音楽放談 pt.2

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優しさが足りない -Super Furry Animals

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先週半ば、急に外付けHDDの具合がおかしくなり、PCが読み込まなくなるという事態が。

解決するために色々いじっている時に、誤ってデータを消去してしまい、音楽データも全て吹っ飛ぶという自他になってしまったので、昨日からせっせと復旧作業、具体的には再読み込みを行ってiTunesのライブラリを再構築している。

私はCDで買っているものが多いので、おそらく7割方復旧は問題ないが、中にはDL購入したものや友人知人から借りたものについては、過去のバックアップも漁りながら探し回っている。

すっかり意気消沈した土日であった。


さて、先週から世間を騒がせているのは小室さんの引退宣言。

不倫報道に端を発し、憔悴しきった小室さんが会見を開いてそこで引退宣言をしたわけだが、それに対して報じた文春始め、色々な方向に矛先が向かっている。

個人的には不倫なんてどうでもいいし、小室さんの音楽も熱心に聴いているわけではないので、その意味での感情は特にないんだけど、一方で時代を作った人であることは間違いないし、何より今の彼の状況を見るととても悲しい気持ちにもなった。

嫁さんのKEIKOは脳梗塞だったかでずっとここ数年リハビリ中らしいが、実際の内面は見えないのでわからないにしても、コミュニケーションはほぼ小学生とかそのレベルの会話しかできなかったり、多分言った言葉の大半を理解できないくらいの状態らしい。

それでもずっとリハビリをしながら、支えながら過ごす日々はやっぱりしんどいと思うし、自分のことをねぎらってくれる存在すらいない中であれば、せめて少しでも心休まる時間が欲しいというのは誰しも思うところだろう。

介護のしんどさってそういうところに一番あるという話もあるけど、小室さんの場合もそのケースで、女性看護師の人に少しだけ安らぎを求めただけで、それもいけないことなのかなって話だよね。

嫁はそれができない状態だし、それでも支えなきゃいけないし、だけど人間として、大人として、ちゃんと会話したいというのは当然のことだし、弱った時は誰かに頼りたくなる気持ちは誰だってあるはずなのに、それを糾弾して追い詰めることに一体何の意味があるんだろうと思うのである。

今回は小室さんがあの会見を開いたこともあって、世の中的にも報道事態に対する批判的な意見もたくさん出ているみたいだけど、それは日和見的な反応でしかなくて、紋切り型の批判をするしかできない奴は本当に害悪以外の何者でもない。


悪いことは悪いこととして戒めていかないと社会が成り立たないから、それ自体は否定しないし必要なことだけど、それに基づく紋切り型の正義は誰も救わないだろ。

まして弱いところは誰でもあるし、それを誰かに見せることが不安にしか繋がらないような社会になって来ていると思うけど、そんな状況って幸せなんだろうか。

いいじゃないか、それくらい許容できないと、みんな窮屈で息もできないよ。

誰かの失敗や不倫理に対して烈火のごとく怒り狂うのはおかしいよ。

優しさがないって。

個人的な話だけど、職場でも常々そう感じる場面て少なくなくて、表面的には和気藹々としていても本質的なところでは牽制しあっているようなところがあって、それが見えるととても嫌な気分になる。

みんな一生懸命やってる中で、ミスることとかちょっとやらかしちゃうことなんていくらでもあるのに、それをやったら人間的な親近感が湧く前に弱みをつかんだみたいな感じなって、それってどうかなと思うわけだ。

その結末は表面的になんとなくやり過ごすようなやりとりしか生まないし、本当に大事なことも伝わらなくなっていく。


そんな世の中に是非聴いて欲しい音楽は、やっぱりSuper Furry Animalsかな。

彼らの音楽は、ヴォーカル・グリフの声も伴って、彼らの楽曲は一貫して優しい。

歌詞のテーマとかは色々あると思うけど、本質的に柔らかい音像や、攻撃的なところは全然なくて、常にポップで包容力に満ちた音楽をやっている。

しんどい時とかに寄り添ってくれるような感覚があって、私も大好きである。

中でも彼らの代表作『Rings Around The World』に収録の"It's Not The End Of The World"は本当に優しい曲だと思う。

しんどい思いや、とてつもなく追い詰められるような思いにかられたとしても、そんなに追い詰めなくても大丈夫、少なくとも世界の終わりってわけじゃないから(だからいくらでも取り返しがつくからそんなに追い詰めないで)と謳われる。

楽観的といえばそうなんだけど、思っている以上に選択肢はあるし、逃げ道はいくらでもあるし、世界はもっとひらけているんだから、という感じである。

追い詰められている時は、本人にとってはそんなに楽観的ではいられないし、本当にのっぴきならない状況にいる人もいると思うけど、そんな状況の方がはるかに稀だし、仮にその手前にいたとしても、周りに誰かがいる状況ならそうなる前に声をかけてくれる人だっているんじゃないかと思うし、せめて自分はそうありたいとは思うよね。


現実がそんなに甘くもなければ理想的でもないことはわかっている。

だけど、救われる場面だってたくさんあるし、せめてそう思える環境を作っていくことって大事だと思うんだけどな。

今の日本のそういう状況って、敵を常に作っていないといられない北の国と本質的には同じなんじゃないかと個人的には思っている。

そんな世の中は辟易してしまう。

不安ばっかりの人生は楽しくないからね。