだけどね。
ま、暗黒時代というやつだ。
おかげで未だに高校時代を後悔している。
その延長で大学生の頃も半ば以上無益に過ごしてしまった。
今の精神状態で臨めば、きっともっと楽しい人生のはずである。
まあ、その暗黒時代があったが故に今に至ると都合のいい解釈をするようにしているが。
話は逸れたが、そんな世の中をうまく渡る為には周りと自分を差別化しなくてはいけなかった。
その一つの手段が聴く音楽だったという典型的なパターンである。
しかし、このおかげで今は多様な音楽を楽しめるし、興味の幅も広がっている。
レピッシュもそんな礎の一つとなっているのである。
掲載したのは1stで、この頃から現ちゃんの詞は独自性を放っている。
しかしそれ以上にハッチャケまくりの楽曲がすばらしい。
別に難しい曲でもないと思うし、馬鹿なだけでもある。
勢いばかりの若さしかない曲もある。
でも、そのエネルギーがいいんですね。
一曲目の’美代ちゃんの×××’の「×××」の部分がはっぱだと言う事をサマソニで初めて知ったのだけど、そんな具合に下らないものもある。
だけど、踊らずにはいられないその楽曲は、やはり普遍的な力があるんだと思う。
デビュー当時はポコチンロックという意味不明な言葉で紹介されていたようだが、ようは衝動性ですよ。
ロックに一番大事なそれを持っているんだ、このバンドは。
周りでもおじさん達が曲に合わせて踊っていた。
遠藤賢司の’不滅の男’じゃないけど、そういうことじゃないんだよね。
高校生当時の鬱屈した思いと、それでもコンチクショウとあれこれ噛み付こうとしていたような山っけとか、うまく言えないフラストレーション、うまくいってるやつへの嫉妬みたいな感情、そんなものを思いつつ、ライブを観ていたのかもしれない。
でも、今は素直に楽しめるし、踊れる。
もはやそれらは過去なんだよね。
まあ、今でも卑屈さは変わらないけど、自分を出すと言うことに抵抗感はないし。
音楽には色んな側面があって、もちろん歌詞にみられるメッセージは一番わかりやすいそれだろう。
しかし、音や、バンドのたたずまい、聞いている自分の状況など、色んなものがその経験に影響を与える。
それだけ多くの影響を与えられる音楽はきっと優れているんだと思う。
レピッシュのライブが響いいたのも、きっとそんな色んな要素が詰まっていたからだろうね。
また折を観て未聴のアルバムも買って行こう。