発表の仕方的にもう一組のヘッドはまだ未発表状態なようだが、いずれにせよ久しぶりにロックフェスとしての色を強めているサマソニという印象である。
世の中のリアクションもまずまずで、さすがレディへと言ったところか。
しかし、やはりかつてに比べると話題性はそこまでではなかった、という感じもする。
これはこのバンドが云々というよりは単に世の中的な価値観の問題だろう。
洋楽は(ていうか音楽には)興味ない人も増えているし、第一レディへももはやおっさんバンドでしかないだろう。
だからファンもおっさんばかりだろうし。
なんていいつつ、なんやかんや入場規制手前くらいの盛況を呈すのだろうけどね。
そんな訳で今日はレディへ、みんな大好き『OK Computer』である。
彼等を優良なギタープップバンドが革新家へと評価を一変させた転機となったアルバムであろう。
この1つ前の『Bends』はギターポップとして非常に良い曲満載、今ほど陰鬱ではなく、ちょっと逃避的な感じはあったと思うけどどこか安らぎのような感覚もたたえていたように思う。
そこからこのアルバムだった訳であるが、皮肉満載でアグレッシブな曲が並ぶ。
全体の大きなテーマとしては消費社会というものへの批判的な態度があるだろう。
1曲目が"Air Bag"という曲だけど、今では標準装備の車のエアバッグについての曲なのだけど、事故を起こした時に走馬灯のような妄想のようなものの終わりに目が覚めて、エアバッグのお陰で助かったと気がつくという内容なのだけど、意図としてはそんな宣伝文句を持ってエアバッグを進めてくる社会が気持ち悪い、みたいなものだった気がする。
2曲目の"Paranoid Android"では、巷で喧伝される幸福な暮らしのモデルケースみたいなものへの辟易した気持ちの爆発って感じかな。
グッチを纏った豚野郎という言葉も飛び出す。
3曲目も宇宙船から地上を眺めながらそれをバカじゃねぇのか?という態度のように見える。
でもこれが現実なんだよな、なんて思わずため息を漏らすような感じかな。
4曲目は映画「ロミオとジュリエット」のエンディング用に作られた曲らしいけど、暗い。
最期のラインは「みんな窒息してしまえ」である。
そんな具合に全編とにかく苛立ってしょうがねぇ!ていう感じの歌でつくされている。
6曲目の”Kalma Police”にしても、所謂論理的に得意げに話す男といかにも社交的で華やかなパーティライフをリプリゼントする女を挙げつつ、こんな奴らさっさとぶっ飛ばせよ、とでも言いたげだけど、最期はやっぱり苛立つしかない自分に気がつくような感じ。
そんな曲がひしめく中で、個人的にひときわ印象的なのは曲と言うよりは語りなのだけど、機会の音声で現代の理想的とされる暮らしが淡々と語られる”Fitter, Happier”。
そこで語られる価値観は決して否定されるようなものではなくて、健康的で生産的な人間らしい暮らし、と言えなくはないけど、其の完璧さに人間らしさは逆に見当たらないというパラドキシカルな視点を提示している。
『OK Computer』というタイトルにもそんな皮肉が込められているのかな、と思う。
間に差し込まれる「10代ほど愚かで絶望的で子どもじみた時代はない」という言葉にだけ人間味が溢れている気がする。
其れを否定する事にこそこのトラックの意図が見えてくるように思う。
最近私も体力の衰えを感じて、何とかしたいなと思ってスポーツジムに通い始めたのだけど、なんかあの空間てすっごい不思議なのである。
広くて綺麗だし、そこに集まる人の願望は至って健全である。
自分の足で歩き続ける為に鍛える老人や、何か競技スポーツをやっているらしい人たち、あるいは主婦の寄り合いの場として使っているのであろう集団もちらほら見かける。
健康である事は個人の人生にとっては良い事だし、いかにもポジティブな空気があるはずなんだけど、ランニングマシンの唸る音が淡々と響いていて、みんなどこを見ているのかわからない感じでひたすら体を動かしている。
トレーナー主催のプログラムとかもあるけど、なんかこう、奇妙な違和感というか、なんて言ったらいいかわからないけど、何かに追われているかのような人たちがいたり、プログラムで和気あいあいとする様に却って孤独感というか、何かにすがりつくような感じの人もいて、なんか怖いというか、不気味というか、そんな感じを覚えたのである。
別に自分は自分で目的があって行ってるから別にいいのだけど、そんな違和感を覚えたからか不意にこのトラックを思い出したのである。
そうして散々ぶちまけたあと、10曲目の”No Surprises”では静かな独り言というか、ささやかな弱音のような曲である。
ただ平穏に暮らしたいんだ、なんていう普遍的な思いと、反してひたすら追い立てられるような現代社会で疲れてしまう現実に悲嘆にくれる。
この曲のPVでは宇宙服みたいなのを被ったトムの顔のアップだけなのだけど、ジワジワとそのヘルメットの中に水が浸食してきて溺れそうになる様を描いている。
それで死ぬ事はないのだけど、そんな息苦しさや真綿で首を絞められるような不安や居心地の悪さみたいなものが表現されている。
曲調は至って穏やかで、タイトル通り驚きもない平穏さが表現されている訳だけどね。
そしてラスト2曲で現実に立ち返りつつ、また目まぐるしい日々に身を委ねていく様が描かれているので、結局このアルバムには救いがない。
どんなに嘆いても毒づいてみても、現実が急に変わる事はないし、生きていく為には其の中でやっていくしかないというのが何よりも確かな現実である。
其れを受け入れる事が生きる事でもある訳だけど、そんな現実ながらせめて穏やかに暮らしたいな、なんていう現実逃避的な視点もあるのかな、なんて個人的には思う。
幸い英語がダイレクトに入ってこないので、歌詞をわざわざ読まなければもう少し音楽として楽しめる側面もあるだろう。
といってもなんか不機嫌そうな曲が多いし、それこそ音楽をやっている人ならプロダクションとかそういう部分に面白みを感じるだろうけど、そうでなければ積極的に聴こうという人はどれほどいるんだろうと言うのが個人的な感想である。
ちなみに私はこのアルバム好きなんですけどね。
基本的に私は皮肉っぽい人間だし、ここで歌われる世界観に少なからず共感できてしまうし、ある意味では諦めて生きているところもあるので、其の意味でもそうだよね、と思って聞いている。
むしろ言葉の表現含めて見事とか思ってしまうから楽しめるのである。
結局何かを解決する訳ではないし、これを聞いて勇気づけられると言うよりは現実を突きつけているだけの音楽である。
ではこういう音楽の価値ってなんだろうというと、一番わかりやすいのは同じような苛立を覚える人に対して共感というものをもたらす事がせめて見出せるポジティブな側面だろう。
むしろそんな事よりも問題定期と言う方が適切な気がする。
企業はものを売る為に綺麗な広告を作って、いかにもあなたの暮らしに大事なものだし、これによって素晴らしい毎日になりますよ、と言う事を謳う訳である。
かくいう私も広告業界で働いているので、そこで考えていることはやっぱりどうやって重要っぽく感じてもらうかということだからね。
もちろん全てお金優先でやっている会社ばかりじゃなくて、実際に健康という価値観とか、楽しいという価値観からすれば本当に価値のあるものも多いので、決して広告がありもしない事実や価値観をねつ造したり誇張したりしているばかりではない。
しかし、一方で其れを無批判に受け入れてしまうことは危険だし、それは中には詐欺のような存在があるからである。
別にそういったものをちゃんと見極める目を身につけようぜ!というテーマはこのアルバムにはないだろうけど、日々発信される有象無象を正しいものとして受け入れてしまうことで見えてくる現実の非人間的な在り方については認識しておいた方が良いんじゃないかな、とは思うよね。
このアルバムについてはきっともっと制作者の意図を汲んだ解釈はいくらでもあると思うし、上記はあくまで私はこう聴いているというだけだから、それはそれとして読んでもらいたいよね。
ただこうやって改めて聴いて考えてみると、やっぱり広く受け入れられる類いの音楽ではないと個人的には思う。
曲がポップだとか、ギターがカッコいいとか、そういう側面はあるにしても、聴いていても楽しくなる類いの音楽ではないし、歌詞を読んでもそれは深刻になるだけである。
実際大学の頃のある先輩は「勝手にやってくれ」と吐き捨てるように彼等の音楽を批判的に捉えていた。
この人は過程の事情がちょっと複雑な人だったから、そういうリアルに苦しい現実の中にいる人にとっては却ってお気楽というか、その客観的な視点が腹立つのだろうなという気もするし。
わかってんだよ、そんな事、ていう感じかな。
そんな音楽を作れるんだからミュージシャンとしての彼等はやっぱり素晴らしく偉大だと思うけど、同じ位批判があっても良いと思うよね。
だって、暗いもん。
そんな彼等がフェスのトリである訳で、其れを大喜びしてしまう社会の背景にはこのアルバムで謳われるようなどうしようもなくため息しか出ない現実があって、其れをみんな暗にわかっているから息抜きをしたい思いなのかもしれないね。
"No Surprises"