音楽放談 pt.2

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戦いの音楽 ―Kendrick Lamer

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最近黒人音楽を割と聴いている。

少し前からRobert GlasperとかErykaBaduhなどはちょっとだけ聴いていたけど、Flying Lotusも聴いているか、ともあれその界隈を中心にあれこれと手を出している。

以前から聴いていた音楽にその影響を指摘されるものはたくさんあった。

それこそTalking HeadsやVampire Weekend、あるいはそもそもロックンロールはブルーズから発展したものだというから、ロックを好んで聴いている段階で間接的には聴いていたとも言えるけど、モロって奴はなかったんですね。

理由は別にないけど、所謂ブラックミュージックと言われるヒップホップ、ファンク、R&B、レゲエなどの音楽は、J-POPのクソみたいな曲達のせいで頭の悪い奴が聴く音楽だと勝手に思っていたのである。

だって日本のその手の奴を聴いているのってしゃべっても何しても頭悪そうな奴かヤンキーみたいなやつばっかりだったから。

だけど最近色々観ていく中で、単に日本では発信の仕方がああいう風になっていただけで、現実のブラックミュージックは何よりシビアである事がわかったのですね。

考えてみれば当然で、歴史的にも黒人は奴隷として虐げられていて、今の時代にあっても未だ黒人であるという理由で差別を受けるのが現実で、酷い場合には殺されている。

その象徴的な事件としてニュースになったのがファーガンソン事件であろう。

窃盗をしてしまった黒人青年が、両手を上げて無抵抗を示したにも関わらず警察官に銃殺された事件である。

普通に拘束されれば済むところを何故殺す必要があったのか、というところに差別がある訳である。

それを契機にふざけんな!と改めて声高に叫ぶ黒人アーティストの多数おり、その中の一人が今年数年ぶりの新譜を出して話題になったD'angeloである。

彼が伝説的な語り口で紹介される一方で、新人として一挙に注目を集めたのがKendrick Lamerである。


彼もスラム街で育ったため、差別に晒される事が日常で、ハナから平等なんてなかったようだ。

暴力と死の恐怖に常に晒される中で、様々な犯罪とされる行為も身近にあったのだろう。

しかし、彼は音楽を作る事でどっぷり浸かりきる事はなく、幸いにしてというべきか、同じく黒人ラッパーのDr.Dreに見出され、世に出る事になった。

既にアルバムとしては2作目になるらしいが、前作で既に業界では話題だったらしいですね。

私はこのアルバムが初めましてだったのだけど、一先ず音楽だけ、意味を置いておいて聴いても非常にポップでカッコいい音楽である。

言葉のリズムも気持ちいいし、楽曲もポジティブ、間にはスキャットなんかも挟みつつ、終盤にはかなり重たい曲調に推移していく展開も素晴らしい。

残念ながら私は輸入盤を買ってしまったばっかりに肝心要の歌詞の内容がわからないという、一体何の為に聴いているんだという話しになってしまったのだけど、とはいえそういう世界を歌った音楽が世の中に広く聴かれるということは良い事だと思うし、それだけポップミュージックとしての優れているという証だろう。

ただ、残念ながら私のように意味内容を理解せずに聴いている連中がいる限りにおいては、実は彼の言いたい事は届いていないと言う事になってしまう。

申し訳ない。

まあ、私は新品で買ったので、その印税が少しでも彼の活動の助けになれば幸い、という所だろうか。


余談だけど、その延長と言う訳ではないけど今日はFela KutiのCDも買ってきた。

アフロビートと呼ばれる音楽の始祖して名前は知っていたけど、結局どんな音楽をやっていた人かは知らなかった。

で、買うにあたって少しだけバイオなんかも調べたのだけど、この人もまた様々な圧力、権力と戦い続けていた人だったらしいね。


世界平和だなんだと首脳会談なんかもでも声高に叫ばれてはいるけど、結局理想は理想のままで、誰の理想かもわからない。

今ある自分の特権を手放したくないと願うのは人の常だし、自分の特権を誰かに譲ってまで人の幸せに寛容である事は難しいのかもしてない。

事実未だにアメリアではそうした差別はある。

日本で言えばあまり民族紛争って表立っては言われないけど、最近では在日の人たちに対する塀とスピーチなどが叫ばれている。

それらを行おうとする人々の正義の拠り所は、所謂在日特権や、それらの人たちによる犯罪率の高さなどが上げられるというが、実際には純粋な日本人(という表現も妙だけど)によるものの方が圧倒的に多いという自明の事実もある。

ある人によれば、そういった切り口で批判が展開される背景には現実への不安の原因をそういう所に求めているのでは、といった論調もあるらしい。

スケープゴートという奴か。

不景気が叫ばれて久しいし、色々な狂った犯罪がニュースで取りざたされているから、自ずから漠然とした不安が蔓延している。

暗がりでは常に後ろを気にして、電車に乗っては周囲を警戒する。

街中では子どもに声をかけただけで不審者扱いなんだとか。

其れを関係性が希薄な社会になった、と嘆く人があって、それがまた犯罪を助長するんだ、大事なのは絆だ!なんていう話しもあるけど、実際はそれは別の問題である。

何か納得いかないと理由を求めたいのは誰でもそうだし、其れが自分に及ぶと思うと途端に其れを攻撃してでも自分の不安は排除しようとするだろう。

でもその時に利己的な理由だけでは周囲から攻撃される可能性があるから、大義名分が作られる。

世の中ってのはそうやって出来ているんだろうね。

実際はそんな事もないはずなのに。


ちょっと話しがずれてしまったけど、結局人は何を恐れているんだろう、と言う事をこういう事象を観ると考えさせられるよね。

自分自身もそういう場面がきっとあるから、頭から否定はできないのかもしれないけど、それでも極身近にもそう言った不可解さは溢れている。

彼のような表現によって、そういうものが露にされるが、其れ故に彼は攻撃されるだろう。

味方する人は顔の見えないところで味方する場合が多いだろうから、戦うときは孤独なものだろう。

変な力に負けないように、頑張ってほしいよね。