
なんだかんだテレビ影響力ってまだあるのかな、と思うことがある。
今話題の若手バンドの一つ、Suchmosの曲がTVCMで流れて、それによって結構いろんな人が耳にすることになって、その影響もあってかいろんな雑誌で表紙を飾っている。
それこそ音楽雑誌だけでなく、ファッション誌とか週刊誌でも紹介されているのを見ると、TVはやっぱりマスメディアなのかなと思うわけだ。
こういうところで接して聴かれるようになる、というのはいいことだよね。
でも、一方でBGMとして使われる限りにおいてはやはりBGMとしか聴かれず、スルーされている場合が多いのはやっぱりあって、例えばもやもやさまーずという番組では結構な頻度でコアな音楽が使われる。
いろんな言葉の一端を拾ってそのワードの出てくる曲を有名無名に関わらず流しているのをみると、多分スタッフがかなり音楽好きな人なんだろうと思う。
エンディングテーマもミツメとかAwesomeとかも確か使われていた気がする。
そういう若手のこれから売れるぜ、ていうバンドの曲もよく使われていて結構面白いのだけど、そこからはやることはほとんどないだろう。
もっとも、それはあの番組の視聴層の問題もあるだろうし、結局テレビを見ているのは中高年以上の比重が大きいのかもしれない。
ちなみに私も音楽を紹介するときに、あれに使われていた、ここで流れていた、なんていう話をしばしばするのだけど、ほとんどの人は全く覚えていない。
音楽ではないし少し違う話だけど、大学の時にGolden Eggというアニメが流行ったことがあるのだけど、私はその少し前に友人に教えてもらって見て、ケラケラ笑っていた。
当時はYoutubeにアップされていたのでそれを大学の同じゼミの人に紹介してみたことがあったのだけど、ものを見せても全く反応していなかった。
しかし、しばらくしてTVで取り上げられたらしく、それから急にみんなが面白いと口にし出した時には、なんだか世の中の理不尽を感じた思いだった。
単に私の信頼が薄いという話なのかもしれないが、いずれにせよ求められるのは本質よりもみんなで楽しめるくらいの認知度があるかどうかという環境的なものなのかもしれない。
昨年から話題のバンドマンの不倫報道で、もう聴かないとなってしまう人も何を求めて音楽を聴いていたのかがさっぱりわからない。
結局流行っていたから乗っていただけだったらしい。
さて、今年の4月にすでに恒例となったSynchronicityと、今年からAfterHourというイベントも合わせて2日間行われる。
当初は独立したイベントとしてやるつもりだったようだが、イベント運営のノウハウ的なものを学ぶためにも、併設開催的にすることになったらしい。
ちなみに昨年はイベントの中の1ステージをその枠としていたのだけど、終日入場制限続きでだいぶ勿体無いことになっていた。
私も見たいやつをいくつか諦めたしね。
今年はついにそれぞれのイベントとして開催される形となったわけだが、私がいくのはAfterhourの方、こっちの方が濃度が圧倒的に高かったので。
Afterhourのイベント開催の動機とか想いとか、そういうものを表明して、来場客にもその想いを共有してほしいという意図からのようだった。
内容としては、ざっくり言えばエンタメ商品として消費されるだけでなく、芸術、文化的な意義を求めて作っているアーティストがたくさんいて、彼らがしっかりと活動できる、していられる基盤となりたいし、来る人もそういう思いで音楽を受け止めてほしいみたいな内容である。
要するに音楽の芸術的な意義に目を向けて、と語りかけたわけであるが、これはもろ刃の剣だなと思った。
気持ちはよくわかるし、それは彼らの活動の中で多くのフラストレーションにもつながっているのだろう。
出演するバンドの一つ、The Novembersの小林くんもTwitterで様々な発言をしていて、暗にそういう思いを感じる一方で、それがアーティスト側のエゴでもあるわけで、それを踏まえてかなり慎重に発言しているんだろうなという感じがするのだ。
しかし、所詮世の中の大半の人にとっては音楽はBGMでしかない。
昔どういう場面で誰とそんな話をしたのかも覚えていないのだけど、「音楽は音を楽しむと書くから楽しければいいのだ!」みたいなことを言っている人がいて、それが1人2人ではなかった覚えがある。
多分中学生か高校生くらいの頃の話だから、その時の私はそういうもんかな、なんて思った。
そういうスタンスって別に間違っていないし、それはそれで一つの価値観だから否定するような話でもない。
だけど、それがイコール音楽の価値として定着してしまうのはやっぱり寂しいものである。
表現は須らく表現者の何かを表現するためのもので、その仕方が音楽なのか絵なのか、いろんな形があるわけだけど、音楽についてはクラシック以外は芸術的な受け取られ方は日本ではしていないだろう。
それこそいわゆるJ-POPとカテゴライズされる音楽のほとんどは音楽的にどうこうとか、歌詞の詩性みたいなところなどはほとんど顧みられず、CDが何枚売れたか、いくらの売り上げだったかばかりが取りざたされる。
聴く人の大半もそういうフィルターでしか聞こうとしないところもあるし。
昨今のフェスの活況の中で、各イベントごとになんとなく客層も別れてきているところもあるけど、このブログでもちょいちょい書いているが、どうにも居心地の悪さを感じるものもあるのである。
こういう態度ってよくないなと思うのだけど、周りから聞こえて来る会話とかライブ中の感じとか、私の価値観とだいぶ違うなと感じるし、好き好きに楽しめばいいと思うのだけど、純粋に音楽を楽しんでいる人を見る時と違う感じがすごくあるので、それってなんだろうと思うのだけど、結局音楽が好きなんじゃなくてそういうイベントにみんなでくるということが多分本質で、それがフェスブームの背景かなと思うのである。
それによって潤うアーティストもいて、結果的に好きなことをできる経済的な環境にも繋がりうるからいい側面もあるけど、やっぱりちょっと寂しいというか、結局そういう人にとっては騒げればなんでもいいところがある感じがしてしまうのだ。
で、この声明文を読んだのはMouse On The Keysのアカウントからだったのだけど、彼らは世界でもライブをやっているバンドなので、いろんな国のリスナーを見る中でかんじるところもあったのだろうね。
ちなみに今年早々に新譜を出しており、これまでの作品から大きく指向性を変えている。
これまでドラム、ピアノ、シンセの3ピースでジャズ、ハードコアの要素をふんだんに感じる音楽で、語弊を恐れず言えばちょっとおしゃれな感じもあった。
化粧品のCMにも使われていたし、インテリア系の雑誌か何かで、おしゃれ系カフェの人がBGMにぴったり、なんて紹介していたからスノッブな人たちにも受けていてだろう。
でも、流麗なピアノのバックで激しく乱打されるドラムが肉体性を帯びていて、非常にアグレッシブだった。
ところが今作はエレクトロ的な要素が強くなり、ドラムも変則的にドライな感じで叩いているから、これまでのようなフィジカルさが後退して全体的に冷たい感じ。
先日のレーベル立ち上げライブの時に出ていたKeneticとかと共振するような音楽で、初めて聞いた時には結構面食らったし、しばらくはアルバムを聴いていても「これの誰のアルバムだって?」と思うくらい別のバンドのようなアルバムだった。
もっとも、彼らのこれまで的なイメージもないわけではないし、聴いていけばMouseっぽさもあるのだけどね。
ちなみにこのバンドを紹介してくれた友人は、「このバンドもこっちの方向にいったか、て感じだね」とコメントしていた。
つまるところ商業性と芸術性のバランスの問題で、得てして両立するのは難しいところはあるけど、アメリカでは売れている音楽が新しいことにチャレンジして芸術性を高めているというし、その状況を指して日本の状況を危惧する音楽評論家もたくさんいる。
どっちがいいとか悪いとか、そういう話ではないのだろうけど、少なくとも日本のメジャーシーンではキワモノくらいのものでないと話題にもされないし、興味ももたれない。
そういうフラストレーションを表現者として表明するということも、ひょっとしたら新しい視点を与えるというポジティブな側面もあるのかもしれないけど、なんとも言えないもやもやした感じを覚えてしまった。
まあ、個人的には楽しみなイベントであることには変わりないんだけどね。