正義感て怖いよね。
正論を盾に正義で人をぶん殴る。
何十年前の罪だろうとささやかな言動だろうとちょっとした悪ふざけだろうと、「こいつは悪だ!」と決めつけると正義感に駆られた善良な一般ピープルがこぞって拳を振り上げる。
「謝れ!」「反省しろ!」「会見しろ!」「償え!」だって。
そりゃやったことは褒められた話ではないし、仮に刑事罰に処されていないとて胸糞の悪いものは腐るほどある。
それ自体が正当化されることはもちろんないわけだけど、それをよくわからない奴に好き勝手言われて、いざ謝罪をしても「反省しているように見えない」「それで許されることじゃない」「問題の本質はそこじゃない」と、どっちにしても正義感を発揮して得意技を披露して見せる。
怖いな、正義感をもった人は。
Corneliusこと小山田圭吾がオリンピックのテーマ曲を担当することになったらしいが、その件で94年だったかに出された雑誌のインタビューでのいじめの件でまた叩かれている。
音楽をある程度聞く人であれば多分ほとんどの人が知っているであろう有名な話だ。
海外でもしっかり評価されており、国内でもNHKや攻殻機動隊など有名作品にも楽曲提供しており、完全にメジャーの人だしね。
何かにつけ話題になることで、まあそのインタビューを読めば流石にこいつヤベェなとは思う。
同時に、よくこんなインタビューを雑誌に掲載したなと思うし、それが刊行されている段階で出版社の倫理感みたいなものは問われないのだろうか。
ある雑誌では、ずばり「いじめ紀行」という連載ものだったみたいだから、そもそもそんな企画をよくやろうと思ったよな。
時代的にはいじめがようやく問題になり始めた頃かな、また障害者に対する目も今ほどちゃんとしていない時代だから、社会的に面白がっていた事象だった側面もあるんじゃないかと。
LGBTでも、少し前は男性の同性愛者をホモといって笑い者にしていた時代があったわけだから。
で、小山田は早々に謝罪文を発表、しかし上記のように「反省してない」とか「謝って済む問題じゃない」とか、じゃあどうしろっていうのか。
死ねってことですかね?
いじめた当人と和解しろとかちゃんと向き合えとか、どこのカウンセラーだろうか。
虐められていた本人の気持ちは知るべくもないが、ひょっとしたらもう触れられたくないと思っているかもしれないじゃないか。
仮に今彼が本人ですと言われたとて、彼の名誉にも関わる話だから、気安く安易な正義感をかざすなという話である。
誰が見ても嫌悪感を示す事象に対して正義感を発揮するのは結構だけど、その向こう側の人にもちゃんと目を向ける配慮があれば、無闇に言わないだろ。
レイプでもそうじゃない。
警察沙汰になりにくい一番の理由は、被害者本人が公になることを怖がるからでしょ。
刑事事件にちゃんとできても、「勇気のある女性だ!エラい!」なんていつまでもネット上で話題にされたらどう思うよ?
そういうのも2次被害ってやつじゃないのかと。
だから正義感みたいな人ってやばいし、怖いし、マジで黙れとしか思えない。
あなたの形だけの正義感は誰も救わないし、ただたんに自分の正当性が評価されたように感じるだけのオナニーだよ、そんなの。
もちろん第3者の告発によって救われるケースもあるわけだけど、それは事象によるでしょ。
それを判断できるだけの頭がない奴は、黙っているのが世のためである。
一昔前に感動ポルノという言葉がスラング的に流行ったが、基本的にそのメンタリティを維持し続けている人は一定いる気がする。
ただの事象を勝手に美談に仕立てて、勝手に感動して、勝手に拡散して、感動した!泣けた!と喚き散らす。
他方で人の見られたくない部分を、しかも別に見なくてもいい部分をわざわざ見にいって嫌な顔をするのもこの手のやつだ。
ほんと嫌い。
一応再度書いておくが、彼の過去やっていたことやそれをベラベラと人前で喋る感性はどうかと思う。
でも今どう思っているかはわからないし、彼を嫌悪するのは個人の自由だが、だからといってそれは叩いていい理由にはならない。
結局やっている行為自体は同じだよ。
立場として弱くなったものをボコボコにしているわけでしょ?
身から出たサビだ、自業自得だというのはその人の理論で、一見正論だけどそれはあなたがそれをやっていい理由なんですかね?
他の人もやっているから、なんていうのは言い訳にもならない。
実際件のインタビューでも彼が単独ではなく関わった人間もたくさんいたじゃないか。
他の人もやってるよ?
嫌いだと表明することは結構だが、攻撃に転嫁していい理由にはならない。
いじめってそういう精神理論で起こるらしいから、そういう行動をとるあなたのような人がいる限り、永遠になくならない事象なんだと思うけどね。
その気色悪さをもう少し自覚した方がいいと思うが、どうだろうね。