最近カナダが熱い、というのは一部のロックファンにはもはや共通認識であろう。
Broken Social Sceneはじめ、Stars、 Dears、 Death From Above 1979、Feist、Stillsも新譜が結構評価されているし、Los Campesinos!はレーベルだけだけど。
こんな具合に多くのカナダ人アーティストが活躍している。
その中でも一際大きな注目と評価、そしてセールス的な成功を収めているのがArcade Fireである。
2005年に出した1stアルバムは、その年のベストアルバムに数多くの雑誌で推されていた。
その年のサマソニが初来日になった訳であるが(確か)、そのとき未聴であったため、そのときは観なかった。
しばらくして聴いたんだけど、猛烈に後悔したね。
なんだ、このテンションは?
宗教っぽくね?とか思いつつも、あまりに劇的な音楽に、やられたね。
花吹雪でも舞う高原で静かに列を成す楽団の如き風情の曲で幕を開ける1曲目"Neighborhood #1"。
ウーウーいうコーラスもさることながら、バイオリンの音も美しく、ギターは軽やかでドラムは力強く。
次第に盛り上がって言う展開にどうしたって気持ちは持っていかれる。
オープニングが終わって、次はかなりハードなドラムで始まる"Neighborhood #2"。
アルバム中でもっともロック的な曲であり、大好きな曲でもある。
特に中盤の、次第に高まってゆくヴォーカルに、少しずつ他の楽器が絡んでゆき、サビの部分で一気に爆発するところは鳥肌モンである。
ヴァイオリンがまたいいんだよ。
ここで一旦静かな曲を挟む。
一気に高まったテンションを一度落ち着けて、演奏自体も結構シンプルである。
ギターの音が非常にきれいである。
終盤になるとまた曲の勢いは増し、テンポも上がり、次の"Neighborhood #3"へと繋がっていく。
この曲はまた嵐を小さな小屋の中でやり過ごすような印象の曲である。
不安げでありながら、それが過ぎ去るのを片寄せあって待っているような、心強いような、そんな気持ちも入り混じっている感じ、というかな。
次の"Neighborhood #4"では、静かな中にも力強さを感じる曲である。
何かを決意するような感じかな。
そして、アルバム中でも随一の雰囲気のあるのが"Crown of Love"。
歌詞も曲も切なさの漂うこの曲は、もう取り戻せない愛について歌っているのかな、と思うけど。
If you still want me, please forgive me.1 という一節がすごく心に残るね。
こうして静かな曲を2曲挟んで、もはやライヴの大定番"Wake Up"である。
少し弱気になった心に活を入れるかのような力強い曲である。
この曲でのアーアーというコーラスは、ライヴで大合唱なんだけど、もはや祝祭的ムード漂う儀式の語と気であり、異様なテンションに包まれる。
もっともライヴ栄えする曲でもある。
そして、ここでヴォーカルが女性(レジーヌという)に変わり、可愛らしく故郷について歌っている。
街角でアコーディオンにでも合わせてクルクル踊っているような、やや浮世離れした心地よさみたいなものがある。
ちなみにライヴでは、レジーヌが実際にクルクル踊っている。
ちなみにちなみに、男性パートはウィンという人なんだけど、彼と彼女は夫婦でもある。
ちなみにウィンの弟ウィルもバンドにはうぃる、なんちゃって。
・・・風情を解さない人をさして大人気ない、と昔のひとは言ったんじゃなかったかな。
まあでも本当にいるんだけどね。
それはともかく、もはやアルバムでもハイライトである。
まさに希望という言葉がガッツリはまる"Rebellion(Lies)"である。
この曲は本当に感動的で、もう大好き。
不都合な現実から目を背けさせようときれいごとを並べたえてて真実を隠そうとする人たちに対して、そんなのは嘘だ!!と、目を覚ませ!!と叫ぶこの曲は、やはりハイライトというにふさわしい。
いい曲だよ。
そしてラストを飾るのは、"In the Backseat"。
再びレジーヌヴォーカルであるが、後部座席で死者を悼む、そんな曲である。
I like the peace in the backseat. I don't have to drive, I don't have to speak, I can watch the country side, and I can fall asleep.というのが冒頭なんだけど、大好きなの。
死者に対して人が出来ることは、ただそうして死んだ事実を受け止めることである。
余計なことでごまかさず、正面から。
アルバムタイトルは「Funeral(葬式)」である。
ここからは極個人的な意見なんだけど、葬式というのは死者のためにやるものではなくて、むしろまだ生きている人が死者を死者として受け止めるための儀式だと思っている。
いけとしいけるものは例外なくいつか死ぬ。
特に人間にとっては、いかに死ぬかも重要な問題である。
自分の人生の意味を感じられるのも、ひょっとしたら死んだ後だけなのかもしれないし。
そう言う意味では、葬式という場においてその人の足跡を示してあげるという意味もあるのかも知れないけどね。
ともあれ、もともと親族の死がモチヴェーションとなっているアルバムではあるが、そうした暗さは無く、むしろ、だからこそ前向きな希望にあふれたアルバムになっている。
このアルバムが評価された所以というのは、もちろんバンドの形態としてのオリジナリティ(バンドというよりは楽団という風情)、曲のよさ、演奏の総合力など、音楽的な自由があるのはもちろんなんだけど、同時にもっと人間の根源的な部分に訴えかけるものがあったからだと思う。
聴けば聴くほどに味が出て、なおかつライヴでは圧倒的なカタルシスももたらす。
2005年のマスターピースであることは間違いない。
こういういい音楽に、世の中は、ロックファンだけでなくもっと耳を傾けるべきだと本当に思うよ。