音楽放談 pt.2

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ダサさはリアル -Hard-Fi

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今日は素晴らしい日だ。

Broken Social Sceneの新譜の他にもToro Y MoiとHaimもリリース。

買って来てしまった。

今月はArcade Fireもリリースされるので、アメリカンインディ祭りだ。

BSS聴きながら書いている。

これまでとまた違うアルバムになっていて、曲の要素を見れば彼ららしさは感じるが、全体としては音のスケールの大きな曲だったり、結構ヴォーカルも処理かかっていたり、音楽的にもこれまで以上に全方位的というか。

前作を聞いた時にも第一印象は少しとっちらかったような幹事だと思ったけど、今回はもっと好き勝手やっている。

でも、やっぱり好きだな。

また改めて書こう。


それにしても、私が好きなバンドでもいつのまにか活動休止していたり、解散していたりして、結構寂しい気持ちになるものだ。

BSSだって7年ぶり、その間活動休止宣言をしているし、メンバーはそれぞれに活動している様を見れば解散かしらとも思えてしまう。

そうした心配をさせても戻って来てくれればそれでいい訳だけど、中にはそのまま解散してしまうバンドもあるわけで、それはやっぱり寂しい。

今その岐路になるバンドの一つが、みんな大好き現代のClashことHard-Fiである。

ザ・イギリスという感じの労働者階級出身の冴えない若者によって結成されたバンドである。

歌詞がかなり社会性が高く、当時の若者のリアルを見事に描いているとして、その作家性が大きな評価であったが、音楽自体もスカ、レゲエを基調にロック的なポップな楽曲で、DISKAなどとごく一部で命名されていた。

まったく浸透しなかったが、それだけオリジナリティに溢れて存在感があったのである。

彼らはジャケットもとても秀逸で、1stは監視社会イギリスを象徴する監視カメラのシルエット、2ndは「No Cover Art」というとても皮肉的なもので、そのセンスはピカイチだった。

一方で見た目は実にもっさく、まあ冴えない感じで、1stで売れたので2ndの時には多分スタイリストもついたアー写があったが、いかにもよそ行きみたいな感じが隠しきれず、服を着こなすという概念を図らずも僕らに教えてくれたものだ。

音楽自体も行ってしまえば演歌みたいな歌い方だし、2ndの1曲目なんてまさにである。

そう、要するにスタイリッシュとはほど多い存在なのである。

ヴォーカルのリチャードは太眉にやたら目力のある、いわばイアン・ブラウンリアム・ギャラガーのの正当な後継者というにふさわしい見た目であった。

彼らほどおしゃれではなかったが。

だけど、彼らの音楽はとにかく熱かった。

1度だけライブを見たけど、言葉じゃなくて伝わるライブというんはこういうことかとまざまざと見せつけられた、本当に素晴らしいライブだったのですよ。

そんなわけで私は大好きなので、アルバムは全部持っているしベスト盤も買ってしまった。

そのベスト盤を聴きながら、彼らに思いをはせるわけだ。


こうして改めて聞くと、曲はやっぱりポップだし、踊れる要素も満載だ。

だけど、テーマ自体はかなり真摯なので、全体にハッピーなフィーリングはそんなにない。

特に2ndまでの曲はそれが顕著だ。

3rdになってからジャケットの方向性も変わったのに見て取れるよに、音楽的には少し洗練された印象になる。

いい曲が多いけど、ファンとしては少し寂しい気持ちを隠せないのも否定できない。

しかし、このベストがなかなかどうして、やっぱり彼らは素敵だと思わせてくれる仕掛けが満載だ。

いくつかの曲はリミックスというか、少しアレンジの異なるヴァージョンが収録されているのだけど、とにかく出色なのが"I Shall Over Come"という2nd収録の曲である。

曲としてはとてもシリアスな曲なんだけど、ベスト盤でのアレンジはイントロでトランペットが悲壮感たっぷりに鳴り響く。

しかし、このトランペットはどうしても必殺仕事人の例のテーマにしか聞こえないのである。

ああ、素敵すぎる。

この曲が来るたびに、「ダッセ!」と思うと同時に、日本人として愛さずにはいられない。

ふと思い出すのは、Oasisの『Don't Believe The Truth』収録の"Importance Of Being Idol"の水戸黄門みたいなイントロである。

同じ島国、やはりイギリス人も私たち日本人をどうしても意識してしまうのだろう。

どちらも長らく愛される時代劇である。

やっぱり眉毛が太いだけあって、目の付け所が違う。


そんな冗談はさておき、Strokesの登場以降、どこかスタイリッシュでクールなインディバンドが大勢になっていく中で、ダサさを地で行くその存在感と、リアルを描けるソングライティング力、それを伝えるだけの演奏とパフォーマンス力を兼ね備えたバンドというだけで、ある意味本当の意味でのリアルな僕らのバンド足り得た彼らである。

日本でも、リア充などという言葉がはやるように、その反対側にいる人の方が多い社会の中で、彼らの存在がどれだけ素晴らしいかは自ずと理解できるだろう。

ちなみに、ボーカルのリチャードは何年か前に日本のバンドのアルバムのプロデュースもしており、ちょっとだけ話題になった。

今はどうしているかわからないけど、またいつか彼らの最高にダサくて最高にかっこいい音楽を聴ける日をたのしみにしている次第である。

"I Shall Over Come"(オリジナル)

本当にダサい、最高にダサい別ヴァージョンを聞きたければ、ぜひベスト盤を買ってくれ!