音楽放談 pt.2

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小休止102「音楽に名付ける意味」

先日関西アンダーグランドシーンの重要人物と呼ばれる日野浩志郎さんのfacebookへの書き込みが興味深かった。

goatやbonansasなどのバンドからソロでも様々な形態で活動をしている人なのだけど、また新しいユニット?を作ったとのこと、その背景なんかを彼なりに説明しているのだけど、その中で振れられている事がよかったのですね。

内容としては、所謂ダンスミュージックとオリエンタルな音楽の境界はなくなっているし、それを意識している人もいないんじゃないか、という自身のことや身近な人の事も鑑みつつも、一方でそれでもやっぱりジャンルというものを意識して聴く人の方がやっぱり多いだろうし、それが勿体ない、というようなことが語られている。

彼が新たに組むバンド(というべきか微妙だが)では、そういうジャンルの壁をどうなくしていくか、それは表現者としての自己満足ではなく聞く側にもそれをもたらしたい、という野心があるようだ。


音楽の始まりを辿れば、元々は各国、各地域の土着的なところから始って、それが分化・交流を経て様々に発展して今に至るだろう。

だから、元々は音楽と言えば個々の人たちにはジャンルもクソもなくて、いつも自分達のならしているものこそが音楽であって、特に名前なんてなかったんじゃないなか。

しかし、交流を経ていくたびに其れを音楽其れ自体以外の手段で伝えるという事が必要になる。

一番それを求めたのは批評家という人達だろうけど、そういうことを介して音楽がなづけられるようになって、ロックやれブルースやれといったジャンルが登場したのだろう。

実際よく音楽関係の書籍では、その音楽的なルーツと併せて名前の起源についても触れられるのだけど、多くはどこそこのラジオ局のDJがとか、プロデューサーがとか、そんな感じである。

ロックンロールもそうだし、ブリットポップというジャンルではないけどムーヴメントもある種商業的な視点でつけられていることも多い。

昨今ジャンルは細分化して、もはや音楽的な特徴では処理しきれなくて考え方とかそういうものをベースに名付ける向きもあるように思うし、それらが音楽的特徴として一定の認知を獲得したものと同じ土俵で論じられると余計訳がわからなくなるようなきもするがね。


で、そのジャンル分けというのは目に見えない音楽にラベルを貼る作業だから、何かを選ぶとか探すとか、そういう時にはやっぱり便利である。

時間的、物理的な制約もある中で片っ端から聴いていくなんてことは出来ないから、そうしたラベルがあるのは非常に助かるのは事実である。

音楽的な特徴の似たものを好むのは当然だし、やっぱりその筋で色々聴きたいなと思うのはしごく当然の欲求である。

ただ、一方でその弊害はその音楽自体を評価する前にラベルで評価をしてしまうということが起きうる事である。

私自身も、以前はヒップホップ、R&Bと呼ばれる類いの音楽は聴いた事がなくても興味なしのレッテルを貼って聴いてこなかった。

それにヘヴィメタルと聴くと只それだけでダサイ音楽と思っていた時期もあったしね。

それって先入観以外の何者でもないし、詰まるところ音楽そのものに目を向けていない何よりの証である。

正直今もってそういう視点で染み付いているから、よくないよねと思う一方で、効率的に好きな音楽を探したいと思う時にはやっぱり参照点にもなるからどうしても観てしまうよね。


そういう状況に対して日野さん始め、そんな観念をとびこえさせたいという野心を持った若いアーティストは日本以外にもたくさんいるけど、それと反比例するように音楽に興味を持っている人自体が減っている訳で、なんだか切ないね。

それに熱心な音楽リスナーでもどこかそういうものに縛られてしまっていて自ずから意識してしまう。

言葉は便利だけど、便利さの反面はそういうことになるんだろうね。

気をつけないと。

とはいえ、感覚で共有できる範囲であれば言葉なんていらないけど、広げる為には其れ以外の媒介もないと難しい側面もあるからね。

そこにはコマーシャルな視点がお金が絡む絡まないに関わらず存在するから、あらがえないのかなとも思いつつ、あくまで一つの情報としてだけ捉えられる感性を磨く事も大事だよね。